帰 郷
天野 景
「……見えない自由がほしくて……見えない銃を撃ちまくる……本当の声を聞かせておくれよ……」
* * *
人によっては、規則正しい、かたんことん、かたんことん、というリズムは、心地よい眠気を誘うのかもしれない。
だが、私の場合は違っていた。
じっとりとした汗をかくような、そんな悪夢を誘発するのだ。
悪夢――厳密にいえば、それは夢でも何でもなかった。現実にあったことなのだ。
それでも、私は行かねばならない。戻らねばならない。
一升瓶のキャップを外した。むっとする臭いが、小さな口から立ち昇ってくる。わずかに残ってる焼酎を、直接口に含もうとして、止めた。酔いに身を 任せるのは簡単だ。
しかし、私は目を閉じ、列車の刻むリズムに心をまかせた。
予想通り、悪夢はやってきた。それでも、私は生きていかねばならない。
私が、そう選んだのだ。
* * *
幸福だった、といえるかもしれない子ども時代を経て、私は成長していった。
優しい母と、穏やかな父。そして友人たち。
周囲の自然環境も申し分なかった。子どもの探検すべき場所はいくらでもあったし、その成果を分かつ親友たちもいた。
すべては、遠い過去のことだ。
いつの頃からだろうか。そういった生活以外のものが村の外にあるのではないか、と思い始めたのは。自分には、他にやることがあるのではないか、と 考え始めたのは。自分の夢を追いかけるべきだ、と信じ始めたのは。
私の親友に、やたらと旅ばかりしている男がいた。彼は、時折帰ってきては、遠い外国の話などを私にしてくれた。
うらやましかった。
私は、彼と一緒に行ってみたかった。が、どうしても、踏み切れなかった。彼の土産話にひたっているだけで幸せだと思っていたのかもしれない。
否、自分を偽っても仕方がない。
怖かったのだ。
村を出て、私は彼のようにやっていけるのだろうか。孤独を愛し、村に戻ってきたときには、ひとりで生活している彼のように。そんな自信は、私には ない。
「やりたいことをやるべきだ。それは幸せなことなんだよ」
遠い目をして、彼はいったものだ。
だが、私には、そのやりたいことが見つけられなかった。何かをしなければ、という一種の強迫観念に追いつめられるようになってはいたが、その目的 は見つけきれなかったのだ。
* * *
きっけけがいったい何だったのか、実をいうと覚えていない。
私は家を出て、村を離れた。それから列車に乗り、外国へと向かった。いったい何のためか、と問われたら、おそらく夢を探すためだと答えただろう。 実に安易で、空疎で、考えなしの答だと今は分かる。世の中にはそれ以下のものもあるとも知っている。
おそらく、当時から私は自分に自信が持てなかったのだろう。
例えば、孤独を愛する親友は、どんなことがあっても慌てることがなく、適切な助言と行動で、私たちに信頼されていた。別の、議論好きの友人は、多 少やかましいところもあったが、いざというとき皆の意見を調整することができた。その妹は、好奇心旺盛であり、いざというときに決断すを下すだけの勇気を 持っていた。神経質な友人は、自分よりも弱いものを気遣う優しさを持っていた。私の父は、過去に私たち家族を導き、家を建て、村の長的な役割を担ってい た。私の母は料理がうまく、すべてをまとめ包み込む包容力があった。
私はいったい、何を持っていたのだろう。無鉄砲で、愚かで、他の者よりも劣っている。心の底ではそう思っていなかった、ということなどできない。
そういった自信のなさが、不満となり、溜まっていき、そして爆発したのだろう。きっかけは何でもよかったのかもしれない。
ともかく、私は村を飛び出した。村を出、もっとも近くにある駅まで歩き通し、列車に乗ったのだ。
自分がどこに向かうのかも知らず。
* * *
村を出るときに、私の宝物というべきものをいくつか持ってきた。今はもうない。食うものに困ったとき、真っ先にパンと交換したのだ。
生きるためには、金がいる。それを私は村から出て初めて知った。金がなければ、別の方法で食べ物を得なければならない。他からかすめとったり、 奪ったり、という手もあったが、何度かやって、懲りた。生きるためには仕方なかったのだが、親友に胸を張って話すことができない、ということに思い至った のだ。
どこかの家の残り物をもらって暮らす、ということもできたに違いない。だが、昔ならばともかく、少年時代にあの幸福な生活を経験した私にはできな かった。
であれば、働かなければならない。
すでにそれすらも遠い昔のことのように思われるが、あちこちを放浪した挙げ句、私は豊かだといわれる、日本という国にやってきた。
私を待っていたのは、言葉の壁と、いわれなき差別であった。この国は外国から来たものに対して壁を作る。意識・無意識に関わらず、だ。
生きるために求人の募集を探し、いくつもの応募をした。そのうちのいくつかには引っかかり、働くことになった。
しかし、一生懸命に働いても、手に入るお金は、わずかばかりのものだった。また、周囲としっくりいかずに職を転々とした。
やがて住むところも屋根つきなどということはなくなり、公園や駅、ビルの狭間で新聞紙やダンボールにくるまって寝る日々が続いた。
浮浪者は、縄張り意識の強いものもいたが、親切なものもいた。結局のところ、浮浪者、外国人などという枠で区切るのではなく、浮浪者の中にもいろ いろな種類がいて、外国人にもいろいろあって、ということなのだ。
だが、ごく普通の人間というのは、そういったことを考えないものなのだ。あっさりと枠を取り決め、壁を作って、そこに押し込めてしまう。私はそう いったことを、この国に来て学んだ。
冬というのは、どんな国であってもそれなりに厳しいものだ。日本の冬は短いが、寒さはきつかった。野外で寝ていればなおさらだ。そもそも私は寒さ に強い方ではない。
こういった生活の中で、浮浪者仲間はどうしていたのかというと、酒屋のゴミを漁って、飲み残しの酒をくすねたり、わずかな収入でもってワンカップ の酒を買ったりしていた。結局は、私もまた。
少量でもっとも身体を暖めてくれたのは、焼酎、と呼ばれる酒だった。蒸留酒は私の国にもあったが、それとはまた異なる酒だ。
焼酎を飲むと、身体は暖まる。が、心のどこかが冷えていくような気がしてならなかった。私は、これでいいのか。
かの親友は、テントで生活をしていたが、外国ではどうしていたのだろう。そんな風に、友のことを懐かしく思い出す夜もあった。
そうして、余計に切なくなる。
* * *
外国から来た、というハンデを乗り越えて、ようやく就職することができた。健康食品や菓子の営業だった。外見はさほど悪くはない、どころか、一度 見たらなかなか忘れられないような面相であったから、その点は営業で有利だったかもしれない。だが、話し方が少し幼いと指摘された。
話し方などは努力次第でどうにかなる。重要なのは、働くほどに金がもらえ、しかも住む所まであてがってもらえることだ。社宅、というやつだ。狭い 独身者向けの部屋だったが、寒空の下、公園やビルにへばりつくようにしてダンボールの家を作って野宿することに比べたら、天地の差があった。
健康食品、といってもかなり後発で、苦労しそうな内容だった。歯にいい、という類の成分が入っている菓子などである。その新製品を小売店などに置 いてもらう仕事だ。
二週間ほどの研修があり、先輩に同行させてもらって、営業の姿をつぶさに眺めたが、果たしてこれを私ひとりでできるかどうか、はなはだ怪しかっ た。
それでもやらねばならない。
いつまでも見習いのままでいるわけにもいかない。見習いのままの扱いであるはずもない。かなり少ないとはいえ、給料をもらっている身であるから、 自分で稼がねばならない。売りさばいた分、取り引きを作った分だけ、給料となって返ってくる。
スーパーや商店を回り、商品の説明をする。粗雑なパンフレットを見せ、成分を語り、他社との比較をする。
「いや、ウチはいらない」
「どうも見た目がねえ」
「悪いけど、スペースがないから」
安価で、かつ健康によい、といった菓子だったが、なかなか売れない。後発のそれも小さな会社であったから、軌道に乗るまでが難しいのだ。もっと も、軌道にまだ乗っていないような時期であったから、私のようなものまで雇ってくれたという面はある。
基本的には、電話でアポイントを取り、実際に見本を持って説明に行くことになる。途中で飛び込み営業などを行うこともあるにはあった。
一番きつかったのは、電話のアポだ。かけてもかけても、断られ続ける。一日に数百件の電話をかけ、すべて断られたこともあった。
「そんなもん、いらんよ」
「今、担当の者が外しておりますので」
「うちは必要ない」
今思えば、電話を切られる無常な音が、少しずつ心を蝕んでいったのだろう。面と向かって話せるのならば、見た目、身振り手振り、実際の商品、パン フレット、といった諸々の要素があるし、楽は楽である。だが、そこまで到達すらできないのだ。電話のボタンを押しながら、腹がきりきりと痛んだ。
もちろん、いくつかの店で商品を売ることはできた。お情けでちょっとばかり置いて貰う、ということもあった。砂漠の中のオアシスみたいなものだっ た。が、砂漠はじわじわとオアシスを侵食していく。
夜な夜なテレアポの夢を見る。電話を叩き切られる音、冷たい拒絶、そういったもので目が覚める。あるいはアポイントを取っていて、時間に遅れそう になる夢。飛び起きて時計を確認しても、しばらくの間、状況が把握できないのだ。日に日に私は眠れなくなっていった。
荒廃していく心を埋めるため、酒を飲んだ。あまり高い酒は飲めない。飲むと、生活ができなくなる。例によって焼酎が中心だった。酔うために飲む、 という感じだった。女に溺れる、ということも私の性格上できなかったし、そういった関係もなかった。
アルコールを体内に入れることによって、わずかばかりの睡眠を取ることが可能となった。だが、魔薬と同じだ。当たり前の焼酎では次第に不眠を追い 払うことができなくなり、次第に度の高いものを求めるようになった。後は、悪循環である。最終的には猛烈に強いものを割りもせず直接口にするようになる。 それがアルコールを摂るにはもっとも効果的だった。ということは、身体に相当悪いということでもある。
生活が荒んでいく中、私には時間に追われていた。営業にはそれぞれノルマがある。ノルマが達成できなければ、容赦なく解雇。あるいは営業活動に精 神的に耐えきれなくなって辞めていく社員も多い。実際のところ、二週間の研修中、先輩社員が三人いなくなった。
かくも営業は入れ替わりが激しい。激しすぎる。売るために電話を掛けまくり、営業を行ない、残業手当もないまま、延々とその日の事務処理を続けた りする。働いても働いても時間が私をどこまでも追いかけてくる。
私はノルマを達成できなかった。
* * *
会社を馘になったとき、どこかほっとしたところがあったことは否めない。すでに酒が身体を削っていた。ふっくらしていた体形も顔も肉が落ち、昔の 知り合いでも分からないのではないかと思われるほどだった。
会社勤めをする中で、私は、自分のやりたいことを見失っていたのだろう。そもそも私のしたいことは何だったのか。いったい、何のために村を出たの か。何をすべきなのか。そういった想いは、すべて過去のものとなっていた。
私は生きるためにひたすら働いた。その結果健康を損なっていった。何をしたいとか、そういったことを考える余裕すらなかった。
しかも自分に自信が持てない、という点は相変わらずで、残った給料を使って焼酎浸りの日々となった。この頃には、弱いアルコールではほとんど酔え ない体質になっていた。新たな職を探す気にもなれなかった。
社宅を追い出されたため、また浮浪者に戻った。この国は、設備などが充実していない「兎小屋」であっても、高くつくのだ。小さな部屋を借りたとし ても、すぐに貯金がなくなってしまうだろう。
結局、会社勤めは二ヶ月保たなかった。まだ春には遠い時期で、ダンボールで家を作り、新聞紙にくるまりながら、眠る生活。星を見上げ、涙すること もあった。朝起きると、その涙が薄く凍り付いてぱりぱりになっていた。
これもまた、きっかけが何であったのか忘れたが、ふと気が付くと、故郷に帰るつもりになっていた。
この国では「都落ち」という。私のいた街は「都」というほどでもなかったが、それでも私にはもう耐えきれなくなっていた。
私はなけなしの貯金すべてをはたいて、故郷へ戻ることにした。
逃避、だった。
またしても。
* * *
ぷしゅーっ、という音とともに扉が開いた。私は懐かしい駅に降り立った。
そこから見える景色自体はまったくといっていいほど変わっていない。だが、過ぎ去った時の流れによって、風化は進んでいるようだった。懐かしい が、どことなく色褪せて私には見えた。
雨が降っていた。ゴミ箱に捨ててあった傘を拾って、開いた。いくつもの穴があり、骨が折れていた。
今の私にはお似合いだ。
ここから村までは、かなりの距離を歩かねばならない。日本にいた頃のように車が普及しているというわけでもないから、かなりの重労働となる。かつ て、村から出るときには足取りは未来に向けられていて、軽かった。今はそうではない。
かの友は、しかし常に歩いていた。
私も歩こうと思う。一歩一歩と踏みしめる足が、私を故郷へ連れていってくれる。一歩一歩ときしむ心が、私の重荷をさらに重くする。一歩一歩と進む たびに、雨が身体と心を濡らしていく。傘など次第にどうでもよくなってきた。それでも私は傘を持ち、機械的に歩いていた。
片手におんぼろの傘、片手に焼酎の瓶。今の私の姿だ。
いったい、故郷はどのような顔をして、私を迎えてくれるだろう。父は、母は、友は。
私は見えないものを追いかけ、それを見つけることなく、戻ってきたのだ。しかも心も身体も疲弊したまま、諦めて。
* * *
故郷もまた、私の記憶にあるものと同じでありながら、どこか違っていた。かすかな違和感が、私の内部を侵食する。
全体が、何とはなしに古ぼけて見えるのだ。駅に着いたときには、色褪せたような印象を抱いたが、こちらはよりひどいように思われた。
私はとぼとぼと歩いて村に近づいた。雨はいつの間にか止んでいた。私は傘を畳もうとして止めた。ばらばらになりそうだったのだ。だから、そのまま 持っていた。
ゆっくりと過ぎ去っていく光景は、記憶を刺激するものであったが、それはかすかな疼きを伴っている。懐かしい、あの時代、幸福だったあの頃に結び ついているからだ。
違和感を覚えたまま、私は村の入り口に辿り着いた。中央に、私の家が見える。のっぽの家だ。父が建てた家だ。
とうとう傘を放り出し、私は駆け出した。
* * *
私は父と母の名を呼びながら、家に飛び込んだ。
そのまま、立ちすくんだ。口が凍り付いてしまったように、呼吸ができなくなる。手から一升瓶が滑り落ちて、床をごろごろと転がった。床にその跡が くっきりと浮かび上がる。
家の中は、静まり返っていた。誰もいない、ということが一歩入っただけで分かる。
母は掃除好きだったし、父もきちんとされるべきことがなされないならば気分を害するところがあった。
家の中には、埃が積もっている。
私はひとり置いてけぼりを食らったような気分だった。家族を置いて出ていったのは、他ならぬ私だったのだが。
のろくさと私は一升瓶を拾い上げた。表面に汚れがついていた。
瓶を下げたまま、私は台所に入った。誰もいない。食料庫を開いてみたが、蓄えもない。
かつて、冬になったとき、海に乗り出し、とある島に行って家族で過ごしたこともあった。そのときであっても、家の食料庫は満たされていたのだが、 そんな形跡もない。
一言でいえば、この家は見捨てられていた。
私は階段をゆっくりと登った。一段ごとに異様にきしむ音がする。それはもしかしたら、私の心がきしむ音だったのかもしれない。上がった先に何があ るのか、私を何が待ち受けているのか、知るのが怖かった。
だが、足はのろのろとであったが勝手に動き、私を先へと連れていく。一方で私の心はぼんやりとしか周囲を知覚できず、麻痺したままだった。
* * *
母をそっと呼びながら、おそるおそるノックする。
返事は、ない。
私は、ドアを開いた。見覚えのない部屋が、そこにあった。
家や何やらの模型が壁に掛けてあったり、床に置かれていたりしていた。たくさんの人形が模型の風景に納まっている。いくつかの人形は、模型の外に 散らばっていた。
母の手作りであることが、私には一目で分かった。母は昔から器用であり、私にも船の模型などを作ってくれたこともある。人形も自作だろう。模型の 風景も同様だ。風景は、どこか見覚えがあるものばかりだった。
ただ、異様な、とも思えたのは、人形がほとんどすべて、私たち家族を形取ったものだったことだ。私がいる。父がいる。母がいる。養女となった義姉 がいる。友人がいる。村に住んでいた他の人たちの人形もあるにはあったが、私たち家族のものが一番多い。
ある風景では、私たちは窓から揃って空を見上げている。
ある風景では、私たちは庭にテーブルを出し、にこやかに食事をしている。
ある風景では、私たちは船に乗ってどこかへ出掛けようとしている。
ある風景では……
それでいて、人形たちは私の方をじっとうかがっているように思われた。生命の気配のない部屋に、人形だけが満ちている。冷たい、私を拒絶するよう な空気が、重くにじりよってくるようだった。
この部屋は、淀んでいる。病んでいる。時が、この部屋で腐っているようだった。留まっていれば自分まで侵されるような気がして、私は後ずさった。
途端、寝台が目に入る。母は、そこにいなかった。
代わりにあったのは、汚れ、ぼろぼろになった、私自身の人形だった。虚ろな目は、まっすぐに私を見ていた。よろめいた私をその視線が追いかける。
私は悲鳴をあげ、部屋を飛び出した。
* * *
父の部屋は、母のそれよりも整頓されていた。本来、整頓がうまいのは、母の方だったはずだが。
父もいない。
私は父の机に日記があるのを見つけた。
手の中で崩れそうな日記帳は、もう使われなくなって久しいことを示している。
私は父の日記を読み出した。
簡単にまとめられる内容ではなかったし、父の記述も所々分かりにくかったものの、おおよそ私が村を出てからのことが分かった。
私がいなくなって、少しずつ村が変化をしていったらしい。狂いはわずかなものだったが、それは次第に大きくなっていく。
最初は、神経質な友人だった。彼は私がいなくなったことにより、歯止めがきかなくなったのだろう。村の者たちと次第に衝突をするようになり、ひと りで村外れの洞窟にこもりがちとなった。ある日、議論好きの友人と口論になり、かっとなった友人に突き飛ばされ、頭を壁にぶつけて――死んだ。打ち所が悪 かったのだろう。
次は、その議論好きの友人の妹だった。ふさぎがちになった兄を慰めようと、山へ珍しい花を摘みに出掛けたまま――帰ってこなかった。崖のところに 彼女愛用の足飾りが落ちていた。
この二つが日を置かずに続いたため、参ったのは、議論好きの友人だった。しばらく姿を見なくなったと思ったら、家の中で――首をくくっていた。少 し腐りかけた身体がぷらぷらと力無く揺れていたという。
さらに、私たち一家に養女にきた小さい義姉がいなくなった。彼女は川に流されたようだ。数日して海辺で見つかった――変わり果てた姿で。これまで も彼女はそんな危険をいくつもくぐり抜けていたはずだったが、とうとう不運につかまってしまったのだ。
さらに村一番のコレクターであった人や、気難しい哲学者なども、死んでいったのだという。
これらはもちろん、毎日のように立て続けに起こったわけではなかったが、そう感じても不思議ではないほど頻繁に起こったのだった。何より、顔見知 りがひとり、またひとりといなくなっていくのだから、印象には残る。
私の母が変調をきたしたのは、むしろ当然であったのかもしれない。母こそは、村人すべてに慕われ、母自身も村人を好いていたのだから。
母の人形作りは、どうやら私が村を出てすぐに始まったらしい。私がいなくなって淋しかったのだろうか。だが、それがひどくなっていく。
独り言が多くなり、時を、思い出を封じ込めるように模型を作り、人形を作り、風景を作った。
父は、何もいえなかったらしい。父には、何もできなかったらしい。すでに母は遠い世界、自分の世界に閉じこもってしまっていた。母にとって、父と は人形の父でしかありえなかったのだ。
村からは笑いが消え、明かりが消え、生命が消えていった。
荒廃が進む中、母は――狂い死にした。私の人形に話しかけるような姿勢のまま、人形たちに埋もれるようにして。
母が死ぬ頃には、村には他に人がいなくなっていた。皆、死んだか、逃げ出したかしたようだった。その辺りは、私にはよく分からなかった。
ひとりぼっちで、母を支えきれなかったという失意のまま、頼るものとてなく、父も病を患ったようだ。日記の記述がどんどん短く簡素に、字がいびつ になっていく。
こうして――父も死んだ。
残されたのは、空っぽの家、空っぽの部屋、そしてたくさんの人形たち。
* * *
何がいけなかったのだろう。
どこで何が狂ってしまったのだろう。
私には分からなかった。
分かりたくなかった。
心のどこかでは、理解していた。だからこそ、分かりたくなかったのだ。認めたくなかったのだ。
私が悪いのか。私が悪かったのか。
もし、私が村を出なかったらどうなっていたか。小さな歯車がなくなったことで、全体が狂っていったのか。
もし、私がこの村に戻ってこなかったのならばどうなっていたか。この悪夢は始まらなかっただろうか。私が諦めなければ。
いったい、どこでおかしくなったのか。
いつしか、私は泣いていた。泣きながらわめいていた。何が喉をついて出ているのか、自分でも分からなかった。
母の部屋に飛び込み、一升瓶のキャップを抜く。強烈な臭気が立ちこめた。
半分ほど瓶の口を押さえ、振り回す。焼酎が人形たちに降り注ぐ。特に寝台にあった私の人形には念入りに。
ポケットからマッチを取り出し、火をつける。
人形に火のついたマッチを投げつけた。青白い火がともり、じんわりと広がっていく。人形から人形へ、模型から模型へ。私を冷たく凝視していた人形 の目がどろりと崩れ、視線が歪んだ。母が燃えていく、父が燃えていく、友人が燃えていく、そして私が燃えていく。すべてが燃え、熔け、形を失っていく。
私は、母の部屋と人形たちに背を向けた。
* * *
家の中はよく乾燥していたものか、火の回りは速かった。
外に出ると、風が吹いていた。その風に煽られて、火はさらに燃え広がるだろう。
誰もいない村だ。火を消す者もいない。
私はゆっくりと家から離れた。振り返らない。振り返りたくなかった。
何かを踏み、足下でぼきり、という音がした。見ると、ここに来る途中使っていたボロ傘だった。それが泥水の中で死んでいる。私にはそう見えた。
傘を踏みにじるようにして、私は歩き出した。影が揺れながら前方に伸びているのは、家が燃えているからだ。
一升瓶をまだ持っていることに気づく。手が固まってしまったように握りしめている。私は丁寧に指を引き剥がし、これまた持ったままだったキャップ をはめ、瓶を持ち直した。まだ少し残っている。必要になるかもしれなかった。
私が足を止めたのは、墓の前だった。村人のものだろう。ひとつ、ひとつ見ていく。知り合いばかりだ。
神経質な友人、議論好きの友人、その妹。もちろん、彼女の亡骸は見つかっていないのだから、形だけのものだ。それもまた、人形であり、模型であ る。
皆、いなくなってしまった。そのしるしだけがこうして残っている。
小さな義姉のもの、母のもの、父のもの――
私は首を傾げた。
いったい、父の亡骸は、誰が埋めたのだろう。日記によれば、父は村でほとんど最後の生き残りだったはずだ。
それからもうひとつ――
彼の墓がない。親友の墓だ。思い返してみれば、父の日記にも彼の記述がなかった。
もしかしたら。
私のどんよりと濁った心に、さっと光が差した。
彼は、生きているのかもしれない。皆が苦況に陥っていたとき、長い旅の途上だったのかもしれないではないか。大いにありえることだった。
私は村で一番の丘に登って、全体を見渡した。彼のテントが見えるかもしれないと思ったのだ。
それどころではなかった。
緑色の小さな姿が目に入った。風塵にまみれ、汚れ、元の色が分かりにくい、帽子と服。
彼だ。
そうだ、彼だ。
* * *
肺が焼け付きそうなくらい、私は走った。こんなに走ったのは、村を出て以来、初めてのことだった。
私は彼の名を叫びながら、走った。へーい、へーい、という呼びかけが喉からほとばしる。
いつものように、彼はひとり川辺に腰を下ろし、釣り糸を垂れている。その背中が、何と懐かしかったことだろう。
私は走った。名を呼びながら。
風が強い。私の声は散らされて、彼のところまで届いていないようだった。
彼の背後で私は足を止めた。
彼は何というだろう。彼のようになりたくて、なにがしかの役割を担いたくて、私は村を飛び出したのだ。だが、私は今ここにいる。打ちひしがれた野 良犬のように。その私に彼は何というのだろう。それが怖かったのだ。
自分の居場所を探し、自信を求め、旅立っていった私。その居場所は、見つけることができなかった。やはり私の居場所は、この村にあったのかもしれ ない。まだ、遅くはない。間に合うはずだ。
ねえ、こっち向いて。
私は子どもの頃に戻ったように心の中で呼びかける。言葉を出さずとも、彼とは通じ合うことができた。私たちは親友だったのだ。
いくら私の心が荒み、外見が変わり果てたものになっていようとも、彼ならば私を私と認めてくれるだろう。かつての母のごとく。
そうに決まっている。そら、今にも振り向いてくれそうだ。そうだ、彼は生きてくれている。私を待ってくれている。にこりと笑ってくれる。
あるがままにあるように。彼の生き方はそのようなものだった。彼ならば私を責めないだろう。
責めるどころか、いつものように、彼はこう迎えてくれる。穏やかな笑みとともに。
「やあ、ムーミン」
と。
そうに決まっている。
私が最後の一歩を踏み出そうとしたとき、風が一際強く吹いた。彼が身じろぎをしたように見えた。風が私の気配を、強い想いを運んでくれたのかもし れない。
彼の首がゆっくりと動き、
そして――
* * *
「栄光に向かって走る……あの列車に乗って行こう……はだしのままで飛び出して……あの列車に乗って行こう……土砂降りの痛みの中を……傘もささず 走って行く……嫌らしさも汚らしさも……剥き出しにして走って行く……」
(引用:The Blue Hearts“Train Train”)
Ver.1.5 1999.12.5.