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悲劇の幕は、ゆっくりゆっくりと上がって行きつつあったのに、その兆候に私たちの誰一人として、それに気づかなかった。気づいたときには、すでに遅かった。
新アスカ人たちの発達ぶりはめざましく、私たちでさえ驚くほどであった。ところが、彼らの間で、奇妙な病気が見られるようになっていた。細胞の一部が変質し、機能しなくなるのだ。その狂った細胞は、自己を増殖することを唯一の目的としているようで、いつのまにか人体の重要な器官が侵され、乗っ取られて機能を停止しているという具合なのだ。東の地から伝わった医術もこれを治すことができなかった。水晶を使った麻酔も短い時間しか効果がない。早期発見して患部を切除すればどうにかなるのだが、遅すぎると手もつけられなくなっている。それによほど幅広くやられるか、器官が侵されない限り痛みもあまりなく、初期は自覚症状もないから発見しにくかった。全体では、かなりの割合の新アスカ人たちが、この病で死んでいった。私たちは、このような病気など今まで聞いたこともなかった。風土病だろうか、それとも何か特殊な原因があるのだろうか。
これだけではなかった。工場の出す廃液や廃ガスは、かつて「青の天幕」がそうであったようにじわじわと環境を汚染し、生態系を破壊していた。暴力が時代の風潮となり、風俗は乱れ、人々は一時の快楽を追求するようになり、その心は荒んでいった。人と人とが争うようになり、そのための産業が発達し、多くの人が犠牲になった。その弔いのためにまた戦いが起き、人が死んだ。悪循環である。さらに、そういった争いはエスカレートし、私たちが目覚めてみると、大陸の中で戦争が発生するという始末。中には目覚めていた真アスカ人が殺されるという事件もあった。戦うことを専門とする軍隊が作られ、軍需産業は潤った。戦争が大陸中に拡大する頃には、武器や兵器はかなり進歩しており――例えば焼き尽くすまで消えない炎だとか、生物のみを殺す兵器、人を一瞬にして蒸発させるような高熱を出すばかりか、その光を浴びた者にまでも致命的な害を及ぼす武器だとか――、戦いはいっそう陰惨なものになった。
人々が大勢死んだ。大地は荒れ、天は騒いだ。大海がもがき、風が悲鳴をあげた。
人々の大部分は自らの力におごり、アスカ文明をここまで築き上げたのは自分たち自身であったと思い込み、私たちが知識を伝えたことも、それどころか私たちの存在すらも否定してのけた。
私たちは、「楽園」のあまりの変わりようにショックを隠しきれなかった。いったい何が起こったというのか。何が彼らをこのようにしてしまったのだろうか。
そこへ追い打ちをかけるようにデ・リードさんからの報告があった。彼は、「角獣」が衝突したとき以来、ずっと星の海についての観察と研究に没頭していた。その報告の後半は予測に過ぎないものだったが、私たちを動揺させるのに十分な内容だった。ずいぶん前に「角獣」は「輝きの海」を砕いたのだが、そのときの衝撃で大きく弾き飛ばされ、アスカから離れて彗星と化していた。その軌道はきわめて不安定なもので、ふらふらとこれまでしたいたのだが、とうとう惑星の一つに衝突してしまったと言うのだ。それは「輝青」よりも太陽に近いところを公転している惑星で、夕暮れや明け方に一際輝くことから「導光」と呼ばれていた。「角獣」の激突によって「導光」は大きく軌道を歪め、近いうちに「輝青」に異常接近すると言う。そうなったとき、地上にどのような変化が起こるのか。
デ・リードさんの予想によれば、少なくとも天候の急激な変化や地震、津波などが起こるということである。ただし、どの程度の規模で、どのくらいの期間継続するのかは、見当もつかない。
私たちは、新アスカ人の中から、例の病にもかかっておらず、さらに善良な人々を選び出し、彼らに命じた。「巨大な箱船を造れ」と。正直な彼らは私たちを信じ――信じないような者は最初から選んでいない――、樹を切り、陸地でその丸太を組んで船を造り始めた。私たちが指示したのは、空を飛ぶそれではなく、水に浮かぶ船だった。さらにそれは、非常に原始的なタイプの物だった。機械がいざというときに頼りにならぬことを私たちは身をもって知っている。人々は、彼らを愚か者と決めつけ、嘲笑した。そんなボロ船で何ができる、それに陸を走る船などあるものか、と。彼らは、そのような言葉にもめげず黙々と船を造り続けた。彼らは、主に戦争に反対していた知識階級だった。彼らは彼らなりに研究を重ね、こちらでデ・リードさんが出したのと同じ未来図を知ったらしい。人々に警告しても、まったく聞き入れてもらえなかった。これはアスカでの私たちを思い出させた。
箱船造りの指導は、ほとんどル・ラヴェさんが付きっきりで行った。彼の専門はそもそも航空物理なのだが、船や舟に関しては「曉」、さらに「曉U」の設計をやったことからも分かる通り、かなり詳しいのだ。
丸太を組み、その上にアスファルトを塗り固め、外界から完全に遮断する。数階建てで、その広さときたら、街がすっぽり入ってまだ余るほどだった。出入り口は一階と二階、三階にそれぞれ設けられ、中からのみ開くことができた。内部には、食糧や発電機やその他生活に必要な設備が整えられた。
私たちは、彼らを急がせた。ここしばらく、天候の様子がおかしかった。もしかしたら異変の前兆ではないのか。事実「導光」はかなりの距離にまで迫っていた。再びアスカが滅んでしまうという恐怖が私たちを震えおののかせた。
焦りと緊張の中で、箱船がとうとう完成した。私たちは、「輝青」を襲うであろう、未曾有の災害から生き物たちの種を守るため、彼らにすべての生物――動物に限らず、植物までもそこに含まれた――をひとつがいずつ箱船に積み込ませた。箱船の中は、「輝青」の縮図となった。
もはや、災害はそこまで来ていた。「導光」は血の色を思わせる夕焼けの中で目に見えて大きく、不吉に輝いていた。
船を造った人々は、その中に乗り込み、あとは扉を閉ざすだけとなった。彼らは、改心した他の人々がそこへやって来るのを期待していたのだが、期待された方は、ただその日その日を欲望の赴くままに生きていた。
私たちはと言えば、「虹の翼」の所へ集まっていた。ここには、小型の船や舟が多数用意されており、何が起こってもある程度は対処できるようになっていた。そこで私たちは不吉な考えを振り払えないまま、空を見ていた。
そして、天変地異の幕が上がった。
ジジ、ジ………
それは、予想よりもはるかに大規模なものだった。おそらく、文明が不自然に歪めてしまった環境が、それを助長したのだろう。何故このように文明が育ってしまったのだろう。彼らに原因があるのか、それとも別の要素が働いたのか。だが、今はそのようなことを考えている状況ではなかった。
その日、朝から空は血の色に曇り、これから起こるであろう未来を予知しているように思われた。雲は紅く染まったままのろのろと急に密度の濃くなったように見える空を泳いでいた。籠や檻の中で鳥獣たちは狂ったように騒ぎ、暴れ、悲鳴をあげた。わずかに残っていた自然に棲むものたちも時ならぬ叫びをあげて、集団で住処を飛び出し、森を駆け抜け、いずこへか逃げだそうともがいていた。魚たちが濁った海に腹を見せて浮かび上がり、仕事に出た漁師たちをぎょっとさせた。海水の温度が極端に上がり、まるで温泉が湧いたかのようだった。ここまで来ると、敏感な人々は何やら自分たちの理解を絶するようなことが起こるのではないか、と不吉な想像を始めるのだが、すでに避難する時機を逸してしまっていた。
真の災害は昼前頃にやって来た。突然大地が鳴動し、身体が宙に浮かぶほどの強烈な地震が来た。紅かった空がどす黒く分厚い雲に覆われ、稲光が荒れた天を彩り、滝のような土砂降りが襲ってきた。大陸中の建造物は、大地の最初の揺さぶりですべて倒壊し、液状化した地面は多くの生命、そしてその彼造物を破壊した。
大地の狂おしい叫びは、ますます激しく大きくなり、地形が完全に変わったところもあった。天は、短い時間で姿をくるくると変化させ、豪雨と強烈な日差しが繰り返し大地を痛めつけた。
後に分かったことだが、「導光」によって、「輝青」の軌道や自転に異常が出たのだった。地軸の均衡がほんのわずか壊された。それで十分だった。
そういった異常にともない、各地を猛烈な嵐が襲い、津波がやって来た。さらに大地の底で流動していた物質の流れが急変した。その変化によって地磁気が揺らぎ、上空で太陽光の有害な部分をカットしていた大気のいくつかの層が消滅した。毒素を含んだ光が地上に降り注ぎ、多くの人々や動物や植物を焼いた。私たちの中でも、非難の遅れた者がまともに陽光を浴び、死んだ。「輝青」のすべての生命を慈しみ、育ててきたはずの太陽は、今や致命的な敵となっていた。
ル・ラヴェさんは、箱船の連中が心配だと言って奥さんと娘を連れて、小型の船で出て行ってしまった。
そして、
「どこ行く気だ、デ・フォン」
私の親友は、銀色の環境適応用スーツ――これもこの環境ではどれだけ役に立つのかさっぱり分からなかった――を着て街の方へ行こうとしていた。
「やっぱりさ、俺たちは、あいつらを助けるべきだと俺は思う。逃げ遅れた連中だって助けてやりたいじゃねえか。やつらだって生きてるんだぜ。俺たちだけ助かっても寝覚めが悪いだろうが」
「しかし、街に行ったら多分お前も死ぬんだぞ、分かってるのか」
「かまわんさ。俺はもう十分に生きた。今まで楽しかったぜ、ク・ラース。シ・ヤンをちゃんと守ってやれよ」
「馬鹿野郎……」
ヘルメットの中で、かすかにデ・フォンの顔が笑ったように見えた。
「じゃ、な、親友」
彼は舟――「曉U」は別の小型の船に積まれており、これは別のタイプだった――に飛び乗ると、街の方へ消えていった。彼は、二度と帰っては来なかった。
さらに私を打ちのめすようなことが起こった。シ・ヤンが倒れたのだ。太陽光だ。スーツはやはり万能ではないらしい。私は彼女を抱きかかえると、私たちの小型の船へと運び込んだ。すでに、彼女は虫の息だった。彼女は譫言のように、私と息子の名を呼んだ。私には、その手を握りしめてやるくらいのことしかできなかった。息子はまだ幼かったので、訳も分からずに私の胸に抱かれておびえていた。
妻は、私の幼なじみは、やがて死んだ。私の目から涙がこぼれた。私は、デ・フォンとの約束をも守れなかった。私はこの日、いくつの大切なものを失ってしまったのだろうか。
私は、しばらくの間呆然として自分を見失っていた。できることなら、彼女や、消えていった親友の後を追いたいと思った。だが、息子の泣き声が私を現実に引き戻してくれた。そうだ、私はこの子のためにも生き延びなければならない。息子を守らねばならないのだ。私は今日多くのものを失ったにしても、まだ息子が残っていた。
シ・ヤンの身体をカプセル――この船には、カプセルの他、「曉U」ともう一回り小型の艇や食糧など最低限必要なものは積まれていた――に横たえて機械を作動させた。内部が曇り、彼女の姿はぼんやりとしか見えなくなった。
私は、船を操縦すべく座席に着いた。小型とはいえ船の操縦は、舟とは少し異なるのだが、私はとうにその動かし方を習得していた。アスカにいた頃は船の免許を取ってアスカ中を旅してみたいと思ったものだが、「輝青」に着いてからは、星の海を自分の技量で渡ることはできなくなってしまった。「輝青」には空を越える船を造るだけの技術は発達しなかったのだ。それが、妙に心残りだった。
私は、計器をチェックし、船を始動させた。他の真アスカ人たちは、この地を脱出したのか、とうに姿は見えなかった。
私が飛び立つとすぐに、どんな建物よりも高い圧倒的な水量の津波がやって来た。危ないところだった。
地上では、どこでも地獄絵図が展開していた。アスカの大陸は津波と地震、火山の噴火によってぼろぼろにされていた。私は、デ・フォンの乗っていた舟を眼下に求めたが、無駄だった。
大陸の外には、津波に押し流されたのだろう、あの箱船が荒れる海に漂っていた。かなり頑丈に造ってあるから、おそらく中の者は全滅ということはあるまい。ル・ラヴェさんたちは、うまく避難することができただろうか。
私は、安全な場所を求めて、船を操った。
ザザッ………
ザザ・ザッ、ザ………
雨は四十日余り降り続いた。諸大陸のかなりの部分が海に沈んだ。天は久々に心地よい色に包まれ、陽光もかつてのように優しかった。災害は去ったように思われた。
私たちは、もっとも南の大陸に避難していた。以前、私とデ・フォンで「輝青」の大地を調査し、地図を作ったことがあったが、その折りにこの大陸に大きな洞窟を見つけたのだ。私たちだけの秘密の場所だった。船を操縦している最中にここを思い出した。幸い、水没することもなく、近くに火山などもなかった。
他の真アスカ人たちは、いや、他の人々はうまく逃げることができたのだろうか?
ここにいるのは、私と息子だけだった。この洞窟に船を止め、私と息子、それに妻の遺体は、不安な四十日を送ったのだ。何せ、いつまた津波が襲ってくるか分からないから、カプセルでみんな寝て過ごすわけにはいかない。この船の防水性は、完全ではない。
災害が収まった後、私は息子を抱きしめて喜んだ。私たちは生き残ることができたのだ。だが、すぐに私の心は悲しみに曇った。シ・ヤンが生きていれば、どれほど嬉しかったことか。彼女は、機械のなかで目覚めることのない眠りに就いているのだ。
私は息子を抱いたまま、また泣いた。
ジイィ………ジッ、ジ………
ふと、私は顔を上げた。誰かが私を呼んだような気がしたのだ。無論、側にいる息子以外にそのような者がいるはずもないのだが、それとも違うようだった。
それがきっかけになったのか、私は、この洞窟の奥を探険してみようという気になった。以前の調査ではそれほど内部までは行ってなかった。スーツを着て、息子を抱き、私は小型艇に乗った。「曉U」を使わなかったのは、奥が狭くなった場合を考慮してのことである。
小型艇は、本当に小さく、三人がぎゅうぎゅう詰めで乗れる程度の大きさであり、操縦するためのレバーに動力がついているだけで、宙図もコンピュータもない。よくこれで飛べるものだと感心するような代物である。
ほとんど宙を滑走するような感じで、艇は洞窟を進んで行く。もっとスピードを出すこともできたが、高速だととっさの障害物などに対応しきれない可能性が大だ。
どのくらい進んだのだろうか。どのくらいの時が流れたのだろうか。私には、どちらも分からなくなっていた。
私たちは、突然大きな空間に出た。不思議な空間だった。私たち以外に誰かがいる。そんな気がした。艇を止める。だが、よく目を凝らしても何の人影も見えなかった。それどころか、上を見上げても天井は見えず、奥もどこまで続いているのかさっぱり分からなかった。何という広い空間なのだろう。地下にこのような空洞があるとは思いもしなかった。
その時、私の頭の中で、何かが弾けた。それは、何と言ったら良いのか、色のついたイメージの塊という感じだった。あるいは、色のついた夢。くるくると色が変化し、イメージも姿を変える。
これはいったい何なのだ?
広大な茶色のイメージ。それが、何となくこの空間を連想させた。すると、どことなく優しい感じの青のイメージが現れた。
私は、唐突に理解した。これは、何者かが私とコミュニケーションを取ろうとしているのだと。また、青のイメージ。どうやら、この青は肯定の印らしい。すると、嬉しそうに揺れながら、また青。
ならば、先程の茶色にも意味があるはず。私がこの空間を連想したときに青が出たならば、会話の主はこの空間なのだろうか。
またも肯定のイメージ。だが、少しばかりニュアンスが違っているようだった。次に茶色がどんどん広がり、青と白のイメージが出現し、それは丸くコントラストを形成する。どこかで覚えがある気がした。それが、どんどん凝縮していくにつれ、私は理解した。これは、「虹の翼」から見た「輝青」に似ているのだ、と。今度こそ、きれいな青が出た。すると、イメージを送っているのは、この空間だけ、ではなく、大地、いや、「輝青」それ自体なのか。
しばらくすると、私はこのイメージの会話を楽しむようになっていた。言葉を使ったものなど馬鹿らしく思えてくるから不思議だ。
大地は、ここを訪れた私を歓迎してくれていた。
(ようこそ、他の星からの客人よ)
イメージを言葉に置き換えるとこのような感じになる。
「何故、私が異星から来たことを知っているのです?」
ついつい言葉を使って答えてしまう。
(私は大地、お前たちが「輝青」と呼んだ惑星だ。お前は自分の身体の上で起こったことに気づかぬことがあるのか? 私は常に見守っているのだ)
なるほど。それにしてもこのように星に意識があるとは驚きだ。
(何故、それほど驚くことがあるのだ。星の身体の一部が、生物とお前たちが呼ぶものを形作っているのだぞ。同じ成分からできている私に意識があるのはおかしいことか)
確かにそれはそうなのかもしれないが。やはり、私には意外だ。星に意識が、生命があるとは。
(ならば問う。生命とはそもそも何なのだ。生きるとはどういうことなのだ、異星からの客人よ)
いきなりそのようなことを尋ねられても、返答に困ってしまう。と、大地が笑った。どうやら、大地は私の思考を読み取ることができるらしかった。
(その通りだ。さあ、私の問いに答えてみよ)
私は考え込んでしまった。
(それは、たしかに定義するのは難しいことだ。私はこう考える)
私は、大地の話を聞くことにした。
(生命とは、お前たちは、動物や植物などと漠然と考えて、そう定義しているはずだ。私は、そのようには考えない。私は、動物や植物だけではなく、土や風、水、火などすべてのものに生命があると思っている。不思議そうな顔をしているな。私は、生命というものを、こう定義している。生命とは可能性を持つものだと。岩は砂などになる可能性を秘めている。風は強くなり弱くなり、水は形を変える。そうだな、言い換えるならば、未来に対して何らかの形で自らの存在の証を残すことのできるもの、と言うことになるか。その証を残す力が、すなわち可能性なのだ。動物も植物も種を存続させていく。ただ、風や鉱物などは、少し形態は違うがな。その顔では、あまり理解してはいないようだな。ふむ、まあ、すべてを理解する必要はない。私がお前を呼んだのは、生命論議をするためではないのだからな)
どういうことなのだろう。
(私は、こういう場所でしか、意思を伝えることができないのだ。お前を呼んだのは、実は言いたいことがあってな)
何だと言うのだろうか。私は首を傾げた。大地が、私に?
(お前たちの星、アスカとか言ったか、それが滅びたのは知っている。だから、お前たちは、私の所へとやって来た。それだけならば良い。だが、お前たちは、私の種子を歪めてしまった)
種子?
(そうだ。お前たちは、私の種子を歪めてしまったのだ)
私には、覚えのないことだった。そもそも惑星の種子とは何なのだろう。
(生物だ)
簡潔な答には、複雑なイメージが溢れていた。それは、猿に似た連中や他の多くの動物たち、いや、植物も含まれたイメージだった。また、先程の生命の話を裏づけるように岩や水やその他のものもあった。
これが、星の種子?
(そうだ。惑星上に存在する生物は、すべて星の種。いつかは進化して、宇宙へ飛び出し、故郷の、親である惑星をどこかで再現する。ちょうど、お前たちがそうであったように。お前たちは、アスカを私の上で再現しようとした。その過程において進化の途上にあったものを歪めてしまった。彼らは進化を遂げたものの、それは不自然なものだった。ことにお前たちが新アスカ人と呼んだ者たちはひどかった。その無理がやがて大きくなり、細胞の病や精神の荒廃、暴力、過剰な欲望や闘争心を招いたのだ。もう、彼らが宇宙へ出ていくことはほとんど期待できない。お前たちが、不自然に手を加えたおかげでな。あの連中が最も有望だったのに、だ)
それは、私にとって、衝撃的な話だった。私たちは、間違っていたのか。だが、他にどうすれば良かったというのか。
(素直に融合すれば良かったのだ。そうなれば、自然お前たちの因子が彼らに混じり、やがてはお前たちの望んだような形となって現れたかもしれぬ。だが、お前たちは強引にことを運ぼうとした。その結果、彼らの可能性を閉ざし、追いつめてしまったのだ)
私は、すっかり打ちのめされていた。私たちが、彼らの可能性を……。
(そうだ。彼らだって生きているのだ。勝手に干渉して可能性を閉ざすということがあってはならないのだ)
彼らだって生きている。それは、私の親友が、別れのときに言っていた言葉と同じだった。
(可能性が閉ざされることがどういうものか分かっているのか。お前だって、自分の可能性が奪われてしまったとき、どう感じる、どう感じた? 彼らは、種としての可能性をなくしてしまったのだぞ)
私の可能性。それは、私の夢見たこと。船に乗って、星の海を飛ぶこと。だが、それは、アスカの脱出、故郷の消滅によって、できなくなっていた。私の中に生じた空虚さ。だが、それは個人的なものでしかない。それよりも遙かに大きな彼らの可能性を私たちは奪ってしまったのか。私は理解した。私は罪人だった。私だけの罪ではなかったが、私の罪でもあった。この罪は償うことができるのだろうか? 彼らの歪みは消すことができないのだろうか?
(方法が、ないわけではない)
私の胸に、一瞬にして歓喜が噴き上がった。
(簡単なようで、難しいことだ)
大地は言った。だが、私はどんなことでもするつもりでいた。病で苦しみ、死んでいく人々を私はこの目で見てきた。可能性を閉ざされた彼ら。未来を歪められてしまった彼ら。それは、種としての生命を奪われたに等しい。先程大地は語ったではないか。生命とは可能性を持つものだと。彼らはそれを否定されたのだ。それが、私たちのせいであるなら、償わなければならない。例えどのようなことをしても。
(お前のその心、認めよう)
不意に、空間のあちこちで、ぼんやりとした光の球が無数に出現した。それは、微妙に色を変え、揺れながら薄暗い空間をゆらゆらと漂ってきた。綺麗だ、と私は思った。と同時にそれを見つめていると、複雑な感情が胸の奥底から湧き上がってくるのが分かった。今までに見たことも聞いたこともないような現象だった。これはいったい何なのだろう?
(生物たちの想いであり、私の想いだ)
想い? 想いがこのように物理的な形を取ったと言うのだろうか。何故、何のために。
(お前たちの出現は、人々に神という概念を植え込んだ。それは、圧倒的な力を持つ自然神ではなく、もっと別の存在、何でも教え、導き、願いをかなえてくれる存在としての神だ。本来、彼らの想いは私に伝わり、それは凝縮して私の想いと融合し、夢となって、人々に返されるのだ。それは可能性として彼らに宿り、実際の行動を促す。行動はある現実を生じさせ、その現実は、彼らの中に新たな想いを生ませ、その循環の中で生物は進化していくのだ。お前たちのもたらした歪みは、それをも変質させてしまった。彼らは夢を受け取ることをせず、自分たちの中で祈りを作るようになってしまった。万能の神が、すべてを何とかしてくれる、自分たちを導いてくれる、現実をもたらしてくれる、という甘い期待とともにな。現実を形成するのは、彼ら自身であるべきなのに、それを他者にゆだねてしまった。彼らは、その歪みゆえに自らの可能性を捨ててしまったのだよ。そして、その結果……)
受け入れられることのない想いが、夢が、ここに漂っている、と。あの淡く美しい光の正体がそれなのだ、と私は悟った。
(お前は、聡いな。その通りだ、他の星よりの客人よ)
私は、大地の言いたいことが少し分かってきた。ならば、彼らの歪みを解消するためには、その方法とは……
(そう、お前の考えている通りだ。このあふれる想いを彼らに返してやってほしい。彼らの中に戻してほしいのだ。循環を正すには、それしかないだろう。私は、直接干渉することができぬ。私は、巨大すぎるのだ。私は見守り、感じることしかできぬ。分かるだろう。お前は、自分の内部、自分の細胞に道具もなしに直接干渉ができるか? 同じことだ。お前に、想いを返す役目を担ってほしいのだ)
私は、循環を修正するための道具というわけか。
(気を悪くするな、ものの例えだ。まあ、私の言いたいことというのは、そのことだ。私は、このような特殊な場所でしか、直接に干渉することができないのだ)
私は周りに広がる広大な空間を見回した。と言って、すべてを視野に入れるわけにはいかなかったが。ここが、特殊な場所?
(そう、ここは、私にとって、特別な場所。例えるならば、ここは私の体内、いや頭の中になるか。私は待っていた。長い時間、ずっとずっと待っていた。いつの日にか、何かがここを訪れ、私の声を聞いてくれることを。本当は、私の声は大地の上すべてに広がっているのだが、生物たちはそれに触れても気づかないのだ。あまりにも波長が異質すぎて、巨大すぎて、彼らには理解できないのかもしれない。仕事を引き受けてくれぬか、他の星よりの客人よ)
空間を漂う光のひとつが、私に触れた。それには、私の知らぬ人々の想いが詰まっていた、夢が輝いていた、可能性があった。私の目から涙がこぼれ落ちた。私は、大地の声に頷いていた。その役目を引き受ける、と。
私は、大地の願いを、想いを受け入れた。
ザッ、ザ・ザ・ザ………
ジィイィィイイィィィ………
ザ・ザ、ザ・ザザ………
こうして、私は一周期に数日だけ起きて、想いを、夢を人々に配ることになった。いつの日か、彼らが正しい循環を取り戻し、私たちの罪が消えるまで。
瞬く間に数千の周期が過ぎていった。
私は、カプセルで眠っている間に多くの夢を見ていた。それは、大地が私に見せてくれた地上の様子だったのかもしれない。
箱船に乗っていた人々は、生き残り、繁栄した。
高い山の上に避難していた真アスカ人たちは、そこへやって来た者と十の契約を結び、技術と食糧を交換することになった。
あちこちで再び文明が発達しつつあった。だが、そこへ再び異変が起き、文明は滅びてしまった。
それでも人々は復興した。だが、その文明はこれまでの技術の名残をわずかに残すものとなった。電気を使う方法、空を飛ぶ船の技術などは、次第に忘れられていった。東の地では飛び去った神の帰還を願って地上に巨大な目印を白く刻み込んだ。その地は、もうアスカはないのだ、との意味でヌ・アスカと名づけられた。ある島には、飛ぶ船の記憶が残っていたのか、飛ぶ鳥と書いてアスカと読ませていた。他にもアスカにちなんだ名前があちこちで付けられたが、その由来を知る者はすぐにいなくなった。アスカは「輝青」の上に、わずかばかりの証を残したのだ。
神の子を名乗る者が、十字架で磔にされた。彼は、アスカの血を濃く持つ者だった。
文明が勃興しては衰退していった。戦が起こり、人々が死んだ。疫病が蔓延したこともある。私たちの罪は消えるのだろうか。
差別も生じてきた。これは、今では私たちが植え付けた感情なのだと分かる。私たちはアスカを継承させる者を育てるため、人々を選り分けたのだ。大災害のときもそうだった。私たちはある者を救い、ある者を見捨てた。私の親友だけが正しかったのかもしれない。
時が過ぎて行く。
滅んだ文明の遺跡で、電池が発掘された。
水晶の頭蓋骨も発見された。
私たちが作った上空からの地図は、模写され、ピリ・レイスの地図と呼ばれて一部の者に知られる存在となった。
時が流れ、人々が生まれ、生き、死んでいった。
さあ、私の話も終わりに近づいてきたようだ。私は、もうすぐ夢を配る者として、一生を終えるだろう。私の仕事は、今は眠っている息子が継いでくれることだろう。息子も、大地の声を耳にしたのだから。
願わくは、その後もいつの日か、私や息子の意志を継いで大地の想いを伝えてくれる者が現れんことを。いつの日か、誰かがここまで辿り着き、大地の声を聞かんことを。すべての人々に夢を可能性を与える者が現れんことを。
私は、想う。夢は一つではない、と。事実、昔私が抱いていた夢が破れてから、私は別の夢を持った。それは、いつの日にか、私たちの罪が消え、歪みを正された人々が引力を振り切るだけの力を持って星の海へと飛び、「輝青」の種子として生きることができるようになること。彼らが、アスカの大地を発見し、私たちの証を見つけてくれること。
だが、私にはそれを見届けることはできないようだ。私はもう老いてしまった。
最後に言っておきたいのは、いつの日かこれを聞く者よ。夢は見続けるだけでは駄目だということだ。夢は実現させるためにあるのだから。それが、正しい循環なのだ。
さあ、そろそろ眠る時間だ。
この記録は、この後も残ることにしておく。
では、カプセルに入るとしよう。妻が、親友が、私を待っている。
ジ・ジ・ジ………
キュウオオォゥゥン………
ザ、ザ、ザ、ザ………
ガチャ………
………………
「後の世の者よ
後の世の生命よ
これは、少しだけ遠い世界の物語である
これは、多くの想が込められた物語である
大地の想い、触れてほしい
生命の想い、感じてほしい
そして
ここを訪れた後の世の者よ
これを見た後の世の生命よ
他者に祈ることなかれ
夢見ることを忘れるなかれ
神に頼るだけでは無益である
夢を見るだけでは無益である
されば
後の世の者よ
後の世の生命よ
夢を見、実現せよ
可能性を拓き、前進せよ
それが、進歩につながるのだから
それが、未来に通ずるのだから
大地は、常にすべての生命を見守っている
大地は、常にすべての生命を想っている
それを想うことを忘れるなかれ
それを感じることを忘れるなかれ
夢を見よ
夢をかなえよ
それが、進歩につながるのだから
それが、未来に通ずるのだから」
――――南極碑文より抜粋(工藤真治訳)
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