螺旋の時
Time Considered as a Helix of
天野 景
友に――
1.
時代は巡る、と歌った人がいた。時は過ぎ去り、また繰り返すのだと。
逆に過ぎ去った時は戻ってこない、ともいう。
過去というものに対して、私たちは幻想を持つ。だからこそ、時に関する表現は様々なのだろう。
そういった言葉で最も私の印象に残っているのは、しかし、次のようなものだ。これはいつ、誰がいったのだったか。ただ授業中にふとした拍子に出て きたのだという記憶がある。
時は螺旋を描くように移ろっていくのだ、と。
2.
K大教養棟B102教室にて。文藝部新入りである私たちは、朝から過去の作品などを槍玉に挙げてしゃべっていた。
一限目が始まる前ののどかな時間だ。日の当たる窓際で、もらった部誌などを広げ、小説にイラストをつけることの是非を、幼馴染みのコーキと、同じ 文藝部の七森が論じている。
教室の中央でアルバムを見ていた子たちが、コーキを呼ぶ。
「これ、塚本くんだよね」
ということは、北高の卒業アルバムなのだろう。
コーキはその場を逃げ出そうとしていた茶園を捕まえた。彼女も同じ高校の出身である。しかも北高のアルバムを持ってきた張本人だ。というのも、こ の場に北高出身者は、コーキと私、茶園しかいないからだ。
捻りの利いたデコピンを打ち込まれ、茶園が悲鳴をあげた。
それを見ていた私と七森は顔を見合わせ、噴き出した。
いつもの朝、いつもの光景。
アルバムのせいか、私は高校のことを何とはなしに思い出す。毎日のカリキュラムは似たようなことの繰り返しだったろう。それでもいろいろなことが あった。そしてその多くは、あの卒業アルバムには載っていない。
3.
北高について、思い出してみると。
かの高校は、私が通っていた学校で、進学校だった。しかも比較的歴史の浅い新設校で、たしか私たちが六回生だったと記憶している。一回生や二回生 の頃にはまだ校舎が完成していなかったというから、私たちが入学したときにはまだ校舎は新品同様だった。
歴史のない進学校としては、何をウリにするのか。北高は、おカタく大学受験へ向けての猛烈な課外制度をK市内で最初に打ち出した。
朝課外と夕課外。もちろんこの間にきっちり正規の授業がある。夏休みは、お盆前後の正味十日ほど。他は普通の授業と変わぬような課外攻勢だ。お正 月はお正月で三が日も明けないうちに課外や模試がある。
三年生になると、夕課外の後に「北高ゼミ」と呼ばれる課外が加わり、土曜日も午後を潰して課外を行う。帰宅部でも帰るときには真っ暗だ。
三年の秋にもなると、悪名高い十二週連続模試が始まる。私たちの年には、十四週立て続けに土日が潰れた。
課外には課外用の試験がついており、模試の勉強もあり、さらにごく普通の定期試験も課される。
いやはや、勉学の徒としての高校生は忙しいものだ。
4.
北高での私たちは、といえば。
まずまず平穏に終わった一年生の頃とは異なり、二年生は波乱に満ちていた。
進級してすぐ、事件が勃発する。
「校長先生ってカツラだって噂があるんですけど、本当はどうなんですか」
放送部で水曜日のレギュラーをもらっていた我が友茶園。彼女の持っていた昼休みの番組「おしゃべりキャロット」での最中だった。生放送で敢行され た、校長への突撃インタビューの中でいきなりの発言。しかも校長がカツラを使用していることを暴露してしまう。密かに興味の対象であったものらしく、生徒 と一部の教師の間で爆笑が起きるも、この「校長ヅラ事件」が、二年時に起こった一連の事件の発端となる。
ちなみに水曜日の番組である「おしゃべりキャロット」は二年ほど――途中でしばらく中断したが――流れたが、過激な企画、マニアックな選曲、トボ けたしゃべりがウケ、茶園の引退にともなって番組が終了してからも、事あるごとにダビングしたテープが出回り、伝説の放送と化した。
「ヅラ事件」の後、茶園の放送をやりすぎだとする放送部内での一派が力を増してくる。どうも学校側からいろいろといってきたものらしかった。
「いや〜別に楽しいからいいんじゃない?」
と茶園本人はへらへらしていたが、彼女は放送部から干されてしまう。ところが放送部の中でも茶園に親しかった者たちまで干されるに至り、彼らは部 から独立、放送室ジャックを含むゲリラ的放送活動で実力行使に打って出る。「第二放送部事件」である。茶園がやりだしたことではなかったが、彼女がこんな 騒ぎを見逃すはずもなく、気が付けば中心にいて、マイクを握っている。この一部始終がテープに残され、後日「復活のおしゃべりキャロット」で思い切り流さ れることとなる。
さらに校長側がいわゆる「第一放送部」に後押しをしたこと、茶園らに不当な圧力や嫌がらせがかかったことが発覚。よほど「ヅラ事件」が腹に据えか ねたのだろう。これは隠された事実だったが、噂の形で生徒の間に広まっていく。
「そりゃあないんじゃないか」
「ひどいよな」
とばかりに、学内世論は傾き、反対運動が学校中で盛り上がった。ことに弱小のクラブほど盛んで、彼らにしてみれば、常に予算配分等の問題を抱えて おり、学校側の余計な干渉など他人事ではなかったのだ。いくつかの部が署名を集めたり、共同で抗議文を提出したりした。
実はきっかけとなったのは、茶園の個人的な友人たちである。恐るべき機動力と影響力でもって、世論を味方につけた。
例えば。
一年のときから一緒のクラスだった千堂君はギターを、新田クンはハーモニカを手にして、まるで反戦歌でも歌うように、あるいは繁華街で路上演奏を している人たちのごとく北高の玄関で毎朝毎夕熱唱――といっても新田クンはハーモニカだったのでさすがに歌えなかったが――していた。玄関は各学年同じで あり、登下校のときや休み時間に彼らの歌などを聞くわけだ。彼らによる「洗脳」は、一般生徒に徐々に浸透していく。
新田クンの彼女であるザキこと、板崎友紀は、所属する女子バスケ部をけしかけて、反対運動を起こしていた。というよりも体育会系の連中に火をつけ て回っていた。はきはきしたザキはわりに体育系クラブの中でも有名で、かつ人気者でもあったから彼女の言にまともに影響を受ける者も出てきた。
私はといえば、文藝部で怪文書を作成し、各所にバラまいたり貼って回ったりしていた。一般生徒に広まった噂の出所は、これである。ソースは文藝部 極秘となっている。
さらに我がクラスでは、「校長派」の先生の授業や課外をボイコットすることまでやってのけた。この時間、図書館で自習をし、分からないところは得 意な者に教えてもらったりとお互いに助け合った。おかげで、授業をやっていないにも関わらず、試験は大して他のクラスと変わらない点数を取ることができ た。ここらで手抜きをして、つけ込まれる隙を作るつもりはなかった。私たちはそれほど馬鹿ではない。
クラス代表会議の方でも、いつの間にか「校長がヅラかどうか」という議論に端を発した事件は、学校側の横暴とそれに反抗する学生という構図となっ ていた。日頃、勉強などでストレスを溜め込んでいる高校生たちが爆発したようだった。しかもクラス代表ともなれば、それなりの理論武装は整え、同じ立場と して一致団結している。皆ハイテンションであり、内申書がどうのということまで考え至らなかった。
それに先生たちの側でもわりと揉めていたらしい。反校長派である教頭一派がひそかに状況を煽り立てる。元々茶園が原因でだったわけで、私たちの担 任であった七森先生は、日頃のおっとりした態度もどこへやら、その弁護に回っていた。
これがまた、茶園らによって放送されるところとなり、事態はますます泥沼化の様相を示していた。
ここに至って当時の相原生徒会が介入する。会長と副会長は双子の兄弟であり、私たちの友人でもあった。会長である相原正明が双方をなだめ、副会長 の相原輝明が裏工作を行って、事態の収拾にかかった。我が幼馴染みコーキ――相原兄弟直々の指名で「生徒会裏書記」の称号をひそかにもらっていた――は、 双方への通達文等を代筆することになる。
ともあれ、相原兄弟の動きによって、クラス会議が和解へと歩み寄りを見せる。相原会長はテニス部のエースであり、その関係で体育会系に睨みを利か せる。何度か賞を獲ったこともある美術部部長兼任の相原副会長は、文化系クラブの方を調整に奔走した。こういった生徒会の動きのため、学校側も冷静さを取 り戻していき、かくして和解が成立した。
学生のお祭り気分は水を差された感じになっていたが、三年は受験生ということもあってかゴタゴタが終息するのを歓迎していたし、私たち二年生は元 々学校側に不満を持っていたから騒いでいたのであり、学校側が譲歩するならば文句はそうなかった。一年生はよく状況の分からぬまま、巻き込まれていただけ だ。
特に生徒が処分される、ということはなかった。一度そんなことを始めてしまえば、各部各委員会などにも波及しただろう。茶園を停学にしようものな ら、また紛争が勃発しかねない。学校側としてはなるたけ穏便にすませたいというのが正直なところだったようだ。
とりあえずお咎めなし。これが学校側の答だった。校長などは最初かなり難渋を示していたが、他の教師や生徒会の説得を最終的には受け入れたよう だった。
一連の事件でもっとも得をしたのは、生徒会だったろう。相原生徒会は学校側に対する発言力を強め、そのまま第二ステージに突入することになる。
夏前に盛り上がった文化祭騒動である。
カタ苦しい校風の我が北高では、文化祭といえる文化祭がなかった。あったのは、「文化展示発表会」である。部活で練習した成果、あるいはクラスご とに決めた研究テーマ――たとえば「公害病の研究」であったり「K市の歴史」だったり、「地元出身作家の研究」であったり――を発表するという、面白おか し い企画だ。体育館であるのはブラスバンド部の演奏であったり、英語科の英語劇であったり、討論会であったり。いやはや。K市内の中でもっとも他校からの客 が入らない文化祭だという評判は伊達ではない。
「面白くねえぞ」「どうにかならんのか」「模擬店くらいさせろ」「もっと面白い企画だってあるだろうが」「派手にやろうよ派手に」「俺に歌わせ ろ」「お祭りなんだからさあ」「だから北高のイメージってカタいんだよ」「息抜きくらいさせてくれ」「俺に企画をさせろ」等々の声は毎年あがっては、学校 から無視され、生徒たちは学校から決められた条件でしぶしぶ「文化展示発表会」に望んでいた。夏休み明けまでにテーマを各クラス、各クラブで決め、それに ついてその場限りの発表を行う空しさよ。
私たちの学年はやたらテンションが高く、放送部事件をきっかけとして、通常の学年であれば仲の悪い――というより、カリキュラムやら授業形態やら がそもそも違うので交流が少ない――普通科、理数科、英語科の連帯意識も高かった。そして、学内行事の中心になるのは、勝手が分からぬ一年生でも、受験を 控えた三年生でもなく、二年生たちだった。
もうちょっと遊びの要素が入っていてもいいんじゃないか。「発表会」で遊びの要素といったらブラスバンドがその昔ヒット映画のテーマソングを演奏 した くらいだ。他の学年がどうにかしないなら、俺たちでどうにかしよう。
などと、またしても生徒間で、改革意識が盛り上がり、千堂&新田コンビが歌い、ザキが怪気炎をあげ、コーキが代筆をし、私は怪文書作成に燃えてい た。
各クラスから突き上げを食らい、クラス代表会議の二年代表が「文化祭に関する議案」を提出。
放送部――もちろん中心にいるのは我が友茶園だ――が例によって例のごとく、一部始終を流して、意識改革を推進する。というか煽り立てる。
学校側は、あまりいい顔をしない先生が多かった。所詮北高は新設校であり、偏差値を上げ、いい大学に受からせることで名を高めていく、という方針 だったからだ。もちろん、中には学生運動に共感して盛り上がっている先生もいないではなかったが、そういった生徒寄りの先生は少数派だった。
ここで相原生徒会がまたしても動く。
何をどうしたのかは私は知らないが、長々とした折衝の末、「文化展示発表会」は「北高祭」に名を変えることになる。
結果、模擬店等のクラス参加、カラオケ大会、ビンゴゲーム、ダンパ、有志バンドによるコンテストなどなどが開催される。学校側としては「高校生と して度を外さないように」という条件がついていたが、果たして守られていたかどうかは定かではない。
考えてみればとんでもない譲歩を学校が示したわけだが、果たして相原兄弟はどのようなマジックを使ったのだろう。聞いても笑って答えてくれなかっ たが、彼らの活動によって、第一回の文化祭は大いに盛り上がった。
翌年には、またも私たちの代で運動を起こした。毎年秋に行われていた体育祭を梅雨前に持って来た。秋にそんなものをされたら、勉強に差し支えるで はないか。とはいえ、体育祭は絶好の息抜きであり、楽しみでもある。ツブすというのも面白くない。だから、二年の三学期に意見書を提出、これについては学 校側も全面的に賛同した。成績向上に通じるとの判断だろう。さらに、私たちは受験に備えて、ボイコットによって課外の担当教師――教えるのがおそろしく下 手くそだったのだ――を代えさせた。
とまれ。私たちは私たちなりに全力を尽くし、北高を変えた、と思っている。現にコーキが二年時に書いた学校案内はいまだに健在でK市内の中学校に 配られているし、生徒手帳改案文もそのままだ。文化祭も自由度が高いまま、第二回が行われた。課外もどうやら私たちが卒業した年から、課外はきちんと教師 選択制が導入されたという。
ひとりひとりが北高の中で埋没し、忘れられていっても、私たちがしたことは、こうして残っていくのだ。新しい誰かによって変えられるまで。それで いい。
5.
そうして三年生になり、一年近くが経ち、私たちは卒業した。後に数々の挿話と伝説を残して、である。
三月も半ばを過ぎた頃。私とコーキは、並んで人混みの中を歩いていた。悲喜こもごもの声が周囲ではあがっている。ただでさえ大学のキャンパスは他 と雰囲気が違う。それも合格発表の場となればなおさらだ。私たちの周りはどこか非現実的な光景に見えた。
たくさんのビラを配られる中、K大教養門を抜け、教養棟の前に来る。胴上げの声が騒々しい。
横にやたら長い掲示板が設置されており、そこに合格者の受験番号が列記されている。プライバシーがどうのという理由で、受験生の名前は記されては いなかった。掲示板に覆い被さるように、桜の木が並んでいる。花びらが風に舞っていた。
文学部の合格者発表は、一番右端にあった。コーキも同じ学部を受けたから、同じ掲示板の前だ。
暗記するくらいに見た自分の受験番号を探す。
――あった。
私は、深く息を吐いた。
「コーキ?」
隣で掲示板を眺めていた幼馴染みを見る。コーキは肩をすくめた。
「また四年も一緒か」
とわざとらしい溜息。
私は微笑んだ。はらはらと舞い落ちる桜の花びらが、いい味を出している。合格したのだというほのかな幸福感が、胸の奥から滲み出てくる。
「茶園のやつはどうだ」
「そっちも大丈夫」
寝坊したとかで来なかった同級生の受験番号も、しっかりと確認できた。
「ツカサも受かったし、新田もだろ」
コーキが仲のいい同級生の名を指折り数える。ツカサこと千堂君は他県の大学に受かったことがすでに分かっている。免許取り立てのバイクに乗って、 試運転がてら合格発表を見に行き、昨夜、コーキのところに電話があったらしい。もうひとり新田クンは、K市にある別の大学に合格した。
「京子、に、塚本!」
人混みの中に私たちの姿を見つけたのだろう。ものすごい勢いで走ってきたのは、ザキだ。ショートカットにジーンズの上下。まるで男の子のような印 象。その全身で嬉しさを表現している。放っておくと飛び上がって空まで行ってしまいそうな勢いだ。
聞くまでもない。ザキも合格したのだ。彼女は文学部の隣、教育学部の志望だった。
「お前、俺をおまけみたいに呼ぶのは止めろよな」
コーキが口を尖らせる。
あはは、とザキが笑い、コーキの肩をどやした。
「気にしない気にしないって。それよりどうだった? あれ、茶園は? 一緒じゃないの?」
「寝坊したんで代わりに見といてくれって」
「らしいね、まったく」
ザキがまた笑った。さすがに一年からの付き合いとなると、よく分かっている。
「これでみんな受かったわけね」
ぽん、と手を叩いて、私。
「ん。ツカサが戻ってきたら打ち上げやんないとな」
「賛成っと。千堂のやつ、いつ頃戻って来るって?」
「あちこちふらついてからっていってたからな。来週くらいか」
「じゃあ、そのくらいだね」
近くにテントが張られ、そこで合格者たちに必要書類などを配布している様子だった。ここにもやはり桜がそびえ立っていて、テントの屋根にも桜の花 びらが散らばっている。私たちは三人して列に並んだ。
まったくもって周囲は騒々しい。悲喜こもごも、と最初に思ったが、この辺はさすがに喜びの声ばかりが響きわたっている。おそらく、自分の番号を見 つけきれなかった人は、その場にいたたまれなくなり、そっと帰ってしまうのだろう。
「あら、あなたたち」
大きな封筒を持って姿を現したのは、担任の七森先生だった。おっとりした感じの女性で、生徒には人気がある。おそらく、今日はK大を受けた生徒の 結果を確認に来たのだろう。
「おめでとう、みんな受かったようね」
と、にこり。
「板崎さんが教育学部、塚本くんと島田さんは文学部ね。あ、そうそう私の真ん中の子が、文学部に受かったの。これから一緒になることがあると思うけ れど、よろしくね」
たしか先生の「真ん中の子」は、私たちと同い年だと聞いたことがある。
「今日はお子さん、見にいらしてないんですか」
と尋ねると、七森先生は苦笑した。
「あの子、別に興味はないみたい。私にね、見ておいてくれ、なんていうのよ。だからほら」
先生は、お子さんの分の合格書類を持っていた。茶園と同じく代わりに、というパターンだが、性格はやはり違うようだ。七森先生のお子さんが茶園と 同じタイプとは想像しがたい。
「変わった子だけど、よろしくね」
じゃあね、と立ち去りかけて先生は足を止めた。
「そうそう、打ち上げをするなら、文学部と教養の間ね、そこの桜はここよりも綺麗だから、お花見なんてどうかしら」
私たちの会話は聞こえていたらしい。ひょっとしたら、合格の祝福よりも、桜のことを教えに来てくれたのかもしれない。七森先生は、このK大の出身 だと記憶している。
私たちはテントの外で、大きな桜を見上げた。これより綺麗に咲いている、というのは信じがたい気もしたが、七森先生が嘘をつくいわれもない。
ならば、よほどのものだろう。
「花見か、いいねえ」
「そうしようか」
「だね」
ともかく、こうして、私たちの「受験」という大きなお祭りは幕を下ろした。
6.
七森先生の言葉通り、K大の桜は綺麗だった。この分では、入学式のときには見事に葉桜となっているだろうと思われるほど、無茶苦茶に咲いていた。
私たちは菓子やジュース――ひそかに缶ビールなど混ざっていたが――、ビニールシート持参で乗り込んだ。
K大教養棟の横に桜並木の道がある。かなり花びらが散っていたが、それでも桜はたっぷりとあった。逆に花びらが散らばっているために、世界が桜に 満ちていた。圧倒的な桜だ。何しろ、上下左右どこを見ても桜色の景色なのだ。しかもちょっとした坂になっているため、坂を見上げると、青い空が桜色に切り 取られている。その下には、文学部棟と教育学部棟が見えた。
「キレーだね〜」
カラオケセットをぶら下げた茶園が感想を漏らす。花見の道具、というよりは取材の機材、といった感じだ。
メンバーは、ザキ、茶園、新田クン、コーキ、千堂君、それに私だ。この顔ぶれでは、千堂君だけが県外に出ていく。その送別会も兼ねた打ち上げだっ た。
缶のビールで乾杯をする。「かーっ」と喉を鳴らして缶を離し、唇についた泡を袖で拭うのはザキだ。
受験期間中、まったく遊ばなかったわけではない。しかし、控えなかったといえば嘘になる。長い受験生活がようやく終わった解放感に私たちは満ちて いた。何しろ延々と続いた模試やら試験やらのせいで感覚は麻痺し、本番の試験でもまったく緊張しなかったほどなのだ。ひょっとしたらあの恐怖の連続模試も 御利益があったのかもしれない。
ぱちりぱちりと私が持ってきたカメラで写真が撮られる。桜の木の下で受験の打ち上げするというのも粋だ。まさに「サクラサク」といった感じであ る。茶園が買ってきたクラッカーが炸裂する。景気のいい音とともに紙吹雪が飛び出し、桜吹雪と混じり合った。その桜吹雪の中で、私たちは写真をたくさん 撮った。高校生でも、大学生でもない微妙な時期をフィルムに焼き付けようとしているかのようだった。。
「おめでと〜」
「おめでとう」
と幾度となく乾杯をする。何度やっても、やり足りない。
もう赤い顔をした茶園が、カラオケセットを引っぱり出す。いきなり歌い出したのは、‘All Together Now’だ。新田君がハーモニカを取り出し、千堂クンがギターを加える。調子に乗った茶園は続けて‘We can work it out’を歌う。
周囲では、おそらく大学生だろう人々がやはりシートを敷いて花見をしていた。先生らしき人もいる。
桜の花びらが豪勢に舞い落ちてくる中、私たちは歌い、飲み、食べ、騒ぎまくった。肩を組み、笑い合い、写真を撮りまくった。
ザキがお得意の永井真理子を二連発。「Brand-New Way」「We are OK!」で弾ける。明るくノリのいい曲なので、周囲のテンションまで盛り上げている。もちろんザキ本人のテンションは上がりっぱなしだ。
続いてコーキがブルーハーツの「夢」「未来は僕等の手の中」を、やや調子っぱずれだが勢いよく歌って、ノリをつなぐ。
負けじと私はリンドバーグの「ROUGH DIAMOND」と「JUMP」を披露し、周りで宴会をしていた方々の喝采をいただいた。
ここでハーモニカから口を離し、新田クンが「The Galaxy Express 999」「宝島」を歌い、周囲にオオウケする。大学生の皆さまにおかれては、聞き覚えのある曲だったらしい。
私たちは女三人で、「想い出がいっぱい」を歌った。どうやら、今日は皆この手の曲で押すつもりらしい。私も同じ気分だった。
千堂君がギターの弾き語り状態で「Standing on the Rainbow」「Resistance」を熱く歌う頃には、近くの大学生集団も一緒になって騒いでいた。聞けば文学部は文学科の学生さんたちらしい。
「じゃあ、先輩か」
コーキのいう通り、もう一ヶ月もしないうちに、そこに私たち三人は入学する。
「なんだ後輩か。なら遠慮はいらんぞ。こっち来い。食い物もたっぷりあるからよ」
髭面の人が招き、
「いいっスよね、センセ」
集団のボスらしい銀縁眼鏡の先生に尋ねると、快くその人はオーケーしてくれた。
茶園のカラオケコレクションは大量にあったし、千堂&新田のレパートリーも豊富だった。特に千堂君はいつ練習したものやら、洋楽のリクエストにも 対応可。大学生の先輩方が発する注文に即座に応じている。
桜並木を通る人々の中には、招かれて集団に加わる者もいた。新入生らしい親子連れが物珍しげに通り過ぎていくこともあった。桜に満たされた空間 は、異様な盛り上がりを見せていた。
大学生集団のシートには大量の食糧と飲料が持ち込まれている。茶園などは目を輝かせて、その消費に協力していた。真ん中では、千堂君がギターを弾 き、新田クンがハーモニカを吹いている。その曲に乗って歌ったり踊ったりしている大学生の中には、ザキやコーキの姿もあった。
「大学生ってこんななんですか?」
私は隣の先輩――最初に声をかけてきた髭面の人だ――に大声で尋ねた。大声を出さないと、聞こえないほど騒々しくなっていた。
その人はにやりと笑った。
「そう、こんなもんだ。楽しかろう」
たしかに楽しかった。
その場にいた大学生、高校生を問わず、「浪漫飛行」を大合唱するに至って、私は幸福感に満ちていた。桜が、綺麗だった。
これまでリクエストに応じていた千堂君、新田クンに踊っていたコーキを加え、今度は三人して歌う。私たちの「想い出がいっぱい」に対抗してのこと なのか。
きみがいて ぼくがいたり
ぼくがいるから きみがあったり
青春の日々をいつも
ともに過ごしてここまで来たよ
バラード調の静かな、それでいて力が底流に流れているような曲だ。三人の声が見事にハモっている。
面白いこともあれば
すべてが憎く感じることも
青春のデコボコ道は
とてもひとりじゃ歩けなかった
静かに深い調子で語られる歌。皆、聞き入っている。
友だちは友だちだよ 恋人ではない
だけどそれより深い
友だちは友だちだよ 恋人ではない
そして 永遠に続くさ
歌が終わると静寂。それから拍手が来た。男三人が少し、照れていた。
それからまた騒ぎが再開し、夜まで続いた。日が暮れると桜がライトアップされ、何とも幻想的な光景となる。私は何となくしんみりした気持ちで、桜 を見上げ、自分の高校時代が終わってしまったことを噛みしめていた。
7.
翌日昼過ぎ。私たちは千堂君の家に集まった。
皆眠そうな顔をしている。昨日の宴会は途中でさすがに退場したのだが、朝早く起きて、作業に従事していたせいでまだ私も眠かった。
千堂君の部屋に通された。これまでも何度か皆で遊びに来たことがあったが、そのときの記憶よりも、ずいぶん部屋の中ががらんとして見えた。
「ああ、もう荷物とか送ったからな」
私たちの顔を見て、千堂君が苦笑する。何だか、寂しげだった。
コーヒーなどが運ばれてきて、一段落した頃、
「ほらよ」
コーキが千堂君に紙袋を差し出した。
「何だ、これ?」
「餞別だよ、セ・ン・ベ・ツ」
中にはカセットテープの山。「おしゃべりキャロット特別編集版」とラベルまで貼ってある。千堂君に内緒で、私たちが録音・編集をしまくったもの だ。ついでに前日の宴会まで吹き込まれている。茶園がこっそり録音していたものだ。
「もうひとつはねえ、これ」
分厚いアルバムを一冊、茶園が差し出す。
「苦労したんだよ」
こちらは一年生から撮ってきた写真だ。私たち六人は、三年間クラスがずっと一緒だった。六人で遊び、思い出を作ってきた。その総集編だ。もちろ ん、こちらも昨日の写真が入っている。スキー研修、文化祭、体育祭、水泳大会、クラスマッチ、カラオケパーティー、ゲームセンターで騒いだこと、遊園地で 遊んだこと、山へ行ったこと、海で泳いだこと。そういった写真に朝っぱらからペンで書き込みをしまくり、色とりどりの落書きなどして編集したものだ。
学校でもらった卒業アルバムよりも、こちらの方が私たちにふさわしい。これが私たちの二つの卒業アルバムなのだ。
「すまんな」
「いいってことよ」
彼は、少し涙ぐんでいた。
「何時に出るの?」
「あと二時間くらいかな」
「あっち着いたら、城山さんによろしくね」
千堂君はいきなり顔を紅潮させて、口にしたコーヒーを噴き出しそうになった。城山さんというのは、千堂君の幼馴染みであり、二年のときに他県に 引っ越してしまった。
「ど、どうしてお前ら」
どもっている。
「みんな知ってるってばさ」
「ザキさんの情報網を甘く見るんじゃないよ、千堂」
「わざわざ他県にまで出張るんだからよ」
そういうことなのだ。
千堂君が出発するまで、私たちはテープを聞き、写真を見て、おしゃべりを続けていた。写真を見て懐かしみ、テープを聞いては笑った。
たしかにそこには、私たちの三年間が凝縮されていた。
ふと、私は桜の降る中で男三人が歌った曲の一節を思い出した。
きみとぼくが 主役はった
映画みたいだと
今では笑うけど
まさしく。
時間になった。
「じゃ、またな」
「ばいば〜い」
「また」
「んじゃ」
「またね」
「おう」
たったそれだけで、私たちは別れた。いつもと同じように、明日になったらまた会うかのように。それが、私たちだった。
8.
高校の毎日毎日は、似たようなものだった。カリキュラムが定められ、ノルマがあり、私たちはそれに乗っかって、動いていた。
そのように見える。
しかし、私たちは少しずつ先へと進んでいる。昨日の私たちは、今日の私たちではない。
We are not what we were.
英語は苦手だが、こんなところだろう。
螺旋階段を考えてみよう。一巡りしたときの光景はたいして変わらないかもしれない。しかし、確実に上だか下だかに進んでいるのだ。円を描いて元の 場所に戻るのではない。
時は螺旋を描く。
私たちの高校時代は波乱に満ちていた、といってよい。きついこともあったし、楽しいこともたくさんあった。それらは私たちが作った「卒業アルバ ム」の中に、あるいは私たちの記憶に焼き付けられ、過去を形成している。
たくさんのお祭りの集合体。それが私たちの高校生活だった。長いそのお祭りが終わり、私たちは、また別のお祭りに突入した。そこでもまた、思い出 を作っていくのだろう。
そして、時の螺旋は、そういったたくさんの思い出によって彩られ、一巡り一巡りが区別されている。宝石、とまではいかないかもしれないが、準宝石 をちりばめた螺旋のように、私たちの時はこれまで存在していたし、今存在しているし、これからも存在していくのだ。
引用:シブガキ隊「恋するような友情を」
Ver.1.4. 2000.3.11.
Ver.1.4b. 2004.6.27.
もしあなたがすでに「Keep On Running」を読んでいたなら、こちらへ。
未読ならば、こちらへどうぞ。