2007年9月。


上旬。


 えー、何と申しますか、人間界で十年以上も観察を楽しんでおりますと、人間というものは民族種族国地域部族一族家族世代年代で様々に違いがございまして、文化風習習俗慣行、ええ、違いというか「その中における常識」みたいなものでございます。普段、あまり気にしてないようなのですが、ふとした拍子に実はそれが他所においては通用しないのだと知ることになったりいたします。ああ、ちょっとそこのあなた、話のスケールが大きくなったからって、引かないでくださいましね。お馴染みのお客様はご存知の通り、すぐにご近所サイズの身近で大したことのない話になりますんで。文化の違いで意外にインパクトがあるのが、食文化の違いではないかと思いますがいかがでしょうか。私の友人に、にうじいらんだあがいるんですが、その両親が熊本に遊びに来たことがございまして、どっかで馬を食べたらしいんですね。うまいと食べた後で、それが馬だと聞いて吐きそうになったとか。なるほどこの方々は外国と日本、あるいは熊本近辺とその他といった食文化の壁に遭われたのでございます。その方々にしてみれば「馬とは乗るもの可愛がるもの」だそうで。何もそうした違いは遠いものではありませんでして。私めのことを例にあげてみますと、ハヤシライスとカレーライスの違いなんてものがございます。この二種の違いは、もちろんルーの違いですとかいろいろございますが、我が家の子どもたちがまず認識していたのは、ルーの掛け方の違いだったのでございます。すなわち、カレーライスとは、皿に入れた御飯の上にルーを掛けるもの。一方ハヤシライスとは、皿に入れたルーの中に御飯を入れるもの。そんな違いでございました。ちなみに、私め、大学に行く年齢くらいまで、外食もあまりしないものですから、ハヤシライスとはかようなものであるとしっかり思い込んでおりました。シチューも実は煮たような、もとい似たようなものでございまして、ハヤシライスと同じやり方で逆シチュー丼のように食べておりました。カレーライスの方も負けてはおりません。皆様方の食卓におかれましては、どのようなカレーの食し方をなさるのかは存じませんが、例えば、舟形の皿に御飯を盛ってカレーを入れる。いや別の容器にカレーだけ入れて、自分の好きなように掛ける。皿に入れるにしても、御飯をあらかじめ寄せておいて、空いているところにルーを入れる。あるいは皿に均等に御飯を入れ、カレーを上に掛ける。様々なやり方がございましょう。我が家のやり方がすべてであると信じていると外で驚くことになるかもしれません。我が一族におきましても、私めの家と従兄の家ではやり方が違っていたりします。さらに。ものの本によりますと、日本人はおしなべてカレー好きだそうでして、カレー粉の消費量もバカにならないとか。ただ、これも聞きかじりでございますが、購入してきたカレー粉をそのまま使うことは少ないらしい。おおよその家庭では、カレー粉のブレンドをするそうでございます。違うメーカーのもの、同じメーカーの違う商品、同じ商品でも辛さが違うなど、どれをどれくらいの割合でブレンドするかによって、「我が家のカレーの味」になりますようで。


 ところで。先日、カレーの日が我が家でございました。母親が忙しくて帰りが遅くなったりしたときには、祖母が食事を用意してくれたり、私めが適当にやったりするのですが、面倒なときにはえいやっとばかり、母親が前日からカレーを作ってくれたりします。そうすると、当日には祖母か私めが炊飯するだけでおいしく二日目のカレーが食べられる手はずでございます。もちろん、タイミングがよければ、またはおかずが他になかったりなどとタイミングが悪いなら、前日からカレーということになりかねませんが、これはこれでよろしい。たまたま先日もそのパターンでして、一日目のカレーを夕食にすることになりました。我が家の盛り方はと申しますと、丸いカレー皿に三日月方のスペースができるような感じで御飯を盛りつけ、そこにルーを入れることが多い。ただし、カツカレーですとかになりますと、御飯は均等にしまして上にトッピングをしてからカレーを均等に掛けることが多いようでございます。ともあれ、一日目、トッピングもなく普通にカレーを食すことになりました。ビーフカレーのようです。やはり二日目とは違いますが、これはこれで立派なカレーでございます。惜しむらくは、母親の性格からか、毎回ブレンドが違うので味が固定されてないことでしょうか。おそらくは、ブレンドが適当であるか、割合を覚えてないか、その両方であるかと思われます。で御飯と一緒にカレーをすくおうとしたら、何やら大きなものが持ち上がってきた。はてこのような形状のものがあったかしらと首をかしげてかじりますと、正体が判明いたしました。骨付きのチキンでした。物問いげに母親を見ますとあっさりと「あ、それ当たり」という言葉が返ってまいりました。どうやら一本だけチキンが余っていたらしくそれを入れたようでして。にしても何ですね、スプーンで骨付き肉を食べるというのは結構手間でございました。


 さてようやくカレーの日当日。帰宅して炊飯が完了しているのを確認した私め、カレーを温めにかかりました。ぐつぐつになったところで祖母を呼び、一緒に食すことに。あ、と申しましても、祖母を食べてわけではありませんって蛇足ですかそうですか。ともあれ二日目のカレーを普通に食べていたのですが、どうも前日と様子が違う。はて味が濃くなった以外に何が違うのかと思いましたところ、鶏肉と豚バラが入っておりました。もちろん昨日はビーフカレー(当たり付き)でしたから、牛肉も入っております。三種肉の出会いカレー、ミートカレーというものでございましょうか。どうも余っていた肉を前夜追加したようでございました。


 さらにカレー攻防三日目。だいたいにおいて、まだ家族が多かった頃、現在は四人で臼が、昔は七人くらいだったので、その分量で今もそのまま作るということ自体に問題があるとかねがね思っているのですが、まあカレーは好きなのでとやかくいいますまい。三日目のカレーはカツカレーになりました。ビーフでポークでチキンな上に、トンカツがトッピングです。もっとも、三日目くらいになりますと、大物はあらかた片づいておりますが、煮込まれてルーの味は一層濃くなってきております。先程も申しました通り、カツカレーですから、御飯をカレーが覆った状態で出てきます。中央部に波のように盛り上がっているのがカツでございますな。カツは後の楽しみにしまして、お馴染みの読者の方ならひょっとしてご存知かもしれませんが、私め、ジャガイモが好物でございます。大きなそれっぽい塊を見つけたので、カレーに包まれたそれをすくいあげまして、ぱくり。噛むとほくほくと崩れます。口の中に広がる風味がカレーと相まって何ともいえません。カツも食べました。一皿平らげた後、通りすがりの母親を呼び止めて、感想を申しました。「栗御飯でカツカレーはどうかと思う」通算でジャガイモ:栗=1:4くらいでした。そもそも三日目ともなりますと煮込まれたジャガイモなんてものはいい具合に溶け崩れてきておりまして、そのような大きな塊になってるわけがないのでした。後で聞きましたところ、祖母が本日の晩餐用の御飯をすべて栗御飯に変えておりましたようで、今更新たに白米を炊くのもどうかということで、栗御飯オンカレーとなった次第。


 そして、四日目終わりの日が来まして、さすがにこの頃にはカレーの具はほとんど消えておりまして、それが果たしてジャガイモのように煮込まれてルーの中に溶けたのか食されてしまったのかはさておき、その生協のカレーのようなものを、これはこれで味があるものだと思い完食したのでございました。食事が終わりますと、ふと気になって、いんたあねっとで調べてみることにしました。検索キーワードは「カレー マロン」でして、いったい日本人にあの栗御飯カレーはどうなのか、商品として存在するものかと気になったのでございます。すると結構な数がヒットしやがりまして、つらつら眺めておりますと、どうやらマロンという喫茶店のジャマイカンカレーがおいしいらしゅうございます。まれに栗をカレーに入れているという方もいらっしゃるようで、そのような記事をひとつ見つけました。ただ私めとしましては、カレーの風味に栗の風味が消されてしまっているような気がするのでございます。他の検索結果はと申しますと、これがもう、予想通りと申しますか、カレーと別個に栗物のスイーツ、マロンパフェなどをメニューに加えている店がざくざくヒットしておりましたのでございます。かくして、今回のカレー攻防戦は終わったのでございました。


 ということでしゃべり口調(重複表現)終わり。何で私、こんな書き方したのでしょう。まあ何となく気分気分。読みにくかったすいませんね。たまにはこんな感じで息抜きをしてみたくなったりするのかもしれません。というわけで、こっからまたいつもの調子に戻ります。って上の記事も内容は例によって例のごとくなものですかそうですか。


 いまだに、たまに「よくネタが続くなあ」というような感じの感想をいただいたりするのですが、いや、そんな大したことありませんよ。先に書いたカレーの話じゃないですが、ネタは日常どこにでもあるものでして。天から降ってくるものだし、地に転がってたりするものです。それに気づくかどうかじゃないかなあと思うわけでして。例えば、こないだなんか、原付で帰ってる最中の大きな道でネタが転がってました。まあ、今度はだーくな話っぽくなるんですが、事故で見かける死骸といったら、私が見たことあるのは、猫、蛇、狸、鼬、人、鼈くらいですか。スッポンは、研究室の院生と学部生でぶらぶらしているときに見かけて、K大ものの冒頭でネタにしましたが。ともあれ、死骸を見るというのはあんまり気持ちのいいものじゃありません。ぱっと前方の端に何か転がっているのが見えた。や、頭部がもげかけて、赤黒いものがぬらぬらと見えまする。さらに後部分には誰がやったのか死体袋に包まれておりまして。ええ、びっくりしましたとも。そんなとこで見るとは思いませなんだ。サバの礫死体がまるまる一尾。ってそりゃ礫死体じゃねえっ。あえていうなら、死体損壊? 誰かが袋に入れて持ち歩いてて落としたのでしょうかねえ。拾えやもったいない、と思いつつ、横を駆け抜けていったのでした。かようにネタは転がっているものなのです。なんてことを書いたとある朝。原付を例によって転がしてたら、途中の道で何かまた見つけましたよ。ややっ、あれは布製で膨らんだ感じのセーラー服を着たアヒルです。顔面にタイヤの跡が二本ほどあります。れ、礫死体かこれも?


 何か突然寒いシーズンになりました。だってあれですよ。朝起きると温度計が29度とか27度とかですよ。夜も32度くらいまでしか上がらないし。すっかり秋ですかねえ。こないだ原付を朝っぱらから転がしてたら、山の陰くらいにデジタル気温計がありまして24度とか表示されていたり。ううむ。で、原付で信号停止してたんですが、前に停まってる原付に、タイトスカートのおねーちゃんが乗ってるんすわ。うむ、ぴしーっとした感じのスカートに、分厚いマフラー。え? マフラー? さよう。分厚いマフラーをぐるぐると幾重にも首に巻き付けておられます。角度的にミラーで見えたんですが、口元とかまでぐるぐると。しかもそのすぐ上までメットのカバーが来ていて、さらに光を反射していて顔も見えない。いったいどこへ突撃するのかというカッコでございました。てか、どこの冬の先兵だって感じですが。ううむ、私はまだまだ甘いようですなあ。


 いつものミッション場お土産シリーズ。今回は大福系で。「福岡からのお土産でーす」と一個渡されたのだけれど、ずしいっ、と重い。さほど大きくはないんですが。例えていうなら、雪玉だと思ったら中に石が入ってました的重さ。袋をつらつら眺めてみる。巨峰大福。隣の人と重さを確認しながら「巨峰がぎっしり入ってるんですかね」「いや、それじゃ大福じゃないし。巨峰包んだだけですやん」などと会話をする。その人はお持ち帰りのようだったが、私はおやつ代わりに食することにした。包みを無造作に開けたら、粉がばらばらばらと机に。小惨事。慌てて巨峰大福を包み直して、机を拭き、紙を敷いて再開。どうにかなりました。一口でやるのももったいないので、ちょっとかじってみる。中身の確認のためもある。む、あんこの味がしますよ。てか、ブドウの味がしません。や、これ何? 見れば、薄くあんこの皮をまとった黒い球が。どうやら、キレイに手前のあんこの部分だけをかじっちゃったようです。って、巨峰の皮ごと大福になってます。てっきり中身だけだと思ってたので予想外というか、でけえ。がぶりと二口目。じゅーしぃなブドウ汁があふれ、こぼれそうになる。汁気たっぷりー。つーか、ブドウだから当然だ。あんこと混じって微妙な味わい。一個だとよく分からないなあ、もうひとつ、と思ったが一個ずつなのでした。結論。巨峰は巨峰のままの方が好みかなあと思いつつ保留。


 倉知淳の猫丸先輩のシリーズ文庫版を古本屋で集めておるのですが、なかなか見つからなかったのがようやく揃いました。うむ、「変な先輩」という属性にも弱い私は、猫丸先輩も好きなのです。まあそれはそれとして、文庫本持って某ブックオフの棚をさらに物色していると、ハードカバーのコーナーに大学生くらいのカップルがおりました。ちょっと高いとこにあるのを彼氏が取ってあげたりする微笑ましい風景。うむせえしゅんでございますな。でさらに本を漁っていると、私の後をそのカップルが通り過ぎていったわけです。そこで聞こえてきた会話。「ねえねえ、ジュン君のとこのパソコンってDVD焼けるのかなあ」「いや、無理っしょ」「なんでー? アレあったでしょ?」「いや、でもあれは」「ほら、アレ持ってたじゃない、ジュン君」何だか執拗にジュン君とこの機材にこだわる彼女。会話の雰囲気からするとカップルの共通のフレンドらしいのだが。多分、DVDが焼けないというところからすると機材が古いのだろうと推測される。そこで彼女がいった一言。「ほら、アレ、CD−R」次の瞬間「それは違う」彼氏のツッコミと私の内心ツッコミがハモりやがりました。いろんな意味で違うと思う。それにしても、DVD「焼く」なんていってる彼女なのに、何故捻りすぎたボケをかますのか。……ボケだったのか?


 わりと軽めのものを最近は読んでいるのだけれど、多分、疲れてきてるからだろうなあと思ったり。桜庭一樹の図書館にない本なども「猫丸先輩」探すついでに見つけて購入したりしております。で、ハードカバーとかソフトカバーな単行本は図書館で借りてちょっと読んでみたりするのですが。ううむ、何というか、この、どっか透明感のある少女な感じの話って、どうもあんまし私には合わないのかもしれないと思ったりする。『青年のための読書クラブ』『赤朽葉家の伝説』などはわりにすんなり行けたんですがね。あと、初期の作品としてゲームのノベライズとかやってるんすわ。で一冊買ったので読んでみた。『学園都市ヴァラノワール』ってやつ。読んだ。失敗。ノベライズって、難しいと思うのです。ゲーム知ってる人にも知らない人にも楽しめるように書くってのはねえ。実際、ゲームのノベライズで面白いと思ったのは、榊涼介の「榊ガンパレ」くらいだし。キャラが多すぎ、キャラの深みが足りない、キャラの説明が足りない、世界観の説明セリフが多い。ストーリーの展開が無茶。逆にオリジナル小説である『君の歌は僕の歌』の方は生き生きとしている。ストーリーは唐突な展開を見せたりするんだけど、キャラがよい。てか、恩田陸とか池上永一とかの逆で桜庭一樹って、小説よりもエッセイの方が面白いと思う。富士見から出てる「GOSICK」を借りてきて、本編より先にあとがき読んだら、あとがきがすんげー面白くて、続き読みたさにまた翌日借りに行ったさ。ちなみに小林めぐみのあとがきも私は好きなのだが、デビュー当時聞く感想聞く感想がすべてあとがきに関するものだったそうで、じゃあってんで開き直ってあとがき書くような感じで書いたのが「食卓にビールを」だったりするそうな。あれも好きだなあ。まあ、とりあえず時間があったらもう少し読んでみましょうかね。


 こないだネットのニュースで見たもの。某国の生物学専門誌で、ニッポンの学者の人が論文を出したそうなのだが、その人がファンだった関係で、生物学専門誌の表紙に荒木飛呂彦のイラストがっ(→これ)。スクラッパーたんぱく質のイメージだそうだが……どっからどう見てもスタンドが暴れてるようでいとおかし。新作が出ましたって感じの表紙なんですよねえ。


 そろそろ忙しくなる、というようなことを前回書いたような気もします。たしかに忙しくなっているのですが、予想よりもだいぶ楽な状況です。というのも遠方の最前線にいたメンツが二人、ミッション終了にともなった帰還して、こちらの班に来てくれたからです。うむ、私より小柄ですが気力腕力前後左右にたくましい感じのお嬢さんたちなのです。これでだいぶ負担が減ったのですが、別事情で、今度は仕事を前詰めにしておく必要が生じまして。ありていにいって、用事があるので連休休み入れるため、早朝から休憩ほとんどなしで結構遅くまでやってるのです。結果、結局へろへろに。うみゅー。


 などとぐだぐだいいつつ、ペガ話再開です。




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 というわけで、第9回です。って9回!? 3ヶ月もやってんのか私。ともあれペガサスが飛ぶ世界めいきんぐ「翼で何とかひとつ」ルート2回目です。

 前回は、謎物質の効果範囲をいじってて、「接触」「範囲」のどちらもいまひとつな感じで終わってましたか。牝馬の胎内に子どもができたときに効果範囲はどうなるか、ということからペガを浮かせる作用のある謎物質について前回の最後閃いたものがありました。


 B2−1:謎物質は血液中を流れている。


 あ、これ行けるかも。で、


 B2−2:謎物質の効果はごく狭い範囲である。


 なんてのはどう? う、でもこれだと血管がぷかぷかなりそうだ。それに例えばペガサスを流血させたら血がぷかぷかと浮いてそうです。それはそれでいいかも、と思いつつも、数秒考え、ガス交換みたいな感じでどうよ? と閃く。より具体的にいうと、酸素がそうであるようにヘモグロビンみたいな物質によって血管を運ばれ、そっから各細胞に投入されると。そんで、

 B3−3:血管を運ばれた謎物質は、体の隅々から軽くする。


 効果範囲が直近なんで、隣に並んでても浮かぶことはありませんよ。でその謎物質を生み出す器官があって、そっから血液に投入される仕組みで行きましょうかね。んじゃ、実際飛ぶときはどうなるのか。ペガサスが軽々浮かぶような力を謎物質が――、ええと、謎、謎とうざったくなってきたので名称を決めましょう、例によってテキトーに。


 B3−4:謎物質を産出する器官を「バグジー体」、謎物質を「ペレアドク物質」と呼称する。


 由来については深く聞かないように。片方はAルートの逆だ。で余ったのをアレンジして器官名につけただけ。


 話を戻して、ペレアドクの力で、ペガサスがどの程度軽くなるのか。羽ばたいたら軽々と舞うくらいのパワーだとしてみますか。そうすると、ですね、浮かぶのはいいが、ペガのやつ、ゆっくりとしか降りてこれないんじゃないかという気がしてくるのです。羽ばたきを止める→ゆっくり降りてくる、そんな流れになってきて、風情も何もありませんな。


 B3−5:ペレアドク物質は、通常状態でそこそこ体重を軽くしてくれる。


 ぐらいにしておいた方が無難かな。んじゃ、飛ぶときはどうするのか。翼をでかくデザインするか。いやいやいや。せっかく血に流してるんです。


 B3−6:血液中のペレアドク物質の量は一定条件下において増減する。
 B3−7:ペレアドク物質の量は激しい運動をすると増える。


 というのはどうでしょう。あ、一応制限も。


 B3−8:ペレアドク物質の量は上限下限がある。


 極端に増えることも減ることもないってことで。これらの条件でどうなるかってえと、


 B3−9:離陸する前にペガサスは走る。
 B3−10:飛行中にも負担を減らす際には脚を動かす。
 B3−11:高度を下げるときには脚を止めて滑空する。


 お、なかなかいい感じじゃないですか? あとは、


 B3−12:訓練等によってペレアドクの量はある程度底上げ可能。


 ということで例えば重しをつけて過ごさせる。これで通常の分泌量が増えるわけで、そうすると重しを取って人を乗せるなんてことも可能になってくるかと。


 ううむ。前回のルートよりこっちの方が掘り下げていくと面白そうな気がします。今回はここまでにして、次回はもう少し突っこんで考えてみることにしましょうかね。




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 更新したりUPしたりするときに、たまにページごとのアクセス数(管理画面で見れるんです)とか眺めたりしてるんですが、ふと「あれ? 何か総アクセス数が減ってなあい?」と首を傾げまして。そういや前にもこんなこと考えたなあと。で、思いついて詳細なアクセス数を見てみたところ、分かりました。ページごとのアクセス数って、カウンターじゃないんですな。最大二年のアクセス数が一時間単位で記録されていて、それが時間・日・週・月表示で切り替えるときに合計されてるっぽい。つまり、つまり9月1日になったら、2005年の9月のデータが消えちゃったわけで、トータルされるアクセス数がその分どかんと減ったのですな。なるほど。結局開設してからの総人数なんてもう分からないわけですわな。カウンターつけるのも面倒だし。まあ、このままでもええかなとなし崩しに思ってみたり。






 購入した本:
  倉知淳『猫丸先輩の推測』『過ぎ行く風はみどり色』、田中啓文『ハナシがちがう!』、宮崎柊羽『神様ゲーム6』、桜庭一樹『AD2015隔離都市』『竹田くんの恋人』、西澤保彦『方舟は冬の国へ』、浅尾典彦『ライトノベル作家のつくりかた』、ジェフリー・A・ランディス『火星縦断』、マイクル・ムアコック『軍犬と世界の痛み』、三木遊泳『カレイドスコープのむこうがわ2』、橋本和也『世界平和は一家団欒のあとに3』、渡部狛『ペイン・キャプチャー』

 読了した本:
  友野詳『バカバカRPGをかたる』、桜庭一樹『君の歌は僕の歌』『学園都市ヴァラノワール』、宮崎柊羽『神様ゲーム6』、久住四季『ミステリクロノ』、六塚光『レンズと悪魔T〜W』、北村薫『1950年のバックトス』



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