下旬。
相変わらずまったり「信長の野望」をやってます。島津で足利家を滅ぼしました。残る敵はおおよそ10家。毛利、織田、徳川、武田(信玄は死亡)、上杉、北条、佐竹、伊達、南部、坊主ってとこですか。戦での動きが「太閤立志伝」よりは楽しいですな。つーかメイン部分ですし。将軍家を攻めたときには籠城され、門を全軍で攻めてる最中に別の門から出撃した上泉、柳生の剣豪に率いられた部隊に本陣を衝かれてえらい目に遭いました。リアルタイムなんで結構状況判断が求められます。ポーズもできますからめちゃめちゃ難しいというわけではないんですが。ともあれ次にやるのは織田を殴るか、毛利を叩くかの決断です。この両家の領地が島津の動きをふさいでる状況なのですな。でも織田をやるともれなく徳川が敵対するし、毛利とは同盟が一年半くらい残ってます。ううむどうしたものか。まあ、いずれにせよ歴史がどう変わっていくかを見ていくのはこうしたゲームの楽しみでもあるのです。
ところで。中津文彦の『政宗の天下』を読んだのです。えーと関ヶ原の合戦直前から始まる話で、まあ要するに歴史if小説なわけですよ。上杉と伊達が組んで奥羽の諸大名を巻き込んで奥羽連合が結成されて背後から徳川を襲い、結局政宗が天下を取っちゃうみたいな。裏表紙のあらすじのところにはこんな言葉が書いてあるのです。「綿密な考証のもと、新しい発想で歴史を捉えなおす新感覚歴史小説」
歴史を捉えなおすってのは架空歴史ものに使っていい言葉なんじゃろうかと疑問に思いつつ読み進めてみた。
綿密な考証とかいうわりに、すんごい偶然がいくつも重ねられているんでないかい? こういう起こらなかったことを書く場合、主人公に都合のよいifにifを重ねまくると説得力もなくなるというものだろうと思うが。その上、上杉と伊達が結ぶというifに加えてもうひとつのifがある。物凄く些細なことだけれども、徳川秀忠率いる別働隊のうち、榊原康政隊のみが上田城攻略を無視して先行している、というものだ。この部分は奥羽連合の動きがまったく伝わってない段階なのでとりあえず史実でないといかんはずだがまあよい。結果として何が起こったかってえと、
伊達からの密使が秀忠軍とともにいる真田信幸隊に到着→真田寝返りを決意→秀忠、奥羽連合のことを知り、軍議を開く→榊原康政以外集まる→真田信幸、転進を主張→秀忠あっさり説得される→反対意見が出ない→真田隊先行して罠を張る→上田城に籠もった真田親子(信幸の父と弟)らも出張ってきて秀忠軍をボコボコに。
解説を読むと綿密な考証で登場人物たちの性格造形に違和感もなくみたいなことが書いてあるが、
すんごい違和感があったのは私だけでしょうか。この辺りの歴史に詳しくない方のために説明すれば、真田親子は東軍西軍に分かれ、どちらが勝っても生き残れるような状態に持っていっております。信幸の嫁は徳川四天王のひとり本多忠勝の娘でその縁もあって徳川方について史実では戦後に父たちの赦免に奔走してたはず。その信幸が伊達の密使の言葉で、やっぱり親子分かれて戦いたくはなかったの一言でヨメを見捨てて寝返るのはどうか。また榊原が側近としてついていたのに、何故とっとと先行していたのか。康政が軍議にいれば違った結果になっていただろう。また軍議にいたはずの家康の懐刀で謀臣本多正信はまったく発言をしていない。挙げ句の果てに、
秀忠、銃撃受けてる最中に隠れてるとこからひょっこり顔を出したら弾が頸動脈直撃してあっさり死に、殿で追いついてきた榊原康政以外の有力武将は全滅です。ちなみに康政、結局本編には名前だけで描写一切なしの上、名前すら出てこなくなったと思ったらいつの間にか戦死者リストに連なってました。
話はやや進んで、家康軍と連合軍が激突する戦が展開されますが、ここでもご都合で話が展開。忍びが家康軍の大筒隊が移動していることを察知、伊達成実隊があっさりこれを奪い取って持ち帰ります。んで伊達軍はこの五門の大筒を逆に家康軍に打ち込みます。まあ素人ばかりなので狙いもうまくいかないわけですが、これが
本陣をたまたま直撃。家康即死です。しかも本陣のメンツは即死か逃げ散っていて、臓物ばらまいた家康の死体は首付きでまるまる連合軍に渡ります。この出来事は作中であれほどの偶然はないだろう偶然に恵まれたみたいな感じで言及されています。
だいたいにおいて、政宗の敵対者は「結果として最悪の道を選んだ」みたいな文章でくくられてマヌケな自滅の道を突き進んでいくのです。石田三成もそうでしたし、中盤、五大老のひとり宇喜多秀家なぞ自領の叛乱を鎮めるために自分の軍を繰り出し、叛乱軍が籠城するものと決めつけてまったく野戦の用意も心づもりもしてなかったためボロクソに打ち破られた上に死んじゃったりするわけでございます。どっちかってーと、こりゃ小早川秀秋みたいなキャラの描かれ方で
秀家にリアルさゼロです。古いマンガに出てくる「
宇喜多が浮き立っている」というのを思い出したり。
なんか読んでて、やたらばたばたと登場人物が死んでいく
『反三国志』みたいな感じがしてきました。以後もやたら政宗に都合のいい展開が続いていきます。ああ
これはもうテキトーにファンタジーとして読む方がいいなあと思いつつ先に進めます。何といっても政宗に魅力を感じません。戦をすれば連戦連勝、部下の考えることはお見通しでそれにプラスαの計画を完成された形で出してきます。そんで部下は「さすが殿」みたいにいうんですが、こりゃ人間ですか? また恋愛とか寝返った真田達はその後まったく出てこないがどうなったのかとか、いつの間にか死んでしまってるキャラとか、中途半端が多いです。その挙げ句、驚愕のラストが来ます。読み終わって数分間呆然としてました。すいません、私このオチは許せません。
まるで都市伝説「ドラえもんの最終回」を不意打ちで食らったようです。
架空歴史もので夢オチって何よ? しかもオイボレた老人の妄想繰り言でございます。だから政宗の都合のいいように話が進んだわけですか。あの最終節いりません。
私の読書記憶からいわせてもらえば、清水義範の『金鯱の夢』が似たようなテイストだったような気がします。秀吉の長男(秀頼の兄)が生きていたら、というような話でしたっけか。連作短編で展開していって、歴史の大きな出来事は基本的に起こる、ただキャストが変わってるというパターン。関ヶ原の合戦では両軍に秀吉の忘れ形見がいたり、家康はとうに敗れてたり、大阪の陣は起こる、幕府は開かれる、黒船も来るし、と展開していくのです。ただこちらの方がはるかにまとまっていたし、味があって面白かった。うーん、中津文彦の
他の本は読もうという気にならなかったなあ。あのオチさえなければ違っていたかもしれないけど。
さて前回から引き続きサギサワ本を読んでいる。というのも、探していたネット日記の最後のやつが隣町図書館に入ったからである。早速借りて読んでみた。何だかツラかった。通算で四冊目にあたる本なのだが、それまでの三冊が一年分くらいの日記だったのに対して、四冊目は三年分くらいあるんですけど。しかもかなり編集が入ってる上に2001年と2002年は大幅に削除されてるっぽい。こりゃどうしたものか。しかも残っている部分がサギサワが悲しんだり絶望したり鬱入ったりしてるとこが多い。『明日がいい日でありますように。』はその前半に出てくる、アメリカがテロにやられ、イラク戦争になだれ込んでいく流れの中で絶望し、それでも書いてある一文。韓国人のクウォーターである彼女は、在日韓国人たちの日本における立場(外国語学校卒業しても日本では大検の資格がもらえないとか)、韓国から見た日本、日本から見た韓国などがつらつら書いてあるし、右翼に盗聴されてる話とかもそのまんま書いてあったりもする(「盗聴なんかしてないでいいたいことがあるならいいなさいよ」なんて電話でいったら翌朝から右翼の宣伝カーが家の前に停まってわめいてたとか)。もちろん楽しい話も面白い話も書いてあるのだけれど、四冊目は読み進めていくうちにどんどん鬱が入ってくるような気がした。体調もあまり優れず、毎日やってた日記の更新がちょっと止まったりする時期があったり。自殺したということを知っていて読んでいたからかもしれないが、うーん、正直四冊目はあまり楽しめなかった。削除された部分を読めば違うのかねえ。
ブルボン小林の本も読んだ。
岩波みたいなツラをしているが、ゲームに関するコラムを集めたものだ。彼は芥川賞作家である。
『蹴りたい田中』の作者田中啓文みたいに茶川賞ではないぞ。まあ読んでいて懐かしいゲームの話もあるが、ゲームに関する記憶や思い出や過ごした時間が違うせいだろうか、ちらほらソリが合わないなあと思ったり。
帰りが遅くなったある日。とりあえず晩飯でもと
アイルランド人みたいな名前のバーガー屋に入った。お客はそこそこ入っている。しかしカウンターは無人である。奥ではバーガーメイクの流れ作業が行われている。呼び鈴なぞない。数分後どっからかおねーちゃん出現。「お待たせしましたー」はいはい。顔をややひきつらせながら注文する私。とりあえず店内でお召し上がりなのである。セット商品にし、「ポテトをLで、飲み物はコーラで」と告げる。するとねーちゃんはこういった。「コーラのサイズはどうされますか」この流れから分かるやろうが。コーラのLかSを注文するんだったらそんときにいっとるがな。「フツーで」「
お会計630円になります」サイフを覗き、私は1130円を出した。受け取ったねーちゃんは「
1630円お預かりします」といってレジを叩く。私はやや呆然としながら見ていた。ねーちゃん、お金を放り込みながら続けるには「1630円お預かりしましたので、お返しが1000円になります」そこで
私が渡した1000円を持ったまま、おねーちゃんフリーズ。何かおかしいことに気づいたようだが、何が起こったのか理解していない模様。そりゃそうだ。
今受け取った1000円札をそのまま返す形になりそうなんだから。確認しようにもレジはおねーちゃんの言葉通りに入力されていて、小銭は中に放り込まれている。
ぎぎぎぎぎ、という感じでおねーちゃんは私の方を見た。どうしたもんかなあと思っていたが、
根が善良な私は正直に申告。「えー、1130円渡したんで、お釣り500円だと思いますよ」さらに「まあもらえるんなら1000円の方が嬉しいですけどねー」などと
気にしてないぞという軽いフォローを内心はともかくにこやかに付け加える私。ねーちゃんの硬直が解け、ぎこちなくレシートとともに500円が差し出される。ってこのレシートいかんじゃろ。1000円のお釣りって書いてありますよ。と思う私の前でハンバーガーとコーラが用意される。ポテトはしばらくかかるようだ。席で待つことにする。バーガーを食べる。パンはほかほか、肉も熱々である。しかしこのレタスがしびれるくらいに冷えてるのは何なんだろうか。首を傾げつつ食べていると、さっきのねーちゃんがポテトを持ってきた。テーブルにポテトの載ったトレイを置く。それから「
こちらお下げしてよろしいでしょうか」と先に渡したトレイを示した。
いいわけないだろう、私のバーガーとコーラが鎮座ましましておるわい。おねーちゃん、自分の間違いに気づいたのか、まずポテトの方を移そうとした。しかしLサイズのポテトは入れ物からあふれている。しかも熱い。ケースに指をかけて躊躇し、それからバーガー類の載った方を移そうとした。ところが私バーガーの包み開けてるわけで、そちらはそちらで移動が面倒だったのか、不自然なポーズのまま、「ごゆっくりどうぞー」とトレイ二つ置いたまま去っていった。中学生の社会体験学習の直撃を食らった気分の、そんな夜。とりあえず肉の品質表示や何やらより店員教育をどうにかした方がいいぞ、計算とかさ。
ドナルドの息子は人の育て方が下手のかな? とりあえずそのバーガー屋にはもう行かないと思う。
熊大文芸部の部会に顔を出す。まあいろいろと用事があったわけですが、その席で、とある後輩がのたまった。「『ガイア・ギア』を入手できる算段がつきましたよ」聞けばやっぱりネット古本屋で通販購入するそうな。「いくらなの?」「セットで4500円ですから、まあこないだのダブリを含めても5000円切るかなと」てことは何ですか?
前回の私の苦労って……ムダ? いやいや、近場にないということが分かっただけでも良かった、と思うことにしませう。私もいくつか自分用のブツを発見して買ったわけだし。
ぽじてぶしんきん、ぽじてぶしんきん。ほらそれにアレですよ、
ダブった分はオークションに出せば1000円くらにはなるっしょ。
購入した本:
ジョージ・R・R・マーティン『タフの方舟2 天の果実』、中村九郎『黒白キューピッド』
読了した本:
半村良『妖星伝(一)(二)(三)(四)』、恩田陸『小説以外』、鷺沢萠『でんでん虫国創立!』『ウチにいないぞ、俺!』『明日がいい日でありますように。』、ブルボン小林『ジュ・ゲーム・モア・ノン・プリュ』、中津文彦『政宗の天下(上・下)』、田中芳樹『七都市物語』