2007年12月。


中旬。


 前回銀杏の葉とか紅葉の話を書いた翌々日、ミッション場に行ってみたら、赤くなった方はほとんど散っててびっくりしました。なんてことを書いたのが前回。さらに数日が経過して、まあ雨など降ったせいもあるんでしょうが、すっかり銀杏の葉っぱが落ちてしまいました。なんてこったい。雨も上がって、ミッション場のとある窓から見える公園の銀杏も最後の一葉みたいな状態になりまして、その下に分厚く葉っぱが積もっています。ところどころが盛り上がって山になり、ううむ、あの中で人が寝てても分かんないよなあ。落ち葉の中ってあったかそうだし。ほらよくいうじゃないですか、死体を隠すには葉っぱの中って(違う)。しばらくしてまた覗いてみましたら、女子中学生が二人、落ち葉を蹴り集め、山をさらに大きくしてました。時々落ち葉の山に蹴りを入れてまして、むう、中に同級生でも入ってるんでしょうか、って昨今はシャレにもなりません。さらにあちこちに堆積した落ち葉が今度は燃えてまして、お芋でも焼いたのかのうと思ったり。すっかり晩秋って雰囲気ですが、朝原付で走ってると途中の民家に柿がなってたりするわけです。気温は電光掲示板みたいなやつを見ると−4度。そんで柿たくさん。ちょっと固そうだ。かと思えばミッション場ではみかんを振る舞われたりする。みかんと柿って同じシーズンだったかのう、てかこないだスイカ食べたような気もする。き、記憶が混乱してますか。いや混乱してるのは記憶じゃなくて気温かもよ。そんなこんなで家の食卓にも柿が出てきたりしておいしくいただいておるんですが、柿といえば、こんな歌を思い出すわけです。金食えば、柿がなるなり法隆寺、でしたっけ? 昔から宗教施設ってのは費用がかかるのです。そこで法隆寺では売って費用の足しにすべく柿を育ててたとか、そんな意味ですかな。


 などとボケにもやや力がなかったりする今日この頃。ミッション場は修羅場です。クリスマス連休もまたシングル連休になりそうでございます。平日は太陽を見ることもないしなあ。そんな朝っぱらから原付走らせていると、目の前にオモチャみたいな車が走っている。ぼでーと後にタイヤくっついてる姿はでっかいんですが黄色いナンバープレート。しかもステッカーがTAMIYA。むろん星印ですよ。はて、乗れるチョロQは田宮だったっけか? あるいはこれは実物大プラモであらうか。……何やら思考が混乱してますが、最近はこんなもんでしょう。ミッションはざくざく追加され(しかも突然)、帰っても雨降ってて散歩はできないわ、ゲームとかする体力も残ってないですよ。うきー。さすがに気合い入れ直したんで、前回のように目覚めしと同時起きなんちゅー屈辱は味わってませんが、給湯器でボタン押し間違えてウーロン茶味の焼きそば作りかけたりする程度には疲れてます


 時間がないというか時間作る気力がないというか。本も今回あんまし読んでないのう。かろうじてラッキーは完読しました。いやあ、面白かった。前回ちょっとボヤいてたりしたわけですが、巻が進むごとに話が面白くなってきました。「暗き風」のパートがよく進むようになったせいもあります。やはり読者の経験がモノをいうのか。グリフォンたちがいいなあ。今回のベストキャラですな、グリフォンず。雪合戦のシーンとか楽しみました。ただ、難点というか、翻訳ものだから仕方ないですが、これ、間隔空けて読むようなもんじゃないなあ。まとめて読んでよかった。次の三部作は、やっぱり溜め読みでしょうなあ。


 さてここんとこ毎年恒例になりつつあるので、ある日父母に尋ねた。毎年のようにクリスマス辺り旅行に行き、私は留守番になるという手はずである。だもんで「今年はどこか旅行に出るのであるか」父答えて曰く「俺は出張だ」「ほう、どこに?」「沖縄」なるほど父はここ何年か頻繁に沖縄に出張している。ちなみに沖縄には私の愚弟が棲息しているので飲みに行ったりしているようだ。それはそれとして母は、というと「私は旅行」「ほう、どこに」「沖縄」「……ちょっと待たれい。あなたは?」と父に水を向けると「沖縄」「であなたは?」「沖縄」ええと父が19日から23日まで沖縄。母が20日から23日まで沖縄。示し合わせやがりましたな。「というかですな、それは披露宴でもあるのですかな」今まで書かなかったような気もするのだが、実はかの愚弟が結婚するらしいのである。披露宴を年末かゴールデンウィークにするといわれたのがこないだの夏。そんで渡航費用捻出なども込みで馬車馬のように働いていたのだが、いつの間にか働くのが当たり前なミッション経過になりつつある。が、肝心の披露宴の招待がなかなか来ないのである。抽選漏れであろうか。「いや、実は披露宴は年末しないらしい」「破談ですか!」せっかく年長者として腕によりをかけてメロディ電報で弔電のひとつも式場に打ってやろうかと思っていたのに。「いやどうも都合がつかなかったらしい。で入籍だけするとか」とまたしても初耳展開。まあ家族の中で私だけ愚弟の彼女に会ったことすらないんですがね。とりあえず、年末年始に沖縄に行くことはなくなり、クリスマス前後はお留守番ということになりそうです。てか、ミッションだっちゅーねん。


 ばたばたしている中、文芸部の部長からメールが来て、部会参加のメンツが揃うので批評会をやって、その後メシでも食べに行きましょう、という。息抜きがてらミッションを早めに切り上げ、大学へ。ところが、人をメシに誘っておきながら部長ドノはいやしねえ。なんだか体調不良で早退だったそうで。なんじゃそりゃあ。やむなく集まったメンツでダベる。やはりあれですなあ、ひとり足りないとかだと批評会もできないという状況はどんなもんか。人数少ないのが問題の根っこにあるわけで。周囲に誰か引っ張り込めそうな人材はいないのかと問うてみる。ひとりが答えて、書いてる人はいる、と。でもどうやら批評はされたくない、というのだ。ああ、何か前もどっかでその手の話聞いたなあ、と思いつつ。「結局それって自己満足だよねえ」と私。そういう人はネットでも結構いるわけでして。私などにしてみれば、よく分からんなあと正直感じている。観客を必要としてないのだろうか。自分の中できっと完結してるんでしょうねえ。だから他者から感想をいわれたり、批評されたりすると、自分の世界が害されたように感じるんでしょうか。私は自分の書いた文章はまず自分で楽しいというのが最初にあって、それを誰かに読んでもらいたいというのが次に来るのです。前に文芸部の別のメンツとも話したことがあるんですが、「自分が楽しい」ということと「他人が楽しめる」ということは両立できるんじゃないかと私は考えています。「自分が楽しい」ならいいじゃないか、という人もいます。先に挙げた人はそういう人かもしれません。前に話を聞いた人は、「他人を楽しませる」ということを追及していけば媚びを売るとか自分が楽しめなくなる、と考えていました。だーかーらー、それって両立できんか? おっとちょっと話が違うか。批評を求めない、ということですな。他人の言葉を必要としない世界というのは、だからといって完成されてるとは限らないんですよねえ。パーフェクトなんてありえない。どっかに穴ができるだろうし、すべての人が満足できるわけでもないでしょう。あ、そうか。だから自分だけの満足の中に浸っているわけですな。それって引きこもりで一人遊びですなあ。一歩離れてみたら、もっと自分の世界が面白くなるんじゃないか。だいたい他人の言葉で壊れる程度の世界なら壊れて結構、というのはいいすぎかのう。私は私の文章を読んで感想なり批評なりを抱いたなら、それを聞いてみたい。聞くことによってその人をもっと理解できるかもしれないし、他人の言葉によって私の世界は強くなる。それは、多分、私と同じ考え・感覚・経験・記憶を持った人間がひとりもおらず、みんなそれぞれの世界に生きているのですから、違う見方をされる、自分とは違う感想を持つ、面白がり方、興味のポイントが違ってくるといういのが当たり前だと思ってるからでしょう。だから私はたくさんの人に会ったり、まったく違う分野に突然首を突っ込んでみたりしたくなるのです。ああ、でもそういう考え方はよりマイノリティになっていくのかもしれません。ものの本とか見ると、突っ込み食らったら逆ギレする人も多くなってきているようですし。つらつらととりとめのないことを書いてきたが、まとめる気力もないので放置。


 本屋に行く。販売DVDのコーナーを通っていると、視界に入ったポスター。「ハリーハウゼンコンプリートコレクション」う、はっ。はりーはうぜん。魔法の言葉のような言葉に足止めされ、逆回しのように通り過ぎたポスターのところに戻る。値段を見る。5600円くらい。最近ミッションで小銭稼いだしなあ、いいかもなあ、というところで踏みとどまる。56000円くらいでした。願望がゼロをひとつ落としてたみたいです。結局そのままふらふらと本屋に。新刊を一冊手にして、カウンターへ。おねーちゃんに「567円になります」値段を告げられ、財布をごそごそ。1,007円で支払う。しばらくして戻ってきたおねーちゃんとお釣りとレシート。ふともらうときに変なものが見えたのでレシートをじっと見る。「お預かり10,007円 お釣り9,440円」小皿に載ってるのは100円×4、10円×4。えーと、こりゃあ、どーしたもんかのう。「あー、レシート間違ってますけど、ええんですか」と村一番の正直者としては申告せざるをえない。おねーちゃん、しばらくレシートを見て、「あー、別にかまいませんよ」かまわんのか!? どうしても、というなら、てな感じで奥に引っ込み、ハサミを持ってきた。何をするのかと思っていたら、レシートの下部にあるお預かりとお釣りの部分をちょっきん。いいのか、それ。いささか釈然としないまま、ぽてぽて歩いて帰る。ヘタれた頭が多少しゃっきりしてきて自体を把握。ああなるほど、本屋にしてみれば、あのレシートの内容でも損害が生じないわな。567円が店に入って、該当商品が買われた取引内容には変わりません。あのレシートで損害が生じるとしたら、後でいや間違ってるぞ、と客からクレームが来たときか。いや、でもレシート上はお釣りがちゃんと払われてることになってるので後からじゃ遅い。てことは、あれですな。あの場、あの瞬間にゴネられるのが一番店側にはやっかいだったわけです。小皿に札が載ってないわけだし、私が渡したお札はレジスターの中だ。入金を自動算出するレジじゃないので、さっきの札が1000円だったか万札だったかって証明するのは難しかろう。うーん、対応を間違えたか(おい)。などと考えてみて、なるほどバーガー屋のアホみたいな「いちまんえんはいりまーす」はあながち無用なもんでもないのだなと結論する。


 私の状況など関係なしに世の中はクリスマスムードなのです。街を行けばクリスマスソングが聞こえてきますです。ついつい私も口ずさんだりするわけですよ。「恋人はサーンコーン、オースマンサーンコーン、ギーニーアーからやってーきたー」(「雪の中でも目立つ」でも可)うむむ、有名なクリスマスソングですな。ということでこれを読んでいる貴方には今後あの歌を耳にするたびオスマン・サンコンが「1コ、2コ、サンコーン」という姿が脳裏をよぎる確率が3%アップする呪いをかけさせていただいたので諦めるように。あ、別に「きっと君は関西じーん、間違いなく関西じーん、『さいでんなー』おー『ほーでんなー』」でもいいですけど。ちなみに元ネタは松任谷由実と山下達郎と嘉門達夫ですな。なんて阿呆な話をしたところで「ちょーど時間となりましたーまたの会う日を楽しみにー、皆様のご健康とご多幸をお祈りして、さよおなーらー」


 などと嘉門達夫「替え唄メドレー」で締めかかって、はたと気づく。いやまだ終わったらいかんがな。いつものやつをやっておかないといけんですよ自分。




************************************************************************************



 第19回ミノタウロス神話の続き。


 「歌う角」と「駆ける角」による「血の蹄」追跡は失敗に終わった。「血の蹄」にはきょうだいが失った翼を持っていたからである。

 それでも「血の蹄」が見える限り、怒り狂った「駆ける角」に跨った「歌う角」は追い続けた。太陽が三度上がり、三度沈んだとき、ついに「血の蹄」を見失った。翼あるとがびとは、山を一気に越えたのである。

 うなだれて、「歌う角」と「駆ける角」は死した「祖角」の元へ戻った。「祖角」のなきがらをそのままにしてきたことをようやく思い出したのである。

 だが、親殺しの場に戻ってきたかれらは「祖角」のなきがらを見つけることはできなかった。周辺には三日前になかった花々が咲き乱れていた。

 「祖角」のなきがらを探す「歌う角」と「駆ける角」だったが、いかにしても見つけることはできなかった。

 代わりに、別のものを見つけた。

 花の中に横たわり眠るいきもの。

 「歌う角」と同じ姿をしたいきもの。

 「駆ける角」と同じ姿をしたいきもの。

 かくして「歌う角」と「駆ける角」はそれぞれのつがいとなるべきものを得た。
――「ねじれ角」のガ=スンの角笛歌



 という話を引き続き勢いで作ってみた。いや、前回の話をこしらえたときに、ふっと思ったわけですよ。ミノ吉とユニ公とペガさんが分化したのは分かった。でも、どうやって増えたんだ、こいつら。単為生殖ですか? 神話とか昔話の類だからと手を抜くわけにもいきません。大人の秘密でコウノトリを呼ぶでもいいのでセッティングしておかねば私の心の平安が得られませんぞ。ということです。


 上の話と前回の話から派生して新設定を追加。

 A19−1:ミノタウロスの神話で語られる「歌う角」となった最初のミノタウロスは雄である。
 A19−2:ミノタウロスの雄の手は元々蹄であったとされ、最初からその形態であった雌に比べると不器用である。


 「歌う角」たちの古き角笛は語るのを聞いた。

 「祖角」の亡骸は見つからなかった。

 大地の恵みに姿を変えた、というものもいる。

 「歌う角」たちの古き角笛は語るのを聞いた。

 否。

 「祖角」の亡骸は盗まれた。

 親殺しの場で見つかったのは、花々、大地の恵みと「歌う角」「駆ける角」のつがいとなるべきものたち。

 ならば、「血の蹄」はいかにして増える。

 ならば、「血の蹄」はいかにして増えた。

 親殺しの場には「血の蹄」のつがいとなるべきものがいた。

 「血の蹄」は親を殺し、「血の蹄」のつがいとなるべきものは親を盗んだ。

 かくして、「歌う角」と「駆ける角」の一族は「血の蹄」の血筋を憎む。

 かくして、「歌う角」と「駆ける角」の一族は「祖角」の亡骸を求める。

 今に至るまで。

――「双天角」ニイ=トトの角笛の歌


 なんてのも続けていってみる。さらに、


 「母なる角」の歌を聞いたものの歌を耳にした。

 「母なる角」の歌は語った。

 「祖角」の亡骸は、大地に戻った。大地の恵みとなった。

 角のないものが現れて、その場に残された「祖角」の角を持ち去った。

 魂の器を失ったもののため、「祖角」の角を持ち去った。

 ゆえに、

 「歌う角」と「母なる角」の子らは「祖角」の失われた角を探すのである。

――「長耳」エイ=ジの角笛の物語


 てなわけで、

 A19−3:ミノタウロスは「祖角」の角笛を探し求めている。

 そんな感じで基礎固めをしておくと、種族的な特徴がよりはっきりしてくるかなあ。前祈りの言葉とかののしり文句なんかに応用して使うと奥深く見えます。あと常々前に作った設定につなげたりしていくとよろしい。例えば今回でいったら、16回あたりで出てきたミノタウロスの葬儀などは、「祖角」が死して大地の恵みになったのに由来して、角を残して大地に還るみたいなとこにくっつけられるし、ミノの蹄が手になったというのは雄雌の膂力に優れてる・手先が器用といった違いにからめるわけですな。ほうほう。


 そろそろ力尽きそうなんで今回このくらいで。次回こそは神話から抜け出して、もちっと別の話でごー。になるかも。



************************************************************************************


 そんなこんなで、またも遅れて掲載ということになるわけですが、うーん、困ったことがひとつ。ただでさえ遅れて掲載すると次回更新までの期間が短くなってしんどいんですが、次は年末です。多分31日更新です。もしかしたら32日かもしれません。期待せずに待て。待たなくてもよい。




 購入した本:
  栗本薫『クリスタルの再会』、ダン・シモンズ『ザ・テラー(上・下)』

 読了した本:
  マーセデス・ラッキー『失われし一族(上・下)』『伝説の森(上・下)』、三雲岳斗『アスラクライン9』、午前三時五分『りっぱな部員になる方法 1)紙ヒコーキと四次元黒板』



←少し過去へ    少し未来へ→

 戻る