2008年5月。


中旬。


 仮にT書店である、とする。いきなりな出だしだが、あんまし気にする人もいないと思うので、このまま続けてみる。さてそのT書店で4冊ほど本を持ってレジへ行った。「カバーお願いします」からのいつものコンボで攻める私。相手はちょいとぎこちない感じの「研修中」のネームプレートつけたおねーちゃんである。おねーちゃんがカバーをつけるのを見ていたわけですが、その手つき、いやー、ぎょっとしましたね。こんなテクニックがあるんだと。四冊すべて同じつけかたをされたので、おねーちゃんの中では定着しているのでしょう。なんちゅーかカルチャーショック。専門用語でいうところのデカルチャー。さて、具体的に見ていきましょう。お手元にブックカバーと文庫本があれば試していただきたい。の前に、あんまし本を読まないとかブックカバーをつけないという人のために念のために解説。通常、ブックカバーは長細い紙を上下の端をある程度折ります。このときに残る上下幅が大きすぎるとカバーはがばがばになり、小さすぎるときつきつになります。で横長の紙の右か左の片方を折ります。折ったところを表紙に引っかけてカバーをくるりとつけるわけですね。本屋では店名入りの紙をあらかじめ折り曲げて即座に対応するようなシステムを作っているようです(多分空いた時間に店員さんがせっせと折ってる)。それでは、かのおねーちゃんのやり方。

 1.カバーの折った部分が手前になるように置く。その上に本を表の表紙が見えるように重ねる。このとき本の天側が右に来るように。
 2.手前に来ている折ったカバーの端の下に右の小指(天側)、左の小指(地側)を引っかけて軽く持ち上げる。
 3.持ち上げたら親指で軽く押さえる。挟んでさらに上へ。
 4.持ち上げつつ、袋状になってる表紙を入れるとこに左右の薬指を突っ込む
 5.中指も突っ込んじゃう。突っ込んで薬指と中指で袋部分をぐいっと開く。
 6.親指離脱。
 7.人差し指を伸ばして、本の表紙に引っかけ、持ち上げる。
 8.今度は人差し指と親指でサンド。
 9.ひん曲げるようにした表紙と、強引に開いたカバーがランデブー
 10.そのまま表紙を閉じるように倒す

 11.あとはフツーに。

 今、書き書き再現しようとしてみたが、指が攣りそうになりましたよ? このテクニックにはいろいろ問題がありまして。まず第一に挙げられるのが、表紙をかぶせるように動かすため、カバーリングするおねーちゃんから、本の状態とかまったく見えてません。実際何が起こったかってえと、ステップ9で表紙が穴にまったく入らない。だいたい各本で3回くらい失敗してましたな。最後は袋部分をめちゃめちゃがばっと開いてました。でそれをがばっと閉じるため、無理矢理広げた袋部分がそのまんま閉じられるため、びろーんとだらしない感じではみ出す。さらに、表紙入れるときに、帯が曲がるんですよ、これ。フツーにやってれば帯ごと表紙を指で挟んでやるはずなんですが、まったく気づきませんでしたな。でそのままばたーん、帯の後部分は本の自重で押さえられてるので曲がったままか、ヘタすると破れる。ついでに折口も曲がってましたな。さらさらと流れるようにやるならまだしもこれえらくもたもたしてたのですが、そういうカバーをする方針なのかしらこの本屋(そんなわけはない)。内心「ああ、こりゃあとっとと家帰ってカバーをしなおさねば」というか「キれた方がいいか私」というかそんな気分でしたが、さらに事件は続きます。書店のビニール袋を出して、入れてくれようとする動きです。四冊の文庫本の天側を鷲掴みにして、袋へゴー。半分入れたところで動きが止まり、動き逆転。うまく入らなかったかと見ていたが、新しい袋を出し、そのまま突っ込む。止める。出す。……何してんだこの人。三度目にしてやっと分かりました。折り方がおかしいブックカバーの本を天側鷲掴みにしてるわけです。地側が開きます。突っ込むときにビニール袋を内側からすぱーっと。三度目のは引っかかって穴が開いてましたが、そのまま強引に押し込み、引っかかり、押し込み、計三箇所穴が開いたまま渡されました。会計が終わると原付にすっ飛び、なるべく衝撃を与えないように荷物入れにそっと横たえ、急患を運んでる感じで家に直行。カバーを掛け直しました。ちなみに、ブックカバーの曲がり、広がり、帯折れ、内表紙折れ、口絵部分の巻き込み、でした。とりあえずこのおねーちゃんがレジにいるときは買わないことにしました。一昔前のいつもの本屋ののび太(仮名)ほどネタにならないし。


 前回30度越えた話を書いたかと思います。昼とか何だか暑いっすねー。お休みの日に手袋もせんと原付で走ってたら手首から先が日焼けしちゃいました。という日々なんですが、朝寒いっちゅーねん。出かけるときに吐く息が白いっちゅーねん。もう5月も半ばだってえのに。いやはや。てか、もうすぐ梅雨っすよ。梅雨。熊本4シーズンズ(初夏・梅雨・夏・冬)のひとつ。去年は駐輪場がミッション場から10分くらいのとこだったんで結構濡れたんですけど。別々ミッション場には隣接した駐輪場があるのです。出口から歩いて3歩で屋根付き。スバラシイ。こないだまで雨の日はカッパ着て傘持って原付乗ってたんですが、そういう心配もありません(どっか歩くときは別)。とりあえず梅雨の間は別々ミッション場の駐輪場で乗り切ろう。


 こないだ朝、信号待ちをしていたときのこと。10人乗りくらいの車でしょうか、私は車にあんましキョーミがないので車種などよく分からないのですが、目の前の交差点をゆっくり曲がっていったのです。ゆっくりだったせいで窓から中がよく見えたのですが、7人くらい黒っぽい制服のおねーちゃんが乗ってました。はて、何故にスチュワーデスが? と思ってよくよく見たら、車のドアに目立たぬ字でバス会社の名前が。やあ、バスガイドさんずですね。でこの7人くらいのガイドさんたちが一様にメモ帳とかを広げて、熱心に頷きながら書き込んでいるのですいんざもーにんぐ。うむう、この業界、私はとんと知らないのですが、ガイドするコースの研修なんでしょうか。それにしても何故バスに乗らない? しばらく信号待ちしながら考え、バスに乗ってコースの研修やってたら、コースが回りにくいし、バスに乗って最初からいきなり回るとコースにあるガイドポイントが把握しにくいのでしょう。多分、この研修が終わってから、実際にバスに乗ってガイディングの研修になるんでしょうねえ。いやあ、何か珍しいものを見て得した気分。ほくほく。


 こないだ夕方、信号待ちから解放されたときのこと。とろとろ原付で走って帰ってたんですが、後方からサイレンの音が追いかけてきます。いやパトカーとかじゃありませんよ、追いかけられてるとかじゃ。どうやら消防車か何かのようで。ちょっと左に寄せながら、やっぱりとろとろ走っていると、避けた車の間を力一杯サイレンうーうーで非常灯ぐるぐるやりながら力走っていくガス会社の軽トラ。……え? ガス会社の車って緊急車両なの? などと首を捻るどっかでガス管でも破れたんでしょうか。あの軽トラの運転手にはガスマスカーが乗ってたのでしょうかねえ(車内じゃつけないと思ふ)。モノ知らずな私は、後から調べてみた。たしかにガス会社とか電気会社で危険防止の応急作業をする車は緊急車両になるのである。ははあ、勉強になりやした。いやこれもまたいいもの見た感じで。


 さらに同日。原付で帰ってる途中でのこと。信号が赤に変わったので停止。すると右手手前横断歩道のところにいた自転車がこちらへ動き出した。見切り発車である。見切り発車は珍しいものではないし、走ってるのはママチャリなのでまったく見慣れぬものではない。見慣れないのは、それが中学生くらいの女の子が三人乗りしてるママチャリだった、という点であらうか。少なくとも「ふんぬーっ」という感じで猛烈に漕ぎだしてるペダリストな子は、この辺りには不慣れであると見た。てのも、この交差点、右折信号がついているからだ。つまり、私のいる側の信号が赤→右折信号に変わる→右折信号が赤→左右の道の信号が青になる、という流れ。すなわち、まだ女の子さんたちが渡ってる信号は青じゃないどころか、右折信号ついたばかり。そこでタイミング良くというかタイミング悪くというか、ほとんど速度を落とさずに右折車両が突っ込んできた(交差点が結構広くて曲がるポイントが少し先にあったせいもある)。すわ、事故か。左手から渡ってくれていれば、警告の声をあげることもできたのだけれど。と、真ん中に乗っていた子が「車車車っ!」と叫び、最後方に乗っていた子がほぼ同時に両足を踏ん張ってフットブレーキ。ぐぎぎぎぎっ、という感じで止まったママチャリの鼻先を車がかすめていった。ペダリストの子はまだ漕ごうとしてましたが。あぶねーっ。前回に引き続き、またも事故の目撃者になりかけるとこだった。見切り発車は危ないよ。その後三人乗りチャリは今の車のことを話ながら去っていきました。つか、三人乗りすげーなあ。


 ぽたぽたお散歩してまして、とある洋服屋の前。マネキンが並んでいるのを何気なしに見ながら歩いていますと、ふと気づきました。マネキンっていうと、固いもんすわな。なかなかポーズを変えることができないようなイメージがありますが、どんなもんでしょう。例えば手に何か持たせたいなんてときには手首から先のパーツを何かを持つようなポーズのものに丸ごと換装したりするわけです。ところが、私が見たのは、えらく関節部が多いマネキンでして。肩、肘、手首、指の根本、第一関節、第二関節が可動するようになっていました。こりゃ大型のアクションフィギュアでは? 従来型の関節なしなものもあったのですが、半分くらいはアクションフィギュア。例えばポケットに指一本引っかけるとか、花束を両手で持たせるとか、何かをつまむとか、いろんなアクションができるわけですよ。おう、マネキン業界も進歩してるんですなあ。それにつけても、小指だけぴーんと立てたマネキンとか、小指と人差し指ぴーんと立てたマネキンとか、「ぐわしっ」な指のマネキンとかが紛れてるのはどうよ? 客がやってんのか店員さんがやってんのかまでは分かりませんが、どうせなら肩から動かして、そのものなポーズ取ってた方が面白いなあ。片手挙げて「ういーっ」とか。てか、そりゃもう洋服屋でも何でもないですかそうですか。


 ぺたぺたお散歩してまして、とあるビデオ屋の前。DVD販売の広告なんか貼ってあるわけですよ。何気なしに眺めていたら、「キン肉マン」のDVDボックスが出るようですな。驚いたのは、復刻キン消し418種フルコンプ入り。これぞ大人買いとか書いてありますが、なんつーか、DVDがメインなのかキン消しがメインなのかよく分からないが、これ目当てに買う人もいるんだろうなあと思う。何となく「ういーっ」から連想して思い出したので書いてみた。


 ゲーム雑誌をぱら見してたら、7月発売のPSP版「ゴッド・オブ・ウォー」の記事を発見する。ほうほう、と読む。GW中に遊んでた北米版の日本語版でございますよ。ボイスはやっぱり玄田哲章。うむ、スバラシイ。でも今まで北米版プレイした限りでは、あんましセリフがなかったような気がしてなりません。ともあれ紹介記事を読んでいく。前回倒したペルシアンヒゲはペルシア王であることが発覚。なるほどー。ペルシアンヒゲがバジリスク連れてアッティカを攻めていたらしい。なるほどー。他にもヘリオスの話とかが書いてあります。よし、だいたい合ってました! さすがクレイトス先生というところでしょうか。言語の壁を乗り越えて、おおよその内容をあっさり理解していたようです。めでたい。とはいいましても、ちょいと忙しくて、パワー必要なゲームはあんましやってないんですわ、今。ううむ。早く修羅場を乗り越えてゲームに復帰したいもんです。少なくとも日本版の発売までには北米版をクリアして、やり比べをするのです。規制はどうなってるのか比べるのも楽しみでございます。


 ゲームをやらずに何をやってたかってえと、本読んだり、ミッションしたりミッションしたりミッションしたり。別々ミッション場で私に指示を出す人がかなりもたもたしてるので、せっついてミッションを受理し、スケジュールを管理し、内容を把握し、戻すということを延々やってて、目眩がしてきたり。帰ったらばたんきゅー。なんだかなー。もうちっとゆとりもってやりたいところです。


 積読本を20冊削るキャンペーン(北方謙三限定)実施中。とりあえず北方水滸伝を半分片づけた。が、10冊片づける間に10冊積読本が増えてるという状況はどうしたものか。


 積読本ではないが、図書館でリクエストしていた小路幸也『スタンド・バイ・ミー』を入手。さくさく読む。何度かここでも紹介してきたが、つまるところ昭和のホームドラマなんである。家族ドラマであり、下町のドラマであり、古本屋の話であり、世代の話でもある。いわばナレーターにあたるおばあちゃん(故人)の語り口がほっこりしてて温かいし、日常を描きつつ、少しずつ変わっていく登場人物や家族の状況が楽しい。書き下ろし作品であるため、一冊で大きな流れができており、毎回巻の最初でおばあちゃんが挨拶をして、家族紹介をしつつ、始まるのもお馴染み。ただ、まあ、さすがに第一巻ほどの強い吸引力はなく、心地よいマンネリにひたってる感じである。最初に比べると、家族が三人増え、他との交流が増えたりする一方で、スキャンダルとかがこっそり進行していたり、前に出てきたキャラが死んだり。うん、小路幸也の他の作品の多くはともかく、「東京バンドワゴン」と『キサトア』は大好きである。『キサトア』早く文庫化されないかなあ、『東京バンドワゴン』と同じ頃だったから、そろそろだと思うんだけど。作品内容から考えると夏辺りが適当かもしれない。


 そろそろヘバってきましたが、いつものやつをば。



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 第34回。さて、これまでそこそこ設定を作ってきたわけである。大雑把に、

・ペガさんの設定
・ミノ吉の設定
・ユニ公の設定
・「山の下」の設定
・帝国の設定、戦争の流れ

 というところですかね。まだまだ十分とはいえない状況ですが、そろそろ一年になるので、まあここらで作品の切り出し方みたいなところを攻めてみようかなと。今回はその出だし編。


 私は絵の人じゃなくて文字の人であるから、作品つっても、小説など文章の類になります。他のジャンルの人は自分の分野に脳内変換しながらどうぞ。んで、やり方としては大きく分けて、2つのパターンが考えられますか。

 1.世界設定から物語を作り出す。
 2.キャラクターから物語を作り出す。

 今回とりあえず1の方を。時間があれば2もやりますが。


 世界から作り出す場合、前提として、その世界の設定が当然作られている、というのが必要になります。それも中途半端な状態ではアレですな。物語上の矛盾や突っ込みどころやご都合主義的展開などが発生することにもなりかねません。こうしたことを読み手に気づかれると、一気に醒められます。ならば、ファンタジックな要素が少ないものであればよいかというとそうでもなく。やっぱりそこにはそれなりのリアルが要求されるのです。例えば、現実をモデルにしたような世界で、化物が出て、住民を殺しています、というようなことがあった場合。主人公たちが出張って、化物と対峙する、てな感じになったとしましょう。で町を舞台にバトルが繰り広げられると。そこで問題。警察機構は介入しないのでしょうか。怪我人が出てるなら救急は? 派手な戦闘になっているなら軍隊などの出動は? 下手なライトノベルだとこうしたこと一切なしに展開するわけです。でウソ臭くなる。例えば「ドラゴンボール」であれば、警官が出てくる、住民が銃で抵抗して逆にやられる、軍隊が出てくるなどといったシーンがあるわけです(セル編とか)。主人公たちが出てくる前にそうしたシーンが連なることで、一般人の抵抗が無駄→敵の強さが際立つ、主人公たちが必要になる、ということを飲み込ませることができる。クーンツの小説だったと思うのですが、町で異常事態が発生して住民が大量に行方不明になるみたいな話では、軍隊が町に入れない理由みたいなのが出てきたかと(『ファントム』?)。キングの『IT』でも子どもたちが襲われるのですが、大人が介入してこない理由が作られています(敵であるペニーワイズとかれが起こす超常現象は大人にはまったく認識されない)。あるいはファンタジー要素がないものでも、コミック「スラムダンク」では主人公のいるバスケ部が乱闘騒ぎに巻き込まれる事件があります。このときのリアリティを出すための演出として、ケンカが始まってすぐに、外にバレないように体育館のドアが閉められます。ケンカが展開していくと、今度は騒ぎを聞きつけた先生が「何をしている、開けろ!」みたいな感じで登場します。さらに補習授業で送れてきたキャプテンが中に入り、中を見て取るやまたドアを閉め、「暑さ対策のためドアを閉めて練習しています」という言い訳をします(でケンカの当事者の昔話が入った挙句、顧問の安西先生が登場する)。現実にファンタジックな要素を放り込むという手法では、他に例えば小川一水の『イカロスの誕生日』だったかと思いますが、これが感心した記憶が(別の作家だったかもしれない)。現実に似た世界で、突然翼を持った人間が生まれ始めるというストーリー。元々が現実をベースにしているので、世界設定そのものが読者になじみがあるわけです。そこへファンタジックなファクターを入れてくる。それによる変化が起こる、というSFパターン。感心したのは、翼を持った人たちの生活描写です。現実日本は、そうした人たちにとっては暮らし難いようで。何がアレかってえと、電線。地面から飛び上がる、下りる際に電線の類が邪魔になるという描写。ああなるほどバルーンフェスタだって、電線とか高い建物の少ない佐賀県でやるわけですからねえ。ただ単に「翼を持つ人間が日本に出てきた」というだけじゃなく、そうした描写が楽しい。他には山口雅也の『生ける屍の死』だと、死亡後に何割かの死者が甦ったという現象が起こるようになった世界での話。連続殺人が起こるのですが、死者が生き返る可能性がある世界で人を殺すことに意味があるのか、というストーリーが展開するのです(つまり被害者=目撃者=証人になれる)。甦った死者は肉体的には死んでいて、徐々に腐っていくんですが、その辺もいろいろと描写が出てきます、というかかなり早いうちに探偵役の主人公が毒殺されて甦り、いかに自分が死んでるかを隠しつつ調査を進めていくので。死者は瞳孔が開いたままなので明るい光に耐えられない、死者は内臓が動いていないので物を食べられない(というか消化できずに胃で腐敗しちゃう)、心臓が動いていないので血が流れず、血の気がない、といったことが次々に普通に描写されていき、特に最後の要素を隠すため、探偵は家業のエンバーミングを自分に施したりします。で連続殺人の動機がまた、この世界でないと成立しないようなものだったり。他のミステリー作家でも「嵐の山荘」的クローズド・サークル(警察が関与してこない状況)を作るために様々な工夫をしたりするわけです。そうしたちょっとしたことの積み重ねが作品にリアリティを出す要素になるわけですな。また専門的なもの、他の作家が扱っているようなことを生半可にやっちゃうと、猛烈に突っ込まれたりするので注意が必要です。


 現実のリアリティを出すのが困難なら、空想要素を多くしていけばいいかというとそうでもなく。かつて、J.R.R.T.がいいました。「緑色の太陽がある世界を作るのは難しい」みたいな。正確にいうと難しいじゃなくて、「思考と労力が必要になる」ですか。またJ.R.R.T.は駅の橋のこと考えるよりヘイムダル神が守る虹の橋の方が魅力的に感じられるんすわーともいっちょります。いちからでっち上げるのなら、そこで発生する言葉にも影響が当然出ます。仏教がない世界では仏教用語や観念を使えないわけです。ワインのない世界に「ワインレッド」はないのです。けれど、徹底すればするほど読者が付いて来れなくなります。なのでどこかで妥協点を見つけることになるでしょう。現実世界から連想可能な世界に現実とは違う要素を入れてかき混ぜるような(あるいはその逆)。


 ともあれ、舞台になる世界が整ってきた、としましょう。世界には様々な設定があるはずです。その世界でクローズアップする「時代」「場所」「設定」を決めます。作りこんだ設定が100あったとして、それを100展開するのは不可能です。80でも無理。60くらいでもキツいはず。たくさんある設定のほとんどを死蔵させるのが通常でしょう。というかそういう状態になるまで設定作れという話です。てのも、設定が少なすぎれば、必ず穴が出ます。作品を書いてる最中に矛盾が生じたりもするでしょう。そんなときに泥縄で穴を埋めようとするとロクことになりません。矛盾が矛盾を呼び、全体を崩壊させたり、ご都合で収束させて読者を白けさせたり。かといってできた設定をたくさんぶち込むほど、今度は説明過剰になり、ひとりよがりになり、読者置いてけぼりの世界になっちゃいます。なので、どの点をクローズアップして、他を切り捨てるか、あるいはこっそり埋め込んでいくかという選択が必要になってくるでしょう。この選択が重要で、例えば現実に直結してるような部分をクローズアップしすぎると、「何もこの世界じゃなくてもいいじゃん」ということになりかねません。しばらく前に読んだ三崎亜記の『鼓笛隊の襲来』なんてのがこの手かと。別にファンタジックな要素がなくても成立するような話も入っていたので。


 実際に、一年くらいかけてちまちまやってきた世界設定を見てみましょう。ミノタウロスの神話から帝国の戦争から、ペガサスの飛行物質であるところのメリグリン2の発見からその利用法まで何から全部を展開させるのは難しいでしょう。これをやるためには世界(時間の広がりである世と地理的な広がりである界)を俯瞰するような大河的なものが必要になりかねません。それをやるにはあちこちに穴がぽこぽこ開いているので埋めるのが大変だし。なので「時代」を限定するか、「場所」を限定するか、「設定」を決めましょう。それからキャラクターを決めて、物語を織り込んでいきます。例えば「三国志」をやることになったとします。当てはまる「三国志」のどの時期を、どの場面を、どっから、どこまで、誰を中心に書きましょうか。全体を最初から最後までやると膨大な量になります。吉川三国志だって諸葛亮が死んだら終わるわけですが、実際に「三国志」はまだまだ続くわけですよ。酒見賢一の三国志だと、劉備たちが劉表のところにいる時代から始まります(主人公が孔明なので)。あるいは伴野朗の三国志だと呉を中心に書き込んでいきます。どれをクローズアップするかで同じ題材でも違ったものになってくるわけです。


 エピックファンタジー的な展開をするなら、戦争編でしょうかね。帝国の戦争に絡めてやる。時代的な限定をつけます。帝国がその形を取った何代か前から始めましょうか、それとも伝説っぽい時代から始めましょうか、はたまたホットスタートで拡張戦争のシーンからいきなりやりますか。それからどこで終わらせるか。この始まりと終わりはキャラによっても違ってくるでしょう。どのキャラを扱うかでも違ってきます。戦争編では、帝国側、反帝国側のどちらサイドから書くか。あるいは両方を丹念に書き込んでいくか。帝国側でも男爵から書くか他の貴族にするか、皇帝を描くか。ただし、こうしたことを中心にやっていくと、他のエピックファンタジーとか戦記物と似たり寄ったりになりかねないので、オリジナルっぽい設定を前に押し出した方がいいでしょうな。


 ヒロイックファンタジー的な展開であれば、帝国側よりも反帝国側から描く方がやりやすそうです。だいたいにおいて、ことに反帝国であったロウハの王子(女装して帝国軍を避けた)とか、ゴンドワの執政の子(レジスタンス側に回る)とか。あるいは傭兵になる方のアゴルを幼少期から始めて裏切る方のアゴルとの絡み→「山の下」としてのデビューと裏切り→「山の上」が滅ぼされるさらなる裏切り→雌伏みたいな流れだとヒロイックですね。ことにアゴルの場合は、ミノタウロスの設定、ペガサスの設定、ユニコーンの設定、ペガサスから派生する陸上馬の設定も自然に出せるので、オリジナルの要素が増えることになります。逆に帝国サイドからだと、ヒロイックはやりにくいなあ。皇帝とか男爵などを中心に書いていると、エピックになりそうだし。裏切りのアゴルをやってピカレスクな展開は面白いかも。


 エブリデイマジック的な展開であるならば、そうですねえ、ペガサスに関わるものが楽しそうです。あるいはメリグリンの話とか。技術的なもの、専門的なものを短編でちょびっと出していき、その積み重ねで世界を表現する方向で。


 いずれにせよ、世界設定から話を削りだしていく手法では、「何を出せばその世界がよく語られるか」という点を注意すべきでしょう。その世界でのオリジナル、あるいはその世界をその世界たらしめている要素です。例えば、「ラピュタ」は飛行石の物語で、「ナウシカ」は腐海と人との関わりの話で、「もののけ姫」は自然(神)と人工(人)との対立なのです。


 ただし。世界設定を作りこめば作りこむほどかかりやすい落とし穴もあるわけでして。先にも書きましたが、「設定の出しすぎ」ですね。やりすぎると、「小説」ではなく「設定資料集」になりかねません。もちろん、設定をメインにした作品なんてものも世の中には存在します。ハザール族(架空の民族)に関する事項を集めた『ハザール事典』などがその手。あるいは「ルーンクエスト」の一大イベントである「英雄戦争」を後世の学者が考察する『グローランサ年代記』などでは、たしか「著者」が各地の図書館を回ったり、資料を集めたりして、論を組み立てていく小説じゃない論文。あるいは架空の島にいた架空の生物を解剖図から何からでっち上げた『鼻行類』、同じような形式の『平行植物』とか。これらのものを真似するのは難しいのですよ。なんとなれば、設定そのものをメインにしているため設定自体に人を引き付けるものがないといけないので。しかもそれを面白がらせるだけのエンターテイメント性が必要ですな。


 そんな感じですかね。書いてるうちにしんどくなってので、オリジナルを作ったら、どの部分が一番面白いと思ってもらえるのか、と考えるってことでまとめて、次回キャラクター編へ。




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 しばらく前にPSPでプレイしてたゲームがスリープモード(その状態のままで止まってる。スイッチ入れると再開)のままである。一週間くらい経つがどうなってんだろう。てか、私がスリープモードなんですが。上の原稿も大雑把に書いてあったものをちょこちょこ修正してると意識が飛びそうに。うーあー。あと5ふんー。アップするまでもってくれい。



 購入した本:
  古川日出男『ベルカ、吠えないのか?』、榊涼介『ガンパレード・マーチ 九州奪還2』、高遠豹介『藤堂家はカミガカリ2』、秋山瑞人『Dragonbuster01』、林トモアキ『ミスマルカ興国物語U』、恩田陸『『恐怖の報酬』日記』、本田透『ライトノベルの楽しい書き方2』、機本伸司『僕たちの終末』、中島かずき『髑髏城の七人』、吉田親司『突撃箒少女マリア』

 読了した本:
  北方謙三『水滸伝 一〜十』、小路幸也『スタンド・バイ・ミー 東京バンドワゴン』、西尾維新『零崎曲識の人間人間』



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