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_________。。。☆☆★☆☆★★☆★☆☆☆。。。_________

 誰かが、私の名を呼んでいた。誰だろう? さざ波のように優しく懐かしく、声は私の名を繰り返す。私は、声のする方を見ようとしたが、視界はすべて黒く染まり、身体中が痺れたように動かなかった。
 頭の中で、何かが暴れ、躍り狂っていた。
「……ス、ク・ラース、ク・ラ……」
 その何者かは、私の身体を揺さぶった、ように思えた。止めてくれ、身体がばらばらになりそうだ。細胞が悲鳴をあげる。
「ク・ラース!」
 ゆっくりと目の前に光が戻ってきた。初めはぼんやりとした絵しか見えなかったが、徐々にはっきりした像を結び出す。
「……シ・ヤン?」
 彼女だった。大きな目にいっぱいの涙を浮かべて、幼なじみの娘は私に微笑みかけた。一瞬後涙が危うい均衡を破り、彼女はわっと泣き出して私に飛びついた。
「よかった……!」
 私はといえば、激痛が全身を駆けめぐり、頭の中では原色の火花が爆発していた。
「シ・ヤン、いい加減になさい。ク・ラースは、怪我をしているんですよ」
「まったくだ。俺とはえらい差だぜ」
 ル・ラヴェさんとデ・フォンの声が聞こえた。怪我? 私が?
 私は、自分の身体をもっとよく見ようとした。床の上に厚めの布が敷かれ、その上に私は寝かされていた。白い布が私をぐるぐると縛っており、そのあちこちに赤く濡れた跡があった。周囲を見渡せば、そこら中に苦しげなうめき声が満ちており、多くの者が私と同じような境遇にあることが分かった。傷を負っていない、あるいは怪我の浅い者たちが、医療器具を手に忙しく寝かされた人々の間を立ち回っていた。
 隣でデ・フォンが私の視線に気づき、にやりと笑って見せた。
「生きてやがったのか、しぶとい野郎だぜ」
 言葉とは裏腹に瞳の輝きは優しかった。
「まったく、お前がぶっ倒れてる間、シ・ヤンがうるさくてかなわなかったんだぜ。俺なんかほったらかしでさ」
 私は微笑んだ。彼も被害は少ないようだ。
 私が意識を失ってから、かなりの時が過ぎたらしい。壁にべっとりと付着した血は、もうすでに黒く乾いていたし、動ける者たちが、死者を葬ったという。
 シ・ヤンは、ずっと私に付きっきりで看病をしてくれた。
 ル・ラヴェさんの話によると、この間私たちが体験したのは、この「輝青」――そう、とうとう私たちは、「輝青」に着陸したのだ――の強烈な引力に捕らえられ、厚い大気の中をほとんど操縦不能のまま突入した結果起こったものらしい。空気との摩擦で外壁が焼け、炎を噴き、船内にまで熱が及んだ。大気の層を抜け、地上に激突する寸前、奇跡的にコントロールが戻った。パイロットが、操縦桿を引く。そのおかげで、「虹の翼」は、半ば強引に地上に着陸したのだった。
 操縦士は、着陸の際に頭から壁に激突して、即死。あれほどのショックで、死者の列に加わったのが十数名だったというのは、幸運なことだったのか。「曉」など舟を収容した部分を下に着陸したため、それらは全滅だった。また「虹の翼」自身も無事ではなく、外壁はどろどろに溶けており、エンジン系統や操縦機器のほとんどが、修理不可能なところまで破損していた。いや、そういった技術の進んだ「輝きの海」の科学者たちならばそれも可能だったかもしれないが、私たちの船に彼らはおらず、他の船との連絡は一切つかなかった。大気の中で燃え尽きたのか、大地に砕け散ったのか。私たちのような幸運を彼らに期待できるだろうか。
 傷だらけとは言え、生存者の数は四十二名にも上った。あの激突のショックを考えれば、奇跡に近かったろう。しかし、私の母は、その奇跡のおこぼれにあずかることはできなかったらしい。尊敬すべき天文学者は、この異郷の地で永遠の眠りに就くことになった。その事実を知らされたとき、私は呆然として何も言えなかった。そして、ゆっくりと事情が頭の中に染み渡っていくにつれ、心の奥底から大きな感情の波が襲ってきた。シ・ヤンとル・ラヴェさんにすがりつくようにして、私はその感情のうねりと戦った。涙があふれて止まらなかった。多少厳しいところもあったが、私にとってはよき理解者であり、優しい、よき母親であった。そして、父にとっては、よき妻でもあった。父は、半狂乱になって、重傷の床から立ち上がろうと、母に会おうと、暴れ出したために今は鎮痛剤を打たれて苦しげに眠っている。目が覚めたなら、悪夢の続きのごとき現実に直面しなければならないのだ。私もできるならば、すべてを忘れてしまいたかった。
 まだ傷が痛む。私もしばらく眠ることにした。それに、心の傷を癒すには眠りが最適だと聞いたこともあった。
 少し休むよ、と傍らのシ・ヤンを見ると、彼女は一足先にすやすやと眠り込んでいた。
「ずっと、寝ずに看病してたんだぜ、そいつ。そのままにしといてやれや」
 デ・フォンが目ざとく気づいたようだった。私は、小さく頷いた。そして、すっかり安心したかのように無邪気な顔で眠っているシ・ヤンに微笑みかけ、耳元で、
「おやすみ」
 ささやいて、私は目をつむった。

 

 ジ・ジ・ジ………

 

 「曉」は、やはり修理不能のようだった。他の舟に比べてかなり頑丈に造ってあったとは言え、船体はほぼ押しつぶされ、溶けた外壁と同化しかけていた。ル・ラヴェさんがデザインしてくれたボディももはや見る影もなく鉄屑と化している。
 私は家から持ってきた舟の模型を連想した。あれもまた、着陸の衝撃でばらばらになってしまっていた。
 悪態をつきながらデ・フォンが、「曉」だったものと蹴飛ばした。涙が、その瞳に浮かんでいて、私は驚いた。シ・ヤンも鼻をくすんくすんとさせ、泣きじゃくっている。
 それは、何と言ったらよいのだろうか。どのように表現したら的確に伝わるだろうか。
 「曉」と、そこに込められた私たちの想いは、測りきれないものがあった。何年もこの舟に時間をかけ、設計をし、調製をし、文字通り命を懸けてきたのだ。すでに、「曉」は、私たちの分身だったのだ。否、私たちと一体化していたとさえ言えるのである。それが失われるのは、私たちにとって半身をもぎ取られるような苦しみと悲しみだった。
 私たちは、まるで壊れてしまったのが自分自身であったかのような錯覚に陥ったのである。
 私たちは、それからしばらくの間――心配したル・ラヴェさんが見に来るまで――言葉もなく立ち尽くして、泣いていた。
 そして、何と言うか、私たちの少年時代は、「曉」の死とともに終わりを告げた、というような気がした。

 

 

 ジジ………

 

 これが「輝青」か!
 私は、ヘルメット越しに映る風景を呆然と見つめていた。やがて、それは驚きと感動に姿を変える。私の様子を見て、シ・ヤンがくすくすと笑った。デ・フォンもにやにやしている。だが、そのことにすら気づかぬほど、私は眼前の景色に心を奪われていた。
 それは、何と美しい光景だったろう。草原が地平線の彼方まで広がり、そのずっと先に頂上を白く縁取られた山々が連なっている。私たちの背後には、「虹の翼」が着陸した広大な森があった。
 見たこともない小さな、かわいらしい動物が樹の蔭からさっと現れ、またどこかに走り去った。
 空は高く、かつて「青の天幕」がそうであったように、青く澄んでいた。それから、環境適応用スーツ――あの銀色のやつである――を着ていても感じることのできる暖かさ。太陽が、大きく渡したちの頭上で黄金の光を放って輝いている。その光を、熱を、このように感じることができるのだ。アスカでは考えつきもしなかっただろう。あの私たちの故郷では、太陽は白く冷たく輝き、私たちに安らぎを与えてくれることはなかった。私たちの主な熱源は、重力の影響で起こる地熱であり、間違っても太陽ではなかった。
 何という環境だろうか。重力が大きいため動きにくかったが、やがて適応するだろう。そのためのヘルメットであり、スーツなのだから。
 怪我人たちは、あれからある程度回復し、私のように自由に動き回ることのできる者も出てきた。もうしばらくすれば全員がまともな体調になるだろう。
 元気な学者たちは、この惑星の環境を分析し始めていた。また、故障した機械の修理、あるいは道具類の点検をするも者もいた。だが、「虹の翼」はもう二度と飛べないだろうと思われた。第一、動けたとしてもこの「輝青」の引力を振り切るだけのパワーは元々備わっていない。この惑星からの脱出は不可能だったし、脱出したとしてもどこに行くあてもないのだ。それに、みんな、この「輝青」の自然に満足しているように見えた。私たちは、この大地で生きるしかなかったし、また、それを選んだのだ。
 ここが、私たちの新しい故郷なのだ。

 

 ジ・ジジ………

 

 周囲の探険は、主に手のあいている学者や子どもたちの中でも年長の私たちの仕事になっていた。もちろんどんな危険が潜んでいるか知れないのだから、携帯用の通信機と護身用の武器は欠かせない。スイッチを入れると先に電流が流れる仕組みになっている電撃棒がそれである。
 その日も私たち三人に他の学者たちを合わせた七人が、森の中を探険することになった。
 森は、かなりうっそうと樹木が繁っており、ところどころに葉の隙間をくぐり抜けた陽の光が、細く糸のように降り注いでいる。鳥のさえずりや、何かの鳴き声がひっきりなしに聞こえ、改めて「輝青」の自然を感じさせる。
「いいとこだよなあ」
 銀色のヘルメットの奥でデ・フォンがつぶやく。それは私も同感だった。この森には、清浄な空気がある。それがフィルター越しとは言え、私たちの心をなごませてくれるのだろう。加えて、見飽きることのない美しい景色が次々と展開するのだ。ここは、実に素晴らしいところだった。
「ねえ、そろそろ、お昼にしない?」
 シ・ヤンの言葉で、私たちは、弁当を広げることにした。キャンプ用のフィールドを張り、その中でヘルメットを外す。昼食は、寂しいものだった。と言うのも、そろそろ「虹の翼」に残っていた食糧が底を突こうとしているのだ。それらがなくなれば、周りにある物を口にしなければならなくなる。それまでに分析が済んでいればいいのだが。
「うーん、なんか、やっぱり物足んねえなあ」
 早々と自分の分を食べ終わったデ・フォンがこぼした。昼食の量に不満があるらしい。
「仕方ないじゃないの。みんな我慢してんだから、あんたも辛抱しなさいよ」
「おー、おっかねえ。分かったよ、我慢すりゃいいんだろ」
「分かりゃいいのよ」
「まったくよお」
 シ・ヤンから逃げるようにデ・フォンは私の方へやって来た。まだ小声で何かぶつぶつ言っている。
「ったく、うるせえ女だぜ。ク・ラース、お前も気をつけろよ」
「何か言った、デ・フォン?」
「い、いや、何も言ってねえぜ。さ、飯食ったらとっとと出発しようや」
 広げた弁当を片付け、ヘルメットをかぶり、私たちが立ち上がったとき、何者かの視線を私は感じて振り返った。
 目と目が合った。それは、猿に似ていた。が、原始的な道具を使うだけの知恵はあるらしい。何やら、私たちの様子をうかがっていたらしいが、こちらが気づいたと知るや、粗末な石槍を放り出して逃げていった。
 私たちが、その目にはどんな風に映ったのだろうか。おそらく、怪物のように見えたのではないだろうか。私たちは、銀色のスーツを着て、ヘルメットまでかぶっていたのだから。
 資料になるとかいうことで石槍を拾い、私たちは探索を再開することになった。
 「虹の翼」が着陸した森は広大で、もう幾日も探険を続けている――とは言っても、夕方には船の所へ帰還するのだが――が、一向にその全容を知ることはできなかった。船に積み込まれていた「曉」をはじめとする舟が全滅したことが惜しまれた。あれらのうち、ひとつでも残っていたなら、空からの探索が可能だったのだが。
「危ねえっ」
 どん、とデ・フォンが、いきなり私を突き飛ばした。ぶん、と音を立てて、今まで私のいた所に石槍が逆さになって出現した。それが、先程見た槍にそっくりで、どこからか投じられたのだ、と思いつくよりも早く、デ・フォンが警告を発していた。
「伏せろっ、危ねえっ」
 私たちはとっさに草の中に滑り込んだ。さっきの猿のような奴が戻って来たのだろうか。
 心臓が高く速く唸り、耳元に熱い血液の流れる音が異様に大きく響いた。鼓動が草の生えた地面を伝わり、私は全身でそれを感じた。頭がかっと熱くなり、肌が汗ばみ、私は自分の鼓動が世界中に聞こえていることを疑わなかった。
 息を押し殺して隠れる私たちの耳に、下生えを踏みしめるかすかな音と、大勢の息づかいが飛び込んできた。
 草と草の間から見える視界に、やがて彼らは姿を現した。獣からはぎ取った皮をそのまま衣服とし、石斧や弓、槍をかまえた猿を連想させる生物。先刻の原住民――その様子から少なくとも知性はあると思われた。だから、私は仮にそう呼ぶことにした――が、仲間を連れて戻ってきたのだろうか。
 その原始的な狩人たちの一人が、私たちの潜む草むらを指差して何か叫んだ。見つかったらしい。私たちはひとまず退却しようと、武器のスイッチを入れて立ち上がり、回れ右をした。そこでようやく私たちは、彼らに取り囲まれていることを知った。
 私は、自分が妙に冷静になっていくのが分かった。心音が遠ざかる。相変わらず、耳の奥で血の流れる音が響いていたが、さっきほどではない。何か、レースで危機に立たされたときを、私は思い出していた。ああいったときになると、おかしな具合に落ち着いたものだった。まあ、開き直りと言った方が良いのかもしれないが。
「どうしよう」
 不安そうにささやくシ・ヤンに、大丈夫だよ、と笑顔を見せる。無論、根拠のない自信ではあったが、少しは役に立つだろう。デ・フォンすら、いつもの元気はどこへやら、やや青ざめた表情で周囲を見回していた。この状況では無理もないが。
 私たちに物騒な武器を向けている連中は、彼らだけに分かる言葉で何やら叫び合い、お互いに会話をしていた。あちこちでざわざわと騒いでいる姿も見えた。私たちの格好がひどく異様に見えるのだろう。
 やがて、彼らの中から幾人かが進み出て、私たちに近づいてきた。もちろん、槍先を向けたままである。歯をむき出して威嚇している。ゆらゆらと揺れる尖った石の先は、今にも私たちに突き出されそうだった。環境適応用スーツは、戦闘用ではない。いくら原始的な武器であっても、まともに食らったらどうなるか分からない。
 石槍の一つが、ぶん、といきなり襲ってきた。シ・ヤンが悲鳴をあげた。しかし私の目には、妙にそれがはっきりと知覚できた。まるで、レースで小岩塊地帯に紛れ込み、迫る岩を相手にしているようだった。私の手が自然に動き、そのシ・ヤンに迫った凶器を棒で弾き、そのまま踏み込んで自分の武器を相手の腹部に押し込んだ。原住民の勇者の身体が一瞬大きく伸び、倒れた。あと一歩の距離まで迫ってた他の連中が、短く声をあげて飛び退いた。
 もう歯をむくことも止めて、倒れたまま動かなくなった仲間と銀色の異星人の姿を交互に見て、ささやきあっている。その瞳の中には、まぎれもない恐れの色がうかがえた。
 一人、また一人と武器を捨てて降伏し、私たちの前に彼らが跪くのを、私は夢のように見ていた。シ・ヤンが、歓声をあげて私にしがみついてくる。デ・フォンが、私の方を見て、にやりと笑った。
「やったな、親友」
 私も笑い返した。どうやら、私たちは助かったらしい。
 ようやく、死と隣り合わせだった恐怖が、私の身体に染み渡っていき、膝がかすかに震え出した。私は、武器のスイッチを切り、無事だったことにほっと胸を撫で下ろした。

 

 ジッ・ジィ………

 

 慣れてみると、あの野蛮に見えた原住民たちもどうということはない連中だった。彼らは、天から大きな音を出して真っ赤な光が落ちてくるのを見て、こちらの方へやって来たらしい。
 何故、そんなことが分かったのかと言えば、私たち――この場合、私たちとは「虹の翼」の生き残りであって、私やシ・ヤン、デ・フォンらだけを指すのではない――は半ば面白半分で、彼らの中から何人かを選んで「教育」していたからである。
 身振り手振りで意思を通じ合わせることから始めて、徐々に言葉を教えていく。それは、どちらかと言えば、新しいペットに芸を仕込む感覚に近いものだった。だから、彼らが新しいことを覚えれば嬉しかったし、身につけなくても別にどうということもなかった。心のどこかで、彼らを見下している部分があったのだろう。
 私たちは、いろいろなことを教えた。宇宙は、原初天も地もない高密度で高熱の闇の塊だったこと。それがあるとき、光とともに大爆発を起こし、宇宙になったこと。どの惑星も最初はどろどろしたものだったのだが、それが冷えて乾いた大地が現れたのだということ。そして、生物が発生したということ、などなど。
 まだ、たいして知能の発達していない彼らのこと、それほど理解できるとは思わなかったのだが、私たちはかまわずにどんどん知識を伝えていった。まあ、手持ち無沙汰な連中が、暇つぶしに始めたような節もあるから、仕方のないことだったのだろうが。
 私たちの住居は、依然としてあの半壊した「虹の翼」だった。ぼろぼろになったとは言え、住居区画や研究セクションは、まだ生きていたのだ。森で野宿するよりもよほど快適だった。
 原住民たちは、その森の側に粗末な集落を形成して住み着いた。ここに来る前にいた所は、ずいぶんと離れているらしく、旅に出るときに捨ててきたらしい。「教育」を受ける者たちは、朝早くから「虹の翼」までやって来て、日が暮れるとわずかばかりの新しい知識を持って集落へと帰っていった。
 知識を増やしたのは、彼らばかりではない。私たちもである。どの草が食べられて、どの実を口に入れると体調を崩してしまう。あの動物を捕まえるためには、こういう風にすれば良い。こういった生活に即した知識を彼らは私たちにくれた。食糧に不足していた私たちにとって、彼らが分けてくれる、あるいは、集めるのを協力してくれる食べ物は、ずいぶんと私たちを助けてくれた。周囲の探索にも彼らは同行してくれて、命を救ってもらったことも一度や二度ではない。
 平和な、良い時期だった。私たちは環境にも慣れ、スーツを脱いで生活をするようになった。それでも私たちと原住民の差は外見からでも歴然としていた。私たちはいまだ良好な関係にあった。
 数周期の間、その生活が続いた。
 そして、私たちの感情を急変させる事件が起こったのである。

 

 ザ………
 ジジジッ・ジ………

 

 最初にそれを知らせてくれたのは、シ・ヤンだった。おそらく、彼女が誰よりも早くそれを見つけたのだろう。夜更けだったにも関わらず、彼女は私の部屋に突然入ってきて、寝ている私を揺さぶった。
「ク・ラース、ク・ラース!」
「……ん、何だ、シ・ヤンか。まだ、暗いじゃないか。どうしたんだい?」
 彼女は、私を窓の方へ引っ張って行った。
「ね、見てよ」
 外を覗いてみても、そこには「輝青」の暗い森が息づいているばかりである。
「何があったんだい?」
 私は再びシ・ヤンに尋ねた。彼女はひどく動揺している様子で、上方を指差し、早く見ろと私を急き立てた。
 彼女の言う通りに外を見上げ、私は驚きの息を呑み込んだ。暗く深い空の一角が明るく輝いていた。「輝青」の衛星かと思ったが、それは別の方角で黄金色に光っていた。その謎の光は、しばらくの間、私の目に焼きつき、消えた。他の星々を圧倒するような輝きだった。あれは、一体何だったのだろうか?
 気がつくとシ・ヤンが、私にしがみついていた。その瞳が濡れていることに私は驚いた。
「どうしたんだい?」
「分かんない。だけど、あの光を見てたら、涙が止まらなくなっちゃって……ク・ラースこそ、泣いてるじゃない」
 えっ、と目元に触れると私の頬も涙で濡れていた。意識しないうちに、私もまた泣いていた。
 結局、そのまま二人で涙を流し、夜空を見上げたままぼんやりと朝まで時を過ごすことになった。
 あれは一体何だったのだろうか?
 解答が出たのは、翌朝だった。幼い子どもを除くほぼ全員がブリッジ――「虹の翼」では、つぶれた格納庫以外では一番広いので、しばしば会議場として使われていた――に集められ、デ・フォンの父、デ・リードさんの報告を受けたのである。
 それは、昨夜私たちが見た光についてのものであり、ひどく衝撃的で、絶望を深く胸に刻み込ませるものだった。
 母も一目置いていた、「虹の翼」で生き残った唯一の天文学者デ・リードさんのレポートによれば、あの光は、アスカにおいて「角獣」が「輝きの海」に激突した際のものだそうだ。元々「角獣」は、これまでに何度も他と衝突したり、されたりしていた。軌道にかなりのズレが生じていたのだろう。初めは、小さなズレだったのかもしれないが、時とともに取り返しのつかないものになり、今回の悲劇を生んだのだろう。
 私たちは、いつの日にか私たちの考えを理解した人々が、アスカを離れて新しい世界を求め、この地にやって来ることを期待していた。私たちは、そのための礎になれば良い。だが、その希望も失われてしまった。あれほどの光を発したのだ。おそらく「角獣」も「輝きの海」もほぼ全滅だろう。
 「輝きの海」が持つ技術力は、絶大だった。元々アスカ人は、その地で生まれた。まず、彼らは「輝きの海」を渡る船を造り、栄えた。次に空を飛ぶ船で繁栄した。それだけで彼らは留まらなかった。彼らは、自分たちの大地のごく近いところを回る友星たちに目をつけた。そこへ生きたいという欲求は高まり、ついには、空をも越えて飛行することのできる船を開発した。それら造船のノウハウは「輝きの海」が握っていた。「虹の翼」も、そこで最新の技術を使って造られたものであるし、他の行方の分からない船たちもそこで改良されたものばかりだった。
 その技術が、おそらくは失われた。さらに二つの大地が衝突したことで起こる二次的な災害は、他の大地にも致命的な被害を及ぼすだろう。砕けた破片が隕石となって降り注ぎ、大地が割れる。支え合っていた重力がバランスを崩し、地震洪水などありとあらゆる天変地異がアスカを襲うだろうことが予想された。もはや、私たちに続くことのできる者などいないのだ。
 もう、私たちの故郷は失われてしまったのだ。

 

 ザザ………

 

 その日から、私たちは変わった。多分、アスカに残った連中が死に絶えてしまったという推測が、私たちを焦らせ、駆り立てたのだろう。私たちが、最後のアスカ人なのだ、と。
 生物学者たちならば、それは種を保存しようとする先天的な思いであり、その感情はどうすることもできないものである、と結論づけるだろうか。
 アスカが存在したという確かな証を後世に残さねばならない。アスカを絶やしてはならぬ。私たちは、その一心で活動した。目的を達するには、原住民たちの力が必要だった。私たち四十数人で永くアスカを残すことはできない。
 そのため、原住民に対する接し方も自ずと変化した。私たちの「教育」は厳しいものとなった。彼らはアスカの後継者として――私たちまで死んでしまったならそうなるだろう――扱い始めたのだ。遊び半分だったものが、真剣なものになった。
 さらに私たちは、「虹の翼」の中で居住区画の奥にあり無事だった冷凍睡眠カプセルを使用し、一周期のうち、数日のみ活動することにした。カプセルは、つい最近開発されたばかりの新設備で、それまで死者を冷凍保存するのに使用されていた。元来は長寿延命のために開発されていたもので、実験の結果生者にも耐えられるだろうということになったのだ。これらは幸運にも人数分以上の物が、壊れずに残っていた。
 私たちは交代で原住民の前に姿を現し、数日間彼らを「教育」し、指示を残して、また次と代わって眠りに就く、という生活をすることになった。
 こうして、私たちは彼らを数世代に渡って「教育」したのだが、結果は私たちを満足させるものではなかった。彼らはアスカを継承することができるようになる前に、私たちは老衰死してしまうだろう。
 冷凍の長い眠りから目覚め、彼らに接する度、そういった強い焦りが私たちを蝕む。その気持ちは私のような若者も同様だった。
 このまま、アスカは失われてしまうのだろうか。

 

 ジイィィ………
 ザ・ザザ………

 

 母が死んでから、私の父は変わった。
 極度に無口になり、笑顔を見せなくなった。何と言うか、息子の私にまで心を閉ざしてしまったような感じなのだ。
 カプセルで眠る時間も少なく、みんながいない間にも自分の研究室で何かやっているらしかった。目覚めた者が、時折奇妙な声や音が研究セクションから聞こえてきたと言い張った。
 他の人々に数倍する時間をカプセルの外で過ごすのだ。私は目覚める度に、父が老いていくように見えてつらかった。母を失ってからの父は、ただの抜け殻になってしまったような思いがした。
 だが、それは誤りだった。父は父なりにアスカを残す方法について模索していたのだと、私たちは知ることになった。
 ある朝、父はみんなを目覚めさせた。父はブリッジに一同を集めた。ここで、みんなが顔を揃えるのは、アスカが滅んだとされ、カプセルで冬眠しつつ生きていくことを決めて以来だった。何か全体の意思を統一したり、話し合いをすべきときには、こうしてみんなを目覚めさせることと私たちは事前に決めていた。
 重要な提案がある、と父は言った。私たちは黙って、やけに白髪が目立つようになったその生物学者の次の言葉を待った。二呼吸ほどの間を取ってから、父は続けた。
「アスカを伝え残すことができるかもしれん」
 一瞬の沈黙の後、みんなの口が一斉に開いた。歓喜の声をあげる者、隣と話す者、声高に父に質問する者、呆気にとられて何かつぶやく者。
 私は、デ・フォンやシ・ヤンと話していた。父は、どこかおかしくなったのだろうか? 本気でそう考えたほど、普段から最近の父の言動は外れていた。隣にいる友人たちもいささか疑わしそうな表情だった。
 父は、ざわめきが静まるのを待ってから、自分の研究と計画の内容を語り出した。

 

 ジッ………

 

 生物は、すべて生命の設計図とでもいうものを細胞内に備え持っている。植物には植物の、動物には動物の、それぞれの種を残すための設計図を体内に秘めているのだ。父は、生物学の知識を噛み砕いて分かりやすく説明してくれた。その設計図が極端に異なると混血をすることができない。また、まれに生物の中には毛色の変わったものが発生することがある。白子や先天的に一度血が流れ出すと止まらなくなる病気などがそうである。そういったものの多くが、生命の設計図に欠けたところや、おかしなところ、変化したところがあると言う。設計図が変われば、当然できるものも異なってくるのだ。ならば、この変異を人為的に起こせないものか。父は実験を繰り返し――どのような実験だったのかについて、父は一言も触れなかった――、それが可能であるという結論を出した。
 父の提案とは、その結果を踏まえて、あの原住民たちの設計図を変化させて、私たちの知識を受け入れることのできる人々を造り出そうというものだった。
 私たちは、その夢のような計画にしばし唖然としたものの、アスカを残すことが最優先され、その案は圧倒的に支持された。父はさらに実験を重ね、成果を上げていった。
 そして、時が流れていった。

 

 ジジッ・ジ………
 ザザッ・ザ・ザ………
 ジ・ジジ・ジ………

 

 千の周期が過ぎていった。
 父の考えは、図に当たった。今、私たちの眼前には、アスカで見たものと遜色ない光景が展開していた。
 原住民たちは格段に進化――父の行った手術の成果が何世代に渡って伝わったのと、私たちのもたらした技術による栄養価の高い食べ物のせいだ――し、船を造るまでになった。といっても、「輝きの海」のように星へ出るまでのものではなく、その前段階、つまり空を飛ぶ船止まりだった。車も走るようになった。船は一部の者や私たちアスカ人のみが使え、一般には普及していなかったから、車が人々の主な乗り物になっていた。工場もできた、学校もできた。かつて、私たちの知識を受け入れることのできなかったような原住民たちは、すでにこの大陸では見かけなくなって久しかった。私たちは、進化した彼らのことを新アスカ人と呼んでいた。
 私たちは、いまだにカプセルを使い、しばらくの間だけ、彼らに会って新しいことを教えた。もちろん交代でやったから、常に真アスカ人――私たちのことだ――が彼らを監督することになる。また、彼らは自分たちでも勉強し、知識を深めていった。その中で、私たちは彼らに文明を伝えた者、あるいは、知識を伝えてくれる者として、崇められる存在になっていた。
 もちろん、ここまで来るには、相当な苦労と年月がかかった。
 手術に失敗した原住民たちを追放したり、途中までは良かったのに、後に街にはびこった失敗作たちを滅ぼしたり。
 肌の色が違う者が現れて差別が起こり、とうとう彼ら自身の手で異端者を大陸から追放したりする事件もあった。
 私たちは、その中で文明を担うに最も適していると思われる者のみを育て、教育した。他はそのままか、害になると思われた場合追放である。
 試行錯誤の末、アスカ――新アスカ人たちの言葉で、これは「楽園」を意味するのだが――の文明は大陸中に広がり、他の大陸にまで勢力を伸ばすほどまでに成長したのである。
 船のおかげで、空の移動も可能になり、それは朗報をもたらした。
 大きな海をずっと東に進んだところにある大陸に、かつての仲間たちが築いた文明が見つかったのだ。「輝青」突入の際にはぐれてしまった船の少なくともひとつは無事だったのである。
 彼らも私たち同様カプセルを使いつつ、原住民に文明を伝えようとしていた。「手術」なしでもその東の文明はかなりのレベルまで行き――と言っても、私たちのアスカに及ぶものではなく、ずいぶんと偏った知識と文化の地となっていた。これは生き残った面々の知識にもよるのだろう。死者が少なかった私たちは、まさしく幸運だったのだ。
 その地では、船などがない代わりに医術が発達し、頭蓋骨を切開しての手術までが可能になっていた。これには、大きな水晶を削り出して作った頭蓋骨のモデルが用いられる。水晶の頭頂部に光を当てると、それが内部で複雑に屈曲し、分解された七色の光が落ちくぼんだ両眼から飛び出す。これを患者の眼に当てていると、やがて痛覚をはじめとする感覚がすべて麻痺してしまい、切開しても眉一つ動かさなくなるなど、手術が容易になるのだ。元から医術の知識があった彼らは、呪術めいたことを融合させて、新たな技術を発達させたのである。
 私たちがその地を訪れると、アスカ人たちは大歓迎をしてくれた。彼らも、まさか他に生き残りがいうるとは思っていなかったようだ。彼らの数は十人ほどで、みんなかなりの老齢だった。寿命で死んだ者もいると言うが、大部分は着陸の際に死んでしまったらしい。彼らが皆、年をとっているのは、カプセルの使用を思いついたのが私たちよりかなり遅かったためらしかった。
 彼らは、私たちがアスカそっくりの文明を築いていると聞くや、嬉々として移住してきた。彼らが育ててきた文明を置き去りにして。
 私は、それが当然であったかのように、シ・ヤンと結婚し、幼い息子までできたのだが、真アスカ人の何割かは、新アスカ人の中から配偶者を選んでいた。
 最初は猿そっくりだった彼らも、今はすっかり私たちそっくりの容姿をしていた。父の「手術」は、どうやら彼らをほぼ真アスカ人に近いものに変えてしまったらしく――父は老衰で死んでしまっていたので、詳しいことは直接確かめようもないのだが――私たちとの間に子を成すことも可能になっていた。もし、私たちと彼らが完全に異なる種であるならば、混血することはできないと父は言っていた。事実、ル・ラヴェさんなど新アスカ人の奥さんとの間に双方の血を引く子どもを持った。もっとも、混血ができないほど似ていないような者たちは淘汰され、あるいは追放されていったのであるから当然かもしれない。
 私たちが目覚めている時間は、徐々に長くなってきていた。かつて感じていたアスカを残さねば、という焦りが薄まっていたからだろう。
 アスカの文明は、その名の通り「楽園」となっていった。

 

 ザーザーザッ………

 

「ひゃっほおうっ」
 傍らでデ・フォンが歓声をあげた。まったく大人になっても変わらない者もいるものだ。
 私と彼は、「曉U」に乗っていた。無論、以前レースに出たあの愛機ではない。あれは、着陸の際に回復不能なまでに壊れてしまった。今回私たちが乗っているのは、発達した文明の技術で造り上げられた舟なのだ。とは言え、まだ文明は完全には私たちの故郷のレベルに達しておらず、「曉U」は「曉」に比べれば、格段にとは言わないまでも劣るものだった。だが、それはそれで、改造のしがいが、乗りがいがあると言うものだ。私とデ・フォン、シ・ヤンは、暇をみては機械をいじっていた。設計はル・ラヴェさんの担当である。センサーはデ・フォンがやり、私は操縦系を担当した。プログラミングは、主にシ・ヤンが扱った。
 そうして完成した「曉U」を使って、私たちは飛んでいるのだった。
 シ・ヤンとル・ラヴェさんは、今回同行していない。どちらも他の仕事――はっきり言えば子守であるが――で忙しかったのだ。最低限操縦できる者さえいれば舟は動くから、それほど不自由はないのだが、いつもと違って、何となく二人では寂しく感じられる。
「ほら、浮かれてないで機械を操作してくれないか」
 私は、操縦桿を握ったまま言った。へーい、とおどけた答が返ってきた。
 今回の仕事は、デ・フォンがやろうと言い出したのだ。彼は、前々から地理に対して興味があり、それを勉強したいと言っていたのだ。そこで、「曉U」の試運転を兼ねて、「輝青」の珍しい地形などを調べてみようというのだ。まだ、そういった分野は発達しておらず、探険は私たちの住む大陸周辺に限られていた。今度は少し遠出をすることにした。
 まず、「曉U」を上昇させ。かなりの高度まで行ったところで写真を撮り、機械にかけて分析をする。これはシ・ヤンがいればかなり楽にできたはずだが、彼女は乗っていない。分析が済んだところで下降し、詳しい調査をしていく。
 アスカのある大陸は、だいたいの地形は知られていたが、他の大陸については、呆れるほど私たちは無知だった。
 ずいぶん昔に追放した人々が集落を形成して、いささか原始的な生活を営んでいるのも発見した。また、爆発的な人口増加にともなって作られた植民地もいくつか見つかった。これらの人々は、アスカからほとんど忘れ去られた存在となっていた。
 「輝青」は広かった。様々な地形がデ・フォンばかりか、あまりその分野に詳しくない私まで興奮させた。まだ未開拓の、文明化されていない自然がそこにあった。
 私たちは、かなり長い時間をこの仕事に割り当てた。おかげでカプセルに入っている時間が極端に減り、多少他より年をとる羽目になったのだが、それに見合うだけの驚きと楽しみがあったと私は思っている。
 すべての大陸に何らかの不思議なもの、圧倒されるもの、珍しいものがあった。氷河地帯、フィヨルド、高山地帯、巨大な火山、長大にうねりながら流れる河川、視界いっぱいに広がる草原や熱帯雨林、巨大で深い洞窟、複雑な流れを持つ海洋。
 私たちのものではない、別の「楽園」がそこにあったと言っても言い過ぎではないと私は思う。
 そうして、何やら少年時代を思わせるような楽しい時間も終わり、私たちは作成した地図や調査の結果を持って、私たちの「楽園」へと帰還した。

 

 ジ、ジ、ジジ………
 ザ・ザ、ザ………

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