みかん狩りの日

 

天野 景

 

 

レイディ・メイとケアルに――

 

 

 1.

 一年前の今日、兄が死んだ。

 みかん狩りの途中だった。

 食い荒らされた死体を他の者が連れて帰ってきたけれど、僕は見もしなかった。ただ、兄だったものにとりすがるようにして悲嘆に暮れているサツキの 声を聞いていただけだった。

 

 

 2.

 一年後の今日。

 僕は兄の形見のR−12式を握りしめる。

 今日は、みかん狩りの日だ。

「サツキ、行こう」

 僕は彼女の名を呼んだ。

 狩人となるためには、成人の儀式を受けねばならない。つまり、みかん狩りが解禁になる日に相棒を連れて森に入り、みかん狩りを行うことだ。この 日、森に入るのは、儀式を受ける者だけになる。

 狩人の儀式を受ける者などほとんどいない。二年連続など歴史的な出来事だ。

 原因はいくつかある。適性者がなかなかいない、ということがひとつ。これは「パートナー」との相性や能力による。また、狩人は生きている限り英雄 扱いだが、その性質上、確実に性的不能者になる。適性を持っていたとしても、後込みする者も多い。その上、常に死と隣り合わせの生活だ。さらには廃人とな る危険性も高い。

 だが、僕は狩人の通過儀礼を受けようとしている。

 背の袋には、一日分の食糧、救急用品、発煙筒、果汁の搾り器、そしてガラスの瓶がひとつ。

 みかんの実はよく知っている。みかん狩りでは、それをつけた樹を探せばいいはずだった。そうしてガラス瓶にいっぱいの果汁を搾り取って戻ってくれ ばいい。簡単なことだ。

 もちろん、森に入ることがいかな危険を招くかは僕もよく分かっている。年間、相当数の死人が出ている。その大半は狩人以外の素人だが、狩人の死者 もいないわけではない。

 そもそも森は、僕らの感覚を狂わせる。視野を狭め、音を断ち、嗅覚も麻痺させる。反応速度が遅くなり、内臓の動きすら鈍くなっていく。その上、電 子機器はいかなる状況でも使用不能だ。元々、電子機器を妨害するようなものがこの地にはあるらしい。大開拓時代の遺物だという説もある。専門家の話では、 電子的な不安定さが人間に悪影響をもたらすという。理屈はよく分からないが、危険だということは分かる。極端な話、森に入った途端心臓をやられてしまう者 さえいるのだから。

 ただ、狩人は別だ。狩人にはパートナーがいる。パートナーたちは、先天的に森に狂わされることはない。しかも狩人と共鳴することによって、狩人の 五感の狂いを中和することができる。いわゆるクァール効果だ。もっとも、電子機器と共鳴するわけではないから、そちらの使用不能は変わらないが、狩人は森 以外と同じように動けるのだ。

 もっとも、危険がそれで完全になくなるわけではない。兄は優秀な狩人になるはずだった。だが、この儀式を成し遂げることはできなかった。狩人と て、危険なことには変わりがない。

 みかんの急騰にともなって近年、素人狩人が急増し、死者の数もたちまちとんでもないものになったため、去年は協会の方で部外者の森への立ち入りを 強力に禁じ、解禁日まで結界を張ったほどだ。

 それでもみかん狩りをやるのは、僕らの村が、それに頼って生きているからだ。

 村にもみかんはある。だが、それらは基本的に野生種よりも格段に質が落ちる。村を支えているのは、山にある野生のみかんなのだ。今年の夏は、暖か かったから、みかんの実もたっぷりなっているだろう。もし冷夏だったら、みかんの害はとんでもないことになる。

 僕の声に応え、相棒はすぐにやってきた。僕はR−12式の重みを両手に感じながら、森の入り口を眺めた。広い、森だ。このどこかに、兄を殺した相 手がいる。昨年他の誰かに殺されていなければ、だ。

 僕は、サツキに頷きかけると、森の入り口へ向かって歩き出した。

 

 

 3.

 辺りはどこか、ぴりぴりした空気に包まれていた。

 森に入ってしばらく経ったが、目当てのものは見つからない。もっと奥まで行かないと駄目なのだろうか。みかんはよく日光の当たる場所で育つ。だ が、森の周縁には存在していない。今僕らが歩いているところは、薄暗くじめじめしていて、とうていみかんにとって好ましい環境とはいえなかった。

 どこにみかんの実があるのか。そういった場所がどこなのか。他の狩人たちは、情報を僕に与えてはくれなかった。自分で苦労して探すのも、儀式のひ とつなのだ。そして実を獲るための危険を乗り越えることも。R−12式はそのためにある。

「どこなのかな」

 僕はさっさと前を行くサツキに話しかけた。サツキは足を止め、こちらを振り向いた。まだ共鳴は浅いものなので、僕にはサツキの思考が分からない。 が、軽く首を振る彼女は、

「無駄口を叩かない」

 とでもいっているようだった。

 探索を続けるうちに昼時になり、僕は弁当を使うことにした。サツキの分も取り出す。彼女は食事をしながらも時折辺りの様子をうかがっていた。当た り前だ。こんなときに襲われでもしたら目も当てられない。狩人よりもパートナーの方が、そういった警戒により向いている。

 僕は弁当を食べながら、R−12式の弾倉をまたチェックした。旧式だが、儀式にはちょうどいいし、いずれにせよ、電子制御の最新式など使えるはず もない。

 弾丸は全部で60発まで携帯が許されている。弾倉は12発入りだから、全部で五つ。うち、ひとつは、兄がまったく撃てずに残っていたものだ。12 発詰まったまま、兄のR−12式、つまり今まさに僕が持っているやつにセットされていた。実際に使うことを想定して、というよりも護符のつもりで持ってき た。他のは腰に装着したが、兄のものだけは懐にしまう。

 狩人の仕事で、60発も弾丸は必要ない。そこまでして仕留めることができなければ、おそらくすでに終わっている。いくらパートナーがクァール力を 解放させたとしてもだ。それほど苛酷なことなのだ。

 ことに弾丸を撃つ際、狩人は恐ろしく神経を集中させている。深共鳴をしている状態でこれをやると、精神にかかる負担は極度に大きくなる。勘所を心 得ているベテランの狩人でも一度狩りを行うと、外的に無傷であったとしても、帰ってきてから数日は廃人同然になる。言葉は通じず譫言を漏らし、暴れる可能 性から寝台にベルトで固定され、排泄物は協会所属の介護者に世話をされ、栄養は点滴で補う。下手をすれば、数日どころではなく、ずっとそのまま廃人になっ てしまうこともある。60発も、新米の精神が保つはずはない、というのが協会の判断だった。事実、過去に森の中、クァール効果の下にあっても負担に耐えき れなくなって、発狂する例も皆無ではないのだ。

 それに獲物を仕留めるためには、そう弾丸は必要ない。パートナーとうまく連携すれば、一撃で終わらせることもできる。

 一撃――。

 そういえば、兄は、生前、高価な弾をひとつ持っていた。銀色に光るそれを自慢げに僕に見せてくれたことがある。そんなことを思い出した。兄は持っ ていた金をはたいて旅の商人から購入したのだ。当然ながら儀式の前だ。

 たしか解禁日の前の晩だったろうか。いつもは無口な兄が、妙に浮かれていた。

「こいつはダンダ弾といってな、像をも一撃で粉砕するほどのものだ。高かったんだぞ」

 像って何? そう僕は問い返した。

「そんなことも知らないのか。像ってのは、ずっと南のスタト山にいる石とか金属でできた怪物のことだ」

 そのダンダ弾がどうなったのか、僕は知らない。おそらく、それを使っても、兄を襲ったものには勝てなかったのだろう。兄は儀式を完遂させることは できなかったのだから。

 サツキが僕を促した。食事を終えたようだ。兄のことを思い出したせいか、僕は食欲がなくなったので、食べ残しを包み直した。

「分かったよ。そろそろ動こう」

 昼をとうに過ぎている。夕方までに何とか成果を上げて、帰還したいところだった。森で夜を過ごしたいとは思わない。

 

 

 4.

 目の裏をくすぐるような感覚に、僕は緊張した。すぐにそれは眼球を押し出したり、押し込んだりといった風になる。耳が水を注ぎ込まれたような音で 満ち、鼻は鼻でむずむずしだす。

 共鳴が、次第に深くなっていく感じだ。獲物が近い、ということだ。獲物が近くなって、パートナーがそれを感じ取り、条件づけられた反射で、深共鳴 が始まる。

 共鳴に応じる力がなければ、狩人になることはできない。それは掟だ。パートナーなしでは、森に入って無事に出てくるという保証はまったくないから だ。

 共鳴能力は、血筋にはよらない。村では共鳴できない者が大多数だ。幸い、というべきか、僕も兄も共鳴能力者だった。兄は狩人になろうとした。僕は 狩人になろうとしている。

 深共鳴に入ると、さらなるクァール効果によって世界が僕の周囲で広がる。だけでなく、五感すべてが重なり合う。僕と、サツキと。例えば、僕の目か ら見える光景とサツキの目から見える光景が、まったく同時に見え、しかもそれを見分けることができるのだ。むろん、最初からできるわけではなく、厳しい訓 練があったればこそ分離できるのだが。同時に、これは脳や神経に相当な負担をかける。だから、獲物が近づくまで深共鳴はできないようにしてある。

 深共鳴が始まると同時に、サツキのクァール力が解放されたはずだった。種族的に封印されていたクァール力は、もうサツキたちの代ではかなり薄まっ ている。だが、それでも十分だ。

 大開拓時代のように純粋なクァールはもう存在しない。いるのは、地球種と掛け合わされた、クァールの血を引くパートナーたちだ。パートナーたち は、純血クァールよりも能力的に劣るが、協調性がある。すなわちそれは共鳴がしやすいということであり、分かり合えるということだ。

 サツキの叱咤が、頭の中に響く。深共鳴に入って、しばらくぼんやりとしていたようだ。彼女は、厳しい教師でもある。兄の相棒でもあったのだ。だか ら、よけい僕をまっとうな狩人にしようとしている。同時に、彼女は相棒たる僕を死なせたくないと思っている。狩人になるのは、死の危険と隣り合わせに生き ることでもある。それでも僕は、やりたかった。兄は、何を見たのか。何を考えたのか。幸い、僕は狩人の訓練過程を無事に終え、最後の試練に望んでいる。こ こまでは、兄も来た。僕は兄を乗り越えるつもりだ。

 獲物が近いことは、分かっている。彼女に分かっているのだから。

 僕はR−12式をいつでも撃てるように準備した。予備の弾倉は腰。お守り代わりの弾倉が入っている懐をぽんと叩く。

 サツキの先導で藪を掻き分ける、進む。中腰なのは、いつでもどの方向にでも移動できるようにだ。

 藪を先に抜けたのは、もちろんサツキだった。

 サツキの目に、目標が見えた。

 彼女の視界と僕の視界は重なっている。僕には同時に見ることができる。たとえ僕の視界には映っていないものであれ、だ。彼女も同様だ。

 僕は慎重に視界を補正し、狙いを定めた。藪の向こうに、獲物がいる。彼女が見ていて、僕にはまだ見えない獲物が。それは、みかんの実がすぐそばに あるということにつながる。

 どうやら食事の最中らしかった。食っているのは、鹿か何かだろう。のしかかるように鹿を固定し、鋭い牙を打ち込んで肉を剥いでいる。ひょっとした らどこか別の場所で待っている子どものために食いちぎった餌を運ぼうとしているのかもしれない。鹿には不運だったが、僕らには幸運だった。やつはその場か らほとんど動かない。

 狙いを少し修正する。

 大きい。

 僕は呼吸を整え、引き金を引こうとした、そのとき――

 それが見えた。

 R−12式が僕に応え、火を噴いた。肩までずん、と反動が来た。身体全体でそれを受け止める。

 同時にサツキが狂ったように飛び出している。

 弾丸は、外れたようだった。

 相手はこちらに気づいた。どう反応するか見極めもせず、僕は夢中で撃ちまくった。興奮状態に陥っていた。こんな風に弾を無駄にするのは狩りの常套 ではない。だが、僕の手は止まらない。

 サツキは弾道を知っている。僕もサツキの動きは分かっている。だから、彼女を避けて、かつ獲物を狙うことはたやすい。

 興奮した僕はそんなことすら頭から飛んでいた。サツキに当たらなかったのは、単に運がよかったからだ。何しろ深共鳴に入ったため、サツキも同じ状 態だった。どちらかだけが原因ということではなく、どちらも興奮を増幅しあっていた。

 いくつかの弾が、命中したらしい。だが、獲物の鱗状になった外皮を少しはがしただけだった。

 冷たい音とともにR−12式が止まり、弾が出なくなった。

 僕は舌打ちとともに、空の弾倉を引き抜き、新しいのを叩き込んだ。

 運が良かった、というべきだろう。相手は、その隙に逆襲に転ずることもできたのだ。だが、相手は逃走を選んだ。

 あいつ、あいつ、あいつ――!

 突き刺すように、サツキの思考が繰り返す。僕は隠れていた藪から出た。

 あいつか、あいつか。

 僕の思考もサツキのそれと混じり合ってる。僕にも分かっていた。

 外皮が散らばり、体液が染みになっている。

 僕は体液を指ですくい、舐めた。柑橘系の味だ。

 それから相手の逃走した方角を見る。藪が大きくえぐられ、地面が荒れている。十本を越える脚枝の跡だ。

 追跡は容易に見えた。しかも、何発かは確実に食らわせた。

 僕は、サツキを持ち上げ、肩に乗せた。サツキは小柄だったし、僕は肩幅が広い。たやすいことだ。

「ああ、分かってるよ」

 あいつは、たしかに実をつけていた。すべてがそうだったわけではない。だから、最初は分からなかった。でも、僕は見た。ということは、サツキも見 た。

 やつの冠枝になっていたみかんの実の一部は、僕らがよく見る色ではなく、真っ赤な実だった。

 いかなサツキとて、相棒を殺した相手を見て、平常でいられるわけではない。僕は、それを訓練のときから知っていた。サツキは、表面上冷静を装って いるが、共鳴相手たる僕に隠せるわけがない。

 赤い実をつけるみかんは、前年人を食らったやつだ。人の肉を食らい、血をすすったみかんは、翌年その成分が実の方にいくらか出る。赤い実は、他と 同様に一年限りで落ちることになる。

 毎年、狩りで人死にが出る。昨年は、珍しく、その数が少なかった。去年から素人狩人が森に入ることが厳重に禁じられたからだ。

 昨年、みかんに食われたのは、儀式に挑んだ、僕の兄だけだった。

 鹿の死体や柑橘系の臭気は、森に棲息する他のやっかいなものを引き寄せる可能性がある。それに僕はあの獲物を逃がすつもりはない。

 僕は追跡を開始した。

 

 

 5.

 サツキが僕の肩から下りた。

 もう大丈夫、というように僕に頷きかける。

 強がっているのが分かったが、僕は放っておいた。

 サツキの奥で熾きのように怒りが燃えている。僕だってそうだ。

 昨年の出来事を、僕は知っている。サツキと共鳴する以上、それを彼女が隠すことはできない。僕は自分のことのように、それを見、聞き、感じた。

 あのとき、サツキは敵の一撃を浴びて倒れた。クァール力によって、相手の外皮はえぐられてかなり消滅していたが、動きを止めることはできかった。 彼女は、自分が動けないまま、兄が食い殺されるのを見ていたのだ。僕は自分のことのように、その光景を思い出すことさえできた。

 だから、サツキの怒りは僕の怒りでもあった。

 大きなみかんは、残す跡もそれなりに大きい。脚枝の数が多いだけでなく、太いからだ。

 僕はまだ熱を持っているR−12式に視線を落とした。旧式だが、反動がこの手のものにしては少なく、使い勝手がいい。兄が持っていたものだ。これ でまさか、同じ相手を狩ることになろうとは思ってもいなかった。

 追っているうちに、神経が集中していく。深共鳴はいまだに続いている。まるで、この山にいるのが僕とサツキと、そしてやつだけのように思えてく る。

 それは危険だと、少し先を走りながらサツキが警告する。もちろんその通りだ。この山にいるみかんはあれだけではないし、他の野生動物だっている。

 一流の狩人は、そういった周囲にも注意を払いつつ、獲物に集中できるという。兄の言葉だ。兄は、そうだったのだろうか。

 サツキの悲鳴に似た思考。

 かすかな臭いを僕は感知した。前を行くサツキが驚きを発するのとほぼ同時だった。

 僕は、彼女の目を通して見た。突然、脚枝の跡が途切れたのを。

 僕は、彼女の鼻を通じて嗅いだ。すぐ横の藪から柑橘系の強い香りが漂ってくるのを。

 瞬間、僕とR−12式が吠えていた。

「どけ、サツキ――!」

 咆吼とともにみかんが隠れ場所から飛び出し、腕枝を振るった。その軌跡が、サツキを直撃する。

 痛みが僕の脇腹に爆発し、情けないことに僕の狙いはそれた。冠枝のどこかに何発か命中はしたようだったが、枝はひとつも落ちなかった。

 地面に叩きつけられたが、彼女はすぐに起き上がり、その場を離れた。おかげで、みかんの第二撃を避けることができた。

「サツキ!」

 彼女が生きていることは分かっている。だが、声を発さずにはいられなかった。サツキが跳び上がり、みかんを牽制する。

 僕は迷わずまた引き金を引いていた。サツキは、優秀な相棒だ。最初の不意打ち以外、手傷を負っているにもかかわずまったく食らってない。だけでな く、ちゃんと僕が撃ちやすいように補佐をしてくれている。しかも今度は、お互いに怒りで我を忘れているわけではなかった。

 サツキの爪が、敵の外皮を引っ掻くたびに、爪の形に原子分解が起こる。封印されていたクァール力だ。小さくても、パートナーを侮ることはできな い。

 R−12式が吐き出した弾によって外皮が弾け、太い腕枝の一本が中程からへし折れた。

 みかんはくぐもった声を出すと、こちらに向かって突進しようとした。あれほどの巨体だ、突撃を食らったら、ただじゃすまない。

 だが、サツキがそれを妨げる。三つある太い知覚枝の前を飛びざま、そのひとつに思い切り爪を立てたのだ。一瞬にして、その枝は半ばから塵に還っ た。みかんに痛覚があるかどうか僕は知らないが、知覚器をつぶされたのは効いたらしい。残った枝の中程から思い出したように体液がどろりとしたたった。

 サツキの手から甘酸っぱい匂いが立っているのが、彼女の嗅覚を通じて感じられた。本来体液さえ爪に当たれば分解されるはずだが、飛び散ったものだ ろう。この体液は、生き物を酔わせる。サツキは平気そうにしていたが、傷のこともある。あまり長い時間は戦えそうになかった。

 だから、撃った。

 こちらの弾丸が尽きる前に、体液を周囲に振りまきながら、またしてもみかんは逃走した。

 早く追え、サツキの思考は僕を駆り立てようとしたが、僕にはできなかった。彼女の止血が先だ。苛立ったサツキは抱き上げた僕の手をひっかいた。幸 い、僕の手は消滅しなかった。相棒にクァール力を使うほどの逆上はしていなかったらしい。これはどちらにとっても良かったことだ。深共鳴している状態でそ んな真似をすれば、彼女も無事ではすまない。

 兄の仇を討たないのか、と彼女の怒りは僕を責めた。

 僕は黙って携帯用の救急袋から包帯と消毒薬を取り出し、止血を始めた。僕だって追いたいのはやまやまだったが、放っておけばサツキが駄目になる。 だけでなく、パートナーの怪我は、共鳴している以上、こちらにも影響する。それに彼女がいなければ、あいつを仕留められるとは思えなかった。

 狩人にはパートナーが必要なのだ。

 次第に落ち着いてきたらしい。

 サツキは、僕の手についた傷を優しく舐めた。

 そのとき、僕はこみ上げてくるものを感じてサツキを放り出し、口を押さえた。指の隙間から、血がこぼれる。

 サツキが騒いでいる。頭から血が引いていく。大地が揺れ、視界が歪む。心臓がとてつもない勢いで鼓動を刻み、血液を送り込んでいるのが分かった。

 弾倉2つ分ほど、僕は生命を削ったのだ。

 しばらく地面に這いつくばって耐えていると、潮が引くようにようやく落ち着いてきた。揺れも止まる。心拍数もだいたい下がってきた。心配そうに見 ているサツキに、

「大丈夫。今度は仕留めよう。仇を討つんだ」

 とはいえ、先程の奇襲には驚いた。脚枝の跡はしばらく行ったところで唐突に途切れていたのだ。おそらく、ある種の獣が仕掛けるトラップだろう。そ のまま後戻りして横合いに隠れ、追跡者を待ちかまえるのだ。しかもその際隠れている藪を荒らしてはいない。

「ずるがしこいやつだ」

 サツキも同感だった。

「そうだな。今度は気を付けるとしよう」

 手当を終えると、僕は弾倉を変えた。まだ2発残ってはいたが、いざ戦いになったときに弾切れというのは怖い。新しいのをセットし、残っているのは 腰に戻した。

 

 

 6.

 追跡は再開された。

 かなり相手は弱っているようだった。地面が脚枝でやたら掘り起こされたようになっているのは、後先見ないで慌てている証拠に見える。しかもその土 は体液でかなり湿っていた。時折、新たにはがれたらしい外皮が混ざっている。

「いい感じだな」

 先程血を吐いた後遺症などまったく感じない。むしろ逆だった。非常な高揚感が足を軽くしていた。

 一歩一歩獲物を追いつめていく快感。初めて味わうその手応えを、しかしサツキは否定する。

 どんなときであれ、一流の狩人は冷静でなければならない、というのだ。どのような感情であれ、それに捕らわれてしまったならば、つけこまれる。そ れに興奮していると精神の負担が大きくなる。共鳴が終わったときの反動もまた。今は大丈夫かもしれないが、後々までそうだとは限らない。

 たしかにその通りだったので、僕は心を静めようとしたが、なかなかに難しかった。

 兄は、こういうときにどうしていたのだろう。

 僕の疑問に、サツキの回想が続く。

 彼女が思い浮かべる兄は、いつも輝いている。彼女がまだ小さいときから一緒に過ごし、訓練を重ねてきた兄だ。

 兄は、ただ生き残ることを考えていた。僕のところへ、彼女と一緒に戻っていくことだけを。そうしたら、興奮が引いていったらしい。

 僕は驚いた。家でもあまり感情を出さない兄が、そんなことを考えていたとは。

 悲しそうにサツキは鼻を鳴らした。 

 僕は、兄が死ぬ間際思い浮かべたものが、僕とサツキのことであったと知った。兄の思考が彼女を通して、僕に伝わってきた。

 不覚にも涙がこぼれそうになった。これはサツキの感情だ。そう決めつけた。

 僕は束の間足を止め、サツキの中に流れた想いを読みとった。

 溜息をひとつついて、また小走りに動き出す。

 その先を彼女がやはり走っている。

 共鳴によって、僕はサツキの感覚を共有している。それによって、大幅に知覚能力が上昇している。

 何だか嫌な予感がする。

 それはサツキの予感なのか、僕の予感なのか。

 先程のような悪辣な罠を仕掛けてくるのではないか。先程と違って、今度は体液の臭いが周囲に満ちている。嗅覚で見分ける、というのは難しい。

 僕は狩ってるのではなくて、逆に狩られているのではないか。そんな気さえしてきた。森は僕らに優しくはない。

 地面の濡れ方は段々ひどくなっているのに、いっかな獲物の姿は見えない。傷口が、動くことによって開き、体液の流出が激しくなっているのだろう。 それでも追跡を振り切ろうとしている。こちらとしては、他のやっかいなやつを招き寄せないうちに何とか仕留めたいところだ。

 僕が足を止めたのは、ぬかるみに足を取られ、転びそうになったからだ。さらに靴の紐がほどけかかっている。

 こちらが止まったことで、サツキも足を止めた。周囲をうかがっている。こんなとき、相棒は便利だ。

 樹によりかかって靴紐に手を伸ばす。と、その樹がどろりと濡れていることに気づいた。

 と――

 ぼとり、と何かがすぐ横に落ちてきた。

 地面に転がったそれを、僕は見た。

 赤い、みかんの実。

 サツキがそれを発見するよりも速く、僕の身体が動いていた。靴紐などにかまわず、跳び退がりながら、上方に向かってR−12式を一気に叩き込む。 弾丸が尽き、僕はすぐに腰の弾倉をセットした。

 同時に、巨体が降ってきた。

 一際地面がぬかるんでいたわけが分かった。と同時に自分の間抜けさも。気づいてしかるべきだったのだ。

 着地したと同時に、みかんの脚枝が鈍い音を立てて何本か折れた。僕の弾が当たっていたのか、体重と落下の衝撃を支えきれなかったのか。体勢の崩れ たみかんにひたすら弾をぶちこむ。

 かちん、と撃鉄の冷たい音がした。

 12発の、弾が、尽きた。

 よろけながらも、まだみかんは立っていた。二十四発の弾を撃ったのに、だ。

 知覚枝のひとつは、さっきサツキにつぶされた。もうひとつ、僕の弾が当たったらしく、体液を垂れ流している。残るひとつが、僕を睨んでいる。太い 腕枝の数本がまだ生きている。脚枝も、何本かつぶれていたが、動けないほどではなさそうだ。

 腰に手をやる。2発だけの、軽い弾倉。この状況ではもはや使えまい。

 そこへ稲妻のようなイメージが視野を切り裂いた。

 あれ――! 兄の。形見。

 サツキの思考で、僕は弾かれたように動いた。懐に手を突っ込む。服のボタンが勢いよくちぎれた。空の弾倉を落とし、古い、形見をセット。

 これで、あと、12発。

 みかんが、よろけた。倒れるのか、と見えたが、そうではなかった。やや前傾ながら、僕の方へ突進してきたのだ。

 みかんを仕留めるのに効果的な方法はただひとつ。

 三本の知覚枝の根本はきれいな三角形を作るが、その中心に、一際分厚い外皮に守られ、中枢が存在している。それを打ち抜くのだ。これはパートナー のクァール力で消滅させてもよいが、小柄なパートナーがそこまで深く爪を立てるか削るためには時間とタイミングが重要であり、やはり狩人の助けがいること は間違いない。

 他の狩人たちがどうやっているのかは知らないが、僕らは経験豊富なサツキが牽制をし、僕が合間を縫うように弾丸をぶち込む、というスタイルだ。

 しかし今、パートナーたるサツキはみかんの後ろにいる。ぬかるんだ足場のせいで動きが取れない。

 僕は、奇妙に落ち着いてくるのを感じた。血が引いていくように、周囲が静かになっていく。

 音が、もう聞こえない。

 敵しか、もう見えない。

 R−12式を構え、撃つ、撃つ。

 牙が数本まとめて吹き飛び、口腔内で暴れ狂った。

 引き金を、引き、引き、引いた。撃った。

 折れた腕枝が、根本から吹っ飛んだ。外皮がはがれ、内部に灼熱の弾が潜った。みかんの腕枝がひとつ、折れた。口腔内に跳ねるようにして飛び込んだ 弾丸は、中をずたずたにした。みかんはひるまない。やや斜めになっているせいで、こちらから狙いにくい。

 あと6発しかない。

 僕がいかに落ち着いていたとて、残弾数にまで注意していたわけではない。これはサツキだ。サツキの位置からではもはや何もできない。警告を発する のみだ。

 これだけは僕が対処しなければならない。

 僕の腰には山刀がある。腰には2発だけ入った弾倉。

 もし間抜けにも突進を食らったならば、即死だ。もちろん、そんなものをまともに受けるつもりはない。

 兄の形見の弾を全弾撃ち尽くし、それでも駄目なら山刀を使う。突進を避けた上で、だ。一瞬のうちに噴き上がった計画はそれだけだった。

 その計画に従って僕は、R−12式の引き金を、

 引く。引く。

 外皮が吹き飛び、弾は内部に滑り込んだ。体液が噴き出す。知覚枝のそばに命中した。突進は止まらない。

 あと4発。

 撃つ。

 外皮に弾かれた。

 3発。

 サツキの思考は悲鳴に似ていた。僕は構わず、

 撃つ。

 引き裂かれた知覚枝のそばに弾はめり込んだ。

 今度は悲鳴そのものだった。サツキは僕と兄を重ねて見ていた。

 僕の心は冷たくなっていた。機械的にR−12式を、

 撃つ。

 もう肉薄していたみかんの最後の知覚枝が吹っ飛んだ。ほとばしる体液は、柑橘系の臭気を振りまきながら、僕にも飛んできた。

 サツキが僕の名を叫んだ。

 僕は、最後の一発を放った。

 同時に横に跳ぼうと構えていたため、その一際強烈な反動に耐えきれなかった。僕は踏ん張りきれず、斜め後方に吹っ飛んだ。それが、結果として僕を 救った。

 地響き。

 音が戻ってきた。耳元で轟々と空気が鳴っている。いや、これは僕の血と鼓動の音だ。

 みかんが倒れていた。

 まったく動かない。

 後方に弾け飛んでいなければ、僕はあの巨体に潰されていただろう。

 僕はR−12式を杖代わりにして立ち上がる。山刀を抜いた。おそるおそるみかんに近づく。幹が斜めにくり抜かれたように消失していた。中枢もろと も、後ろまで抜けている。

 ひとつ、疑問が解けた。

「この中に残ってたのか」

 僕は空になったカートリッジを取り出し、見つめた。

 自慢していたダンダ弾を兄は結局使わなかったのだ。使えなかったのだ。その行方がやっと分かった。なるほど、これなら像さえ一撃で倒せそうだ。像 が何であれ。

「終わった」

 へたりこんだところへ、彼女が駆け寄ってきた。

 僕はサツキを抱きかかえた。

 ぺろぺろとサツキが僕の顔を舐めた。すでに狩りの緊張がほどけ、深共鳴は解けていた。だが、サツキの気持ちはよく分かる。

「仇が、討てたよ」

 僕はまた立ち上がり、冠枝に近づいた。疲労が全身にのしかかっている。が、それも苦にならなかった。ぞくぞくする底知れない満足感を、僕は味わっ ていた。サツキも同じだ。

 みかんの実がなっている。僕は袋から搾り器を取り出した。山刀で実を切り取り、二つに割って、搾り器にかける。搾った汁を、ガラス瓶に移す。実ひ とつくらいでは、瓶は満たされない。いくつも実を切り取り、搾っていく。

 あまり時間はかけられない。臭いを嗅ぎつけて、何かやってこないとも限らない。どころか、すでに何物かがこちらをうかがっているような気がしてな らなかった。それが何なのかは確かめたくもない。こちらの武器はサツキの爪と2発の弾丸と山刀。早くここを立ち去るに越したことはない。

 そこへ今度は腰が砕けるような疲労感と眩暈が襲ってきた。また吐血しそうになるのをこらえる。僕は疲労をしばしでも追い払うために、倒れたみかん を切り取り、口に含み、体液をすすり、搾った実の滓を食べた。これでしばらくは保つ。もう少し余分に切り取り、さらに実が余ったら背負いの袋に入れる。森 を出るまでは大丈夫だろう。

 それからまた搾り器と格闘する。

 にゃぁん、と足下で声がした。サツキだ。

 サツキがくわえているのは、みかんの実だった。赤い、実だ。

 先程、僕らを救ってくれた実だ。そして、兄の、実だ。

 おそらく、横合いから奇襲をかけられたときに撃った弾が、冠枝を痛めていて、それが落ちてきたのだろう。だが、落ちてきたタイミングは、絶妙だっ たといってよい。もしその赤を見なかったら、僕の反応はわずかばかり、そして致命的に遅れ、みかんに潰されていたことだろう。

「分かったよ」

 僕は実を受け取り、それを搾り器にかけた。血のような果汁が出た。それをガラス瓶に移す。赤は、みかん色の液体に混ざって、やがて、見えなくなっ た。

 

 

 7.

 何年かぶりの新しい狩人の誕生ということで、数日間ぶっ続けのお祭り騒ぎとなった。もちろん、僕は共鳴の後作用で寝たきりになっており、祭の最終 日にしか関われない。それまでの祭は、村人たちのものだ。

 寝ている間、ずっとそばにサツキがいてくれた。朦朧とした意識の混濁の中で、たしかに僕は彼女の存在を感じていた。狩りのとき、僕とサツキはひと つだった。寝ているときもそうだ。常に彼女を感じていられる。あれほどの、そしてこれほどの合一感を他で味わえるだろうか。僕は起き上がることができな かったが、サツキがいると感じるだけで幸せだった。僕たちはすでにしてひとつなのだ。彼女が猫だなんてことが、何の問題になるだろう。

 今、協会に登録されている狩人は、僕も入れて14人だ。この幸福を味わえるたったこれだけの狩人が、村を支えているといっても過言ではないのだ。

 祭の最大の催しは、僕の儀式の完遂だった。ようやく歩けるようになった僕は、小さなサツキに先導されるように雛壇に登る。

 僕は皆の注目を浴びながら、ガラス瓶の栓を抜き、中身をゆっくりと飲み干した。

 これで、僕は狩人になった。

 たった、これだけだ。

 たったこれだけで、僕は狩人になり、兄ともひとつになった。

 僕は口中に残ったかすかな血の味を、そのまま喉に落とした。喝采を浴びながら。サツキの誇らしげな視線を感じながら。

 

 

 8.

 今日、母が死んだ。殺された。血をすすられ、肉を食われ、あまつさえ、卵をつぶされ、搾り取られた。

 ぼくらは、母をむさぼりながら、灼けつくような怒りに駆られていた。

 今度はこっちの番だ。

 あの、吸血鬼め。

 吸血鬼め。吸血鬼め。

 ぼくらは吸血鬼どもを殺す。必ず。

 あいつらの真っ赤な血をすすってやる。肉をくらってやる。

 殺す。殺す。殺す。

 搾り取ってやる。

 

Ver.1.5. 2000.1.24.

Ver.1.51. 2002.7.7.

 

*作中に出てくる「クァール」は、SF作家ヴァン・ヴォクトの小説『宇宙船ビーグル号』に出てくる生物です。

 

 

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