「いかにして十一音の翼により世界は奏でられたか」

等はいかにして語られたか

 

天野 景

 

◎まず筆者は説明する◎

 いやはや、まったく長いタイトルで申し訳ないです。

 今回もこうしておまけがついているわけなんですが、ちっとばかし注意点。本稿では「いかにして十一音の翼により世界は奏でられたか」と「天使とミルクと研究室」のメイキングを扱っています。とりあえず前者を前半、後者を後半という具合に分けてますけど、なるだけ相当する作品を読まれてからの方が参考になるでしょう。つーか、ネタばらしはするし、読んでないと分からん話は出るし、でつらいんじゃないかと思う今日この頃。

 で、何でこんなもんがついているか、というと、日頃から私がいぶかしく思っていることがあってのことでして。それは何だか私の文章をうまいと褒める人が多いことなんでございます。

 実際のところどうなんでしょう。

 結構ヘボいと私は確信しております。ヘボいものを延々と磨き続けて、ようやく他人様の目に触れてもいいかな、というくらいに仕上げるだけのこと。実際、三題噺に提出する作品は少なくとも五回程度は印刷してチェック。全行程含めれば、おおよそ作品提出までに十回や二十回ではきかないくらい自分の話を読んでいます。それだけやりゃ、誰だってある程度のものはできるんじゃないか、と思うわけでありまする。

 そこで、今回どれだけ最初のバージョンがヘボいものか、そこからいかに変遷していくのか、を見ていきたいと思います。

 最初は製作日記をちまちま書いていたんですが、どうも面白くなかったので、各バージョンについてどう前と違うのか、どこら辺をいじったのか、を中心にやっていこうかと。

 ひょっとしたら、なにがしかの作品を書く人の参考になるやもしれません。

 

 

★「いかにして十一音の翼により世界は奏でられたか」★

 

 ☆発想の方向性について。

 今回のお題は「天使」「ミルク」「壁」でありました。結びつけるのがめんどっちいなと思いつつ、いくつかの方向性を考えようとしたわけで。

 考えようとしたわけなんですが、最初に思い付いたのが「ミルク」→「牛乳」→「乳海」という常人になかなかついていけないような方向だったのですな。「乳海」については5月5日バージョンで解説するので、そちらをよろしく。

 ともかく、「乳海」そのままだと面白くないんで、場所を宇宙空間みたいなところに持ってきた、と。でもそれじゃあのぺーっと白い海が上下左右手前奥に広がってるだけみたいな感じなんで、ちょっと区切ってみました。ということで「壁」を作った、と。

 一方「天使」についてなんですけど、こちらは「乳海」が広がっているシーンが出た瞬間、ほとんど創世もので行ってみようと決めてかかっていました。ひとつは、私の専門であるトールキンの創作神話「シルマリルの物語」を連想したため。この話では天使に当たる神々が音を使って創世するシーンがあります。で、そのうちひとりがみんなで作った地球を見て「これは俺んだ」って戦争吹っかけるんですな。この御方が、冒頭に掲げられているメルコオル。トールキンの『指輪物語』読んだ人には、冥王サウロンの上官に当たるといった方がいいですか。ちなみにサウロンはメルコオルの起こした戦でも活躍し、初代冥王たるメルコオルが永遠に封印された後、二代目冥王として君臨します。だから、サウロンはポジション的には、「一番最初のえらい神様」→「創世を手伝った神様たち(メルコオルら)」→「その補佐をした半神たち」→「上から二番目の神様たちに作られた種族(人間、エルフ、ドワーフ)」というヒエラルキーの下から二番目です。ここにはガンダルフ、トム・ボンバディルもいて、だからガンダルフはサウロンと互角に戦えるんですね。『ホビット』では、一度その肉体(死人占い師と呼ばれてる御方です)を滅ぼしてるし。

 めちゃめちゃ脱線。失礼しました。

 で、メルコオルからの連想で、ひとりはぐれる天使のイメージが確立。でも、所有欲からってのはそのまま使いたくはなかったので、事情を変えてみました。

 最初のバージョンが書かれるまでの発想の方向はこんなもんです。発想の段階で、「こりゃ話的に絶対50枚は行かないな」と分かっておりました。50枚持たせるとたるむだろうし、雰囲気をぶち壊すと予想。30枚くらいを目処にして書くことに決定。

 

 

○5月5日バージョン

 御覧になっていただければ分かるように、最初のタイトルは「天使たちの協奏曲」でした。後の呪術師が出てくるバージョンとは、トーンがまったく違いますな。何だかライトチックですな。LとRは何となく。いちいち名前をつける、という行為がなくても作品が成立すると私は前々から思っている(名前をつけるのも大切だけどね)んですが、そこから来ているのかもしれません。

 2のパートは書かれていませんが、ここで天使が人間に恋をし、というようなベタベタな話をしようかと思ってました。でも、あえなくボツ。

 すでにこのバージョンから「乳海」を壁で囲む設定が出ているんですが、補足。

 「乳海の大攪拌」というのは、これはインドの神話に由来しております。知らない人のために解説をするとだいたいこんな感じでやんす。

 

 神さまと悪魔たちが争っているのだが、次第に神さまたちが押されてくる。そこで困った神さまたち大神に相談する。大神曰く「乳海を攪拌したら不老不死の霊薬やら何やらいろいろ出てくる。そいつを使えばばっちりじゃ。悪魔どもにも分けてやるからいうて手伝わせい」「しかしそれでは悪魔どもも強くなっちゃいますが」「阿呆。約束なんて守る必要あるかい。働かせるだけ働かせてポイ捨てすればいいんじゃ。げっへっへっ」「大神さまも悪でございますのう」てな計画が練られ、世界一高い霊山ぶっこ抜いて逆さにし、世界一ぶっとい蛇をそれに巻き付け、乳海にどっぽん。蛇の頭を悪魔たちが、尻尾を神さまたちが持ち、大神は亀に化けて山の軸受け。交互に引き合う、世紀の綱引き開始。蛇は苦しがって火を吹き、悪魔たちは大やけどしたりする。山はくるくる回転し、乳海は攪拌されいろいろな宝物が飛び出す。最後には吉祥天(ラクシュミ)も誕生。神さまたちはそれを独占。悪魔たちは契約不履行を咎めるも、不老不死の霊薬を飲んだ神さまたちに対して、疲労困憊勝ち目なし。諦めるしかなかったとさ。

 

 ……という話だったように記憶しております。ちなみにこの攪拌法は実際にインドで行われているものらしいです。いや、さすがに山とか蛇とかは使わないだろうけど。

 もちろん、これをそのまま用いるわけはないんで、いろいろ変えたり、混ぜたり、といったことをやっております。

 後々のバージョンとの相違点。単音天使、複音天使の設定が違います。天使に名前がついています。たわけた小題もあり。乳海を囲んでいる壁が物理的なものっぽい。

 コンセプトとして、牧野修ファンとしては、「電波大戦」みたいなイッちまっているような単語でものを書きたかったらしいです。単語を作ろうとしている点にそれが顕著。もちろん失敗。面倒になって放り出すことに。

 

 

○5月12日バージョン

 前回からちょっと日が経っているのは、暑さでバテていたせいでしょう。いや、マジで暑い。

 この前日、入浴して洗髪中にふ、と思い付いた設定が加わりました。どうでもいいが、私にとって話のネタが浮かびやすい行動のひとつが洗髪です。頭皮を刺激するのがいいらしい、のかどうかは知らないけど、とにかく髪洗ってると、ぽんぽん変なことを考えつきます。湯に浸かっているときよりも遙かに効率がいい。他の行動としては一番いいのが、移動中。チャリンコのときもあるし、散歩のときもありますが、とにかく移動しているとき。このため、延々とチャリに乗って何時間かうろついていることもありますな。変なやつ。あとは睡眠ですかね。いくつか天野流の発想法を心得ているため、寝る前に仕込み、朝起きたらばっちり、ということも多々あり。ますます変なやつです。

 さて、今回思い付いた設定は、呪術師がらみ。この辺ですでにタイトルがふさわしくなくなっているんですが、変えるのが面倒だったのでそのまま。

 「電波大戦」から神話方面に方向が変わったようです。幻想系ですか。ともかく言葉を泳がせて変な方に持っていこうとしていますね。で、呪術師の描写がなかなかキてると思うのですが、いかがでしょうか。

 後ろにくっついたままの前のバージョンを見れば、違いを分かってもらえるんじゃないかと。天使LとRが引っ込んで、原音天使、単音天使、複音天使の設定が固まりました。節タイトルは消え、数字のみ。

 また、夢だ夢だとしつこく繰り返しているのは、もちろん繰り返しの美学があるから、というだけではなくて、最後にどんでん返しをやるための伏線。この段階ですでにそれは念頭にありました。同時に呪術師の姿をばかすか変えることで、夢だ、という言葉に違和感をなくさせようという狙いもありました。

 

 

○5月13日バージョン

 後半部執筆。後ろにくっついたままの5月5日バージョンが削除されました。うざったかったでしょ。

 節番号をいじってABに分けました。構想としては、A→Bでひとかたまりなわけ。呪術師のシーン、呪術師の語る世界、呪術師のシーンといった繰り返しで、最後にABの区別が消えてひとつになる、みたいな。最後にちょこんとαΩと打ってあるのは、ABの区別とどっちが様になるか、ということを検討したためです。ただし、ABの方がワープロ的に打ちやすかった、という理由(つまりαΩの方が面倒くさい)のためボツ。痕跡のみが残ることに。

 呪術師が「私」に兄弟姉妹の呼びかけをするように。感じとしては「おお、兄弟」みたいなとこですが、呪術師の姿を不確定にしてるので、こっちもやってみようと分割。一挙に「私」の変さが増しました。同時にこれは最後に「我が友」と呼ばせる前振りに。とかいいつつ、実は発想が逆。「我が友」で結ぶため、前振りに兄弟姉妹を持ってきたのが正確な表現。

 4−Bはブランク。ここは呪術師の話と「私」がリンクする大事なところなのでもうちょっと考えてみることになりました。

 5は材料のみ。呪術師と「私」のラストパートです。書くことは決まってたんですけど、まだ書いていません。具体的な文章まで行ってないという場合には、こうしてとりあえず決まっていることを連ねてみる。こういうのも執筆法としてはいいかも。ここは、「月はチーズからできている」というイメージより発達したもの。ちゃんと、チーズでできているでしょ。他にヨーグルトはあるわでえらいことになってますが。

 この段階では、攪拌シーンで音のバランスが悪いですね。外から6−1−4システム。

 

 

○5月14日バージョン(Ver.1.0.)

 とりあえず印刷してみたりなんかして。前と大して変わりはなし。ちょっとばかし老呪術師の外見が変わり、「私」の情報が少し入りました。

 私の場合、ディスプレイ上でチェックするよりも印刷してからチェックした方が遙かに効率がよいので、昔からこうしている。印刷したものにVerナンバーをつけるのはわりと最近の習慣だけど。で、印刷したのを通常は延々二回かそこらは読み、ひたすら朱を入れていく。ことに最初の印刷バージョンだと誤字脱字よりも順番の入れ替えとか追加場面の挿入とか逆にカットするシーンとかを決めていくことになるので、ずいぶん変わってしまうことも多いです。あと、前後の辻褄合わせや伏線の張り直しとかもここでやってしまいます。

 今回は、まだ4−Bと5が不完全。

 バージョンナンバーがついたからには、今後、おそらく大筋では変わりはない、はず。

 

 

○5月21日バージョン(Ver.1.1.)

 ようやくタイトルが変わり、4−B及び5が埋まりました。とはいえ4も5もまだ改稿の余地ありまくり。

 老呪術師に眼柄をつけてみました。

 後は推敲するだけ。いつもだともっともここからが長いんですけど、この話はそんなにかからないかも、と予測。

 

 

○5月28日バージョン(Ver.1.2.)

 一週間くらい置いといたのは、別の作品等をやっていたため。それに、この話は、そうそういじることもなかろうと予想していたためでもあります。事実、この分だとあと2回も推敲したら終わるでしょう。

 とりあえず献辞をつけてみました。

 世界の創世を二度やるというのは、どうも表現しにくいような気がします。よって最初の創世をつぶし、後半の一度のみにしぼることに。

 3−Aで呪術師の肌の色を変更。言葉が火に弾けるようになりました。

 4−Aでも呪術師の肌の色が変更。「肉球のある手」が「肉球のようなもののある手」に変更。 

 5に「私」の語りを追加。ちょっと分かりやすくなりましたか。

 

 

○5月30日バージョン(Ver.1.3.)

 呪術師の語るとこで、ちょっと描写がプラス。

 前のバージョンの説明では書いてないんですが、基本的に呪術師の外見は「〜のような」と説明されてますわな。「○○のような」という表現は、「実は○○ではないんだけれども」というニュアンスを含んでます。で、「人に似た微笑み」を入れるために、徹底的にやらかしておるんですね。

 とかなんとかもっともらしいことをいいつつ「天使のような翼」と表現されていることに気づいて愕然。慌てて「ような」を削除することに。

 呪術師の描写がさらにパワーアップ。着色もしたことだし、これでほとんど決まりでしょう。

 

 

○5月31日バージョン(Ver1.4.)

 ほとんど修正はなしです。何ヶ所かに手を入れたのみ。

 これにて一件落着、ですかね。

 どこかに誤字とかありそうで怖いですが。

 

 

 

★「天使とミルクと研究室」★

 

 ☆発想の方向性

 えー、こっから「です・ます」調は改めます。

 で、方向性なのだが、方向性も何も……。

 三題噺で展開している「K大もの」を今回も書こうと思っていた。これが第一段階。すでにキャラ設定はすでに三桁(望たちの代の文学科が70人。それに重ならない文藝部員が20人ほど、さらに重ならない村雨研の人々が70人ほど、加えていくつかの家族)になっているのだが、当然全部のキャラが出てきたわけではない。そこで今回のコンセプトは「児玉望」を出すこと。それから「村雨研の紹介」。さらに「村雨研に入るメンツの紹介」。

 発想としては、「ミルク」→「牛乳」(ここまでは「いかにして……」と同じ)→「背が高くなる?」から、児玉望が背を伸ばしたいという話になる。で、何故高くなりたいか、というギモンが生じるわけで、そこから芋蔓式に「背が高い」→「バスケ」→「バスケのプレイヤー」と来て、もうひとつのお題「壁」と接触、「壁にぶちあたり、バスケで負けたんで牛乳を飲む」となる。

 一方、設定上、児玉望は前に執筆した「K大もの」に出てくる板崎友紀とキャラが似ている点があった。つーか、逆。板崎が児玉望に似ているのだ。こいつらをぶつけたらどうなるか。同じ大学の隣の学部だから会うチャンスはある。と同時に、朝の登校ラッシュを使って何か書きたいな、と何年も前から思っていたので、そことくっつき「バイシクル・レース」(←おまけ、のストーリー)の基本設定となる。

 さらに二人とも同じ地元の出身で、バスケをやっていたという設定がすでにあったので、以前ぶつかっている可能性大。板崎友紀は高校時代に結構有名になったはず(←これも前回の作品参照)なので、これよりも前、中学辺りだと決める。

 児玉望は中学時代にバスケをやっていたが板崎に負ける。で牛乳を飲む。大学に入って板崎と再会、自転車レースをする羽目になる、と。

 この話では「壁」は精神的なもの、それから物理的な背丈、という「壁」の双方を出してみる。で、挫折の話や迷っている話という方向性がつけられ、コンセプトからどの研究室に進むか迷っている、という形に落ち着く。

 ただし、この後、児玉望のチューニングにやや失敗し、調整でえらい目に遭うのだが。

 

 

○5月5日バージョン

 のっけからタイトルがちょっぴり違う。ホントは、三題すべてを使いたかったのだが、「壁」だけ通じが悪いので、変えた。

 タイトリングは、すんなり決まるときもあるし、ふらふらと迷いまくることもある。私がタイトリングの基準は、「それだけで内容を表している」と同時に「それだけで耳に残ったり、染み込んでいくような言葉」でなければならないというもの。それは小説のタイトルでの好みにも現れている。

 今回の話はわりとタイトリングに悩んだ。「天使とミルクと進路の志望」にする前は、しょーがないので「児玉家の人々(仮称)」だった。児玉家の人々の話を中心に展開させようと思ったものの、そんなことをすれば焦点が合わないことおびただしい。光を描き込めば、望のパートがその分減りそうではある。まあ、一応、家族風景ということで「親父と望が話すシーン」及び「弟と自転車に乗る場面」を書きかけ、止まる。後ろにくっついている場面リストの書き出しでも、望と家族の誰かとの関わりが多い。ただし、親父と話すシーンは、このとき、「大学時代、研究室の進路に迷っている望と、それを聞いた親父の会話」のつもりであって、後のバージョンで出てくる「アホか」とはちょっと違うが、形を変えて流用した。

 最後にあるのは、児玉家の人々の名前である。山彦が親父で、あさひは死んだお母さんだ。

 基本的にK大ものでは、「姓あるいは名は、実在のもの、特に筆者が実際に知っているものを使う」というコンセプトがある。壁の落書きチックな当て字の名前をつけまくっても、全体が作り物臭くなるだけだ。現在設定されたキャラの中で、フルネームで知人の名を使っているのは、五人である。そのうち、四人は登場済み。たたしその場合、絶対確実に間違いなく、性格過去外見環境ポジションのほとんどは、知人とはまったく別物になっている。

 そんなこんなで児玉望を主人公にするということは決まっていたのだが、K大ものとしては初の三人称でやってみようなどと考えて、ちょっと書いてみた。

 翼を迎えに行く場面は後のバージョンにもちょっとずつ形を変えて出てくる。しかし、父親との会話はあっさりここで終了。バスケの話なども書きかけ。

 

 

○5月8日バージョン

 実は、「K大もの」では、企画当初(第一話執筆よりも遙かに前)から、いくつかの縛りが存在していた。

 1.「主人公限定の法則」:主人公はK大文学部文学科の学生(ただし茶園たちの代限定)か、同じ代の文藝部員。

 2.「枠構造の法則」:枠を作る。そのまんま。

 3.「茶園、七森、松島、児玉望、三人称の法則」:主人公に該当できるキャラの中で、この四人だけは一人称で丸々一話ぶちかますことを禁じられていた。

 最後のについては少々説明がいるだろう。何故三人称なのか、理由は簡単。私には書けないからだ。設定書を見て、これらのキャラのキーワードを抜き出してみる。「茶園→爆裂お祭り娘、七森→エキセントリック、松島→村雨研で新興宗教を作るとしたら絶対教祖、児玉→ナンセンス専門、時々突拍子もないことをいう」だ。四人に共通するのは、「内部に入って描き出すよりも外側から言動を書いた方がしっくりくる」ということ。私は常識人なので、(ぴー)な人の思考を丸々一話分描くのはしんどすぎる。

 とはいえ、物好きな人ならば「K大もの」に「いさましいちびのパーソナリティー加勢へ行く」という話に茶園の一人称が存在するじゃないかと思うかもしれない。このときも相当私は悩み、前のバージョンでは茶園の一人称はなかったりしたのだが、一人称をつけたときにも、一部に絞り、状況を限定、時間を限定、セリフを限定、メンツを限定、基本的に受け身の行動というような制限をかけまくっている。

 今回の話の児玉望だが、当初三人称にしてはみたものの、どうにも書きにくかったので、ちょっと一人称にしてみた。後ろにくっついている前のバージョンと比べるとカラーが違う。つーか、何だかどよよ〜んとしてきた。おかしい。こんなキャラだったかこいつ、と思いつつ、ちょっぴり悩む。

 本来、K大もののキャラというのはかなり確立された状態まで持って行っている。まあ、元々小説のキャラというのはそうあらねばならないのだが。

 ここでキャラの描き分けとかで迷っている人がいるなら、ワンポイント。あなたはどこまでそのキャラのことをイメージできるかね。例えば、何人かでレストランに入ったとしよう。そのキャラはどういったタイミングで、どういった料理を頼むか。あるいは好きな人に告白するとき、どういった手段と表現を用いるか。カラオケに行ったときはどういった歌をどのように、どんな順番で歌うか。これを主要キャラすべてに当てはめてみればよい。キャラごとに「らしい」セリフや行動があるはず。それをイメージできれば描き分けができるのでは。参考までに、拙作「いさましいちびのパーソナリティー加勢へ行く」では「いろいろなことがあった」という言葉を五人が言い換えているし、「螺旋の時」では別れの場面で皆、違うセリフを一言ずつ吐いている。

 こういったキャラのイメージが固まっていないと、結局、人間ではなく人形に見えてしまいかねない。作者の言葉を代弁するだけの人形だ。私はあまりそういうのは好きではないので、キャラが勝手に動き出すまで設定を詰め、いろいろなシーンを重ねることによってイメージやセリフや性格や物語を自然発酵させることにしている。

 なお、後で望のチューニングをやり直すのだが、具体的に何をするかといったら、まず元の設定と新しい性格のすりあわせをし、その調整をやりながら様々な場面のシミュレートをしていくだけのこと。これでイメージを固め直すわけだ。

 タイトルが変わる。ちょっと語感がよくなったか。

 

 

○5月14日バージョン

 研究室訪問をネタに展開することは最初のバージョンから分かっていたので、それにふさわしいラストを加えてみた。

 分かっている人には分かっていると思うが、私はタイトルで遊ぶことが多い。今回は「ミルク」で統一してみた。辞書引いて「The Land of Milk and Honey」を見つけた瞬間、これをラストのサブタイトルにすることを即決。で、同じ節のタイトルは「その場所」とシンプルに行くことに。

 それぞれの意味は。

 Milk round は「牛乳配達人が通る道、いつも通っている道」

 Milk and Water は「(水で薄めた牛乳のように)内容に乏しいもの」。鍍金は「めっき」と読みませう。

 Cry over spilt Milk は「過ぎたことをくよくよ悩む」

 It's no use crying over spilt Milk は英語の時間に習った記憶のある人も多かろう、「過ぎたことをくよくよ悩むのは無駄である(=覆水盆に返らず)」

 the Milk of Human Kindness はシェイクスピアから「生まれながらの情、人の優しさ」

 The Land of Milk and Honey は聖書に出てくる「乳と蜜の流れる場所、約束の場所(=カナン)」のこと。

 ところどころイニシャルが大文字になっているのは何となく。深く考えてはいけない。

 書いてみたのはいいが、4辺りでちょっと堅苦しくなって行き詰まる。ここで文学科のシステムについて語ったら、村雨研の様子が描けない。ううむ。

 4の後ろにある七つの言葉は、各研究室のモデルになったもの、というか、研究分野を示している。数を確認しているんですな。

 あと、1がついている辺り、K大ものの縛りのひとつ、枠物語形式にこだわっている。が、後、面倒になって止める、というか、規則を取っ払うことに。

 このバージョン辺りで、全体のパーツが揃ってきて、ストーリーのチューニング及び児玉望のリチューニングを開始する。

 

 

○5月15日バージョン(Ver.1.0.)

 児玉望は一人称よりも三人称の方がいいのではないかという判断により、急遽三人称に切り替わる。で、全体の調整をし直す。

 具体的には、前のバージョンで最初にあった自転車の場面を削り、新しく望が悩むシーンに変えてここで文学科のシステムを説明することにした。さらにバスケの話と家庭の事情の話をひとつにまとめる。で、後半村雨研の描写を入れる。これでちょっとはすっきりしたか。それにともない節タイトルをまた考えることに。

 望が悩んで、少し吹っ切れる、という形にストーリーをまとめてみた。性格の方もおおよそ解決。相当鬱屈してそうだが、村雨研に入ったら本性(突拍子もないことをいう、とか)が出てくる、ということで。

 

 

○5月21日バージョン(Ver.1.1.)

 最初の印刷バージョンである Ver.1.0.は、印刷したのはいいものの、はっきしいって読んでない。そのため何となしに思い付いたことを今回追加することになる。

 前のバージョンでは、中田と藤崎のポジションが今ひとつ明確ではなかったので、ちょっと書き足してみた。

 ここで重大な問題が発覚。

 中田及び藤崎って、四年生のつもりで書いていたが、このとき四年じゃないぞ、おい。

 設定を振り返ってみるに、この二人、望たちの代の二つ上のはず。てっきり次に院生だと思っとったのだが、とんだ勘違い。

 書き直す。てへっ。印刷前でよかった。証拠も残らぬ。

 てなわけで、この二人が大学院受験の勉強をしているシーンが抹消されました。

 ショートケーキの差し入れシーンが追加、茶園にはカフェ・オ・レが配られる。七つのケーキが違うのは、研究室のカラーという意味合いも。

 研究室内イベント等の追加。ちょっと賑やかになる。

 また、自転車のシーンに歌を追加。まあ、ザキも出ていることだし、永井真理子でいいか、という感じ。あ、Way Out は「出口」のこと。

 

 

○5月23日バージョン(Ver.1.2.)

 Ver.1.1.を真面目に読んでみた。でも1回。

 とりあえず大雑把に直しを入れることにした。

 節タイトルをいい加減うざいので「その○○」で統一してみる。

 1.では、分かりにくそうな学科の説明をちょいと修正。この辺、もう少し考え直す余地がありそうだ。

 2.では、蔵中だと学校の略称にしか見えないので、正式名称決定。「蔵武中」だ。おし、これでいこう。牛乳を飲む話を入れる。望の受験にからめて空しさみたいなものを追加。さらに家出のエピソードを挿入。ストーリーの構成上ここらでちょっと重い感じが出した方がよかろう。

 3.では、節タイトル悩むところである。研究室内の説明の順番を変更。とりあえず入ったときに見えるぬいぐるみ→先客のいるテーブルの周り→その後ろ→本棚の順にした方が分かりやすそう。卒論リストの分析をさらに詳しく。国の名前など入れてみる。中田のセリフ、藤崎のセリフがちょっぴり増える。

 4.では、家出のエピソード後半部を挿入。スペルミスを訂正。恥ずい。

 5.では、文を一切いじってない。つーか、あんまし変更の余地なし。

 

 

○5月28日バージョン(Ver.1.3.)

 児玉光がK大文学部を志望した理由を追加。多分、光にとっては重要だったのでせう。これによって、望と光の対比を強調、望が何となく文学部にやってきたことが強められる。

 蔵中とヶ丘の距離を記載。

 村雨研卒論リストにもうちょっと分野を追加。

 村雨教授の突っ込みセリフが追加される。

 翼のセリフ、一部残っていた漢字をひらく。

 後半、歌詞引用部のスペルがまだ間違っている。反省、訂正。

 おまけストーリーの「バイシクル・レース」の下書きが終了し、バージョンアップ作業に入ったので、連結部を最後につけ、前に削除して使わずじまいの「Milk Round」とか入れてみたりなんかして。

 あとはちょこちょこと言葉尻を変えたりしてみる。

 

 

○5月29日バージョン(Ver.1.4.)

 学科のシステム説明が何か分かりにくいので、もうちょっと整理してみた。

 研究室に音楽を流す。第九に加えて「ゴーストのテーマ」(←あえて曲名は伏せるが)を出したのは、児玉望の転換点を暗示させるものとして、である。歌詞を読んでみると、面白いのでは?

 文章の順番を少し変えたりもしてみる。このくらいのバージョンになると、とてつもなく大きな修正はあまりない。細かい、ちょっとした言葉の直しが多くなる。いちいち面倒なので説明はしない。興味のある奇特な人は前のバージョンと見比べてみるとよろしかろう。

 

 

○5月31日バージョン(Ver.1.5.)

 これで一応終了。締め切りだし。

 最初の学科システム説明で、重複してるところを整理してみた。だいぶマシになったか。

 中田のセリフがさらに長くなる。

 中田が藤崎に「これ」呼ばわりされる。藤崎もちょっぴりセリフ増加。

 自転車の場面、心の持ちよう、という部分がちょっと増える。それにともないラストにセリフがくっつく。この言葉は、「バイシクル・レース」のラストと対応したもので、望の心境の変化を示している、つもり。

 

 

◎そして筆者はまとめに入る◎

 てなわけで、思い付くままに書いていったわけですが、いかがだったでしょうか。

 「いかにして十一音の翼により世界は奏でられたか」は、久々にこういう雰囲気のを書いて、十分満足してます。

 一方、「天使とミルクと研究室」は、もうちょっと分量があってもよかったかな、という気が。しかし、分量が制限に引っかかりますからねえ。50枚に納めるというのはしんどい話だったかも。

 好き勝手なことを書かせてもらいましたが、本稿でもお分かりの通り、結局、私がやってるのは、とてつもなく地味な作業ですわな。ひたすら読んで、書いて、修正して、の繰り返し。

 でも、私ら言葉使い師にとっては、言葉は数少ない武器です。武器を磨き、その修練をするのは当然のことでしょう。

 あるいは、文章がヘタで、なんて思っている人がいるかもしれません。ヘタだと思うんなら、それを補うことを考えればいいのです。何が足りないのか分析し、それを埋めるにはどうすればいいのか考えればよろしい。私がひたすら推敲するのも、駄文を少しでも磨き上げようとしてのこと。私は栗本薫でもモーツァルトでもありませんから、一発で文章が書けるわけではないのです。

 アイディアも同様。天啓のように閃くこともありますが、それは、その時点までの情報の蓄積があり、なおかつアンテナを周囲に張り巡らしているからでしょう。ネタはどこにでも転がっています。同じものを見ても、聞いても、何かを感じる人とそうでない人がいます。情報の蓄積も重要でしょう。本を読んだり、テレビを見たり、音楽を聞いたり、映画を観たり、いろんなルートでいろんなものが仕込めます。ただし、これもそこから何かを引き出す人と引き出すことなく流してしまう人がいます。それは意識の問題でしょう。

 なるたけなら、アンテナを広げ、いろんなものを拾った方がよくありませんか。

 このメイキングの駄文もそうでしょう。ここから何かを得る人がいるかもしれませんし、何も得ない人だっているでしょう。参考にしようと思わなければ決して参考にはならないのです。

 偉そうなことをいってますが、要は自分次第だということ。私は私で私の穴を埋めるためにやっています。だから、ここに書かれている話なり方法なりが絶対に普遍的に正しいものだとは限りません。多分違うでしょう。だったらどうすればいいか。これを読んだあなたはあなたで考えて、判断して、行動するなりすべきでしょう。

 ……てなことを書くと、何だか村雨研のまとめっぽいですなあ。これでいいか。長々と駄文にお付き合いいただきありがとうござんした。

 でわでわ。

 

おしまい。


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