下旬。
別々ミッション場などへ土日に出かけると、たいていお昼御飯はカップ麺とパンくらいになる。カップ麺は家に転がってるのをテキトーに拾って持っていくし、パンは近所の安いところで前日辺りに購入していく。たまに食すとカップ麺の類もうまいもんである。が、春先くらいから値上がりしとりますなずいぶんと。安売りのところでこれまで95円とかだった商品が今じゃ150円くらいしてます。てか5割ましかよ。
おちおちラーメンも食えやしねえですよ。などといいつつ、先日久方ぶりのカップヌードル(カレー味)。家に転がってるのは母親などがまとめ買いしてきたものなので、種類が時期によって偏ってたりするので、なかなか巡り逢えない商品もあります。ともあれ、お昼になり、袋から取り出して、非常な違和感に襲われる。
かっぷぬーどる、ちぢんでないですか? ミニサイズの、というわけじゃなくてさ。
普通タイプのヤツが小さくなってるのは陣太鼓のごとし。むう、値段の上がるのを避けるためじゃろうか。とひっくり返して、底にある蓋押さえのシールをはがそうとして、しばらく動きを止め、ブツを凝視する。
……上げ底になってやがりますよかっぷぬーどる。全体が縮んで、さらに上げ底。
倍率ドン、さらに倍。などと考えながら、お湯を調達して、食す。食べながらつらつら考えるに、ホントにこれって内容量が減ったのかどうか分からんなあ。元々乾燥麺と底の間にスペースがあったと思われるわけだしねえ。麺を減らさなかったとしても、だ。底を上げることによってスープの量(つまりは注ぐお湯の量)を減らし、味を変えないために、以前よりほんの少しスープ粉末を少なくするという策でしょうか。いや、麺が少なくなってる可能性も否定はできませんが。つるつる。世の中不景気じゃのう。ガソリンも来月からまた上がるようだし。うがうぐ。
とっとと
九州は梅雨入りしたようですねえ。曇りとか雨とかちょっと鬱陶しい天気が続いています。朝、原付でとてとてと走っていると、曇り空の下、傘持ってく人が多い。ちょっと先の横断歩道を渡ってるおっさんなど、大小二本黒いのを手に持ってますよ。予備かしら。などと思いながら接近してみたら、
傘じゃなくて細いタケノコでした。そんな梅雨。別々ミッション場は屋根付き駐輪場がすぐそばなのでいい感じなのです。傘差してちょっぴり濡れながら歩くなんてことしなくていいのです。なんて余裕をかましていたが、以前よく使わせてもらっていたときと違って、屋根が張り替えられていました。なんつーか、テント生地を張り合わせたような安っぽいやつに。で、梁の辺りで生地が結び付けられてるんですが、
紐をかけてある穴どころか生地と生地の間から雨が降り込む。さらには梁と梁の中間地点くらいで生地がまた張り直され、紐でつないであるのでそこからも以下同文。なんつーか、落ち着いて合羽も着れません。近いのはいいけどなあ。もう少しこう、びしっと張ってほしいなあ。
一長一短因果応報禍福は糾える縄のごとしなのです。
そんな駐輪場のある別々ミッション場でパートの人に指示を出したり、自分でデータ見たりとかしていたときのこと。とーとつに別工程のチーフから電話がかかってきました。むう、何事? 「すいません、
1Fの応接室に来てもらえます? 大至急で」「……えーと、何か持っていくものとかありますかね」「ペンとかでいいんじゃないですかね」と何やらずいぶんと暗い感じの声で。「
さては私何かやったか。怒られますか」と思いつつも、やってたミッションを畳んで、パートの人たちに指示を出して、傘引っつかんで、歩いて何分かの別ビルに走る(そこに応接室があるので)。狭い小会議室のような応接室に入ると、どよよーんとした空気が漂っていて、三人のおっさんがいる。ひとりが私を呼び出したチーフで、ひとりがビッグボスで、もうひとりがよく見る他社の人であった。ビッグボスがいうには、「今会議中で、それで
決まった数字やデータをパソコンで入力していただきたい」ほうほう。前にもこういうことがあったなあ、怒られるわけでもなさそうだ、と示されたノートパソコンを見る。エクセルで作成された元になる表が出ていて、つながれたプロジェクターによって壁に大写しにされている。んで、最終的に1時間くらいで解放されたのですが、その間に
私がやったこと。ののしりあいに近いオヤジどもの不毛極まりない会話を右から左、左から右に流しつつ、5分おきにかかろうとするスクリーンセーバーを解除するためにマウスを突付く、だけ。チーフはかかってきた電話を口実に外に出て戻ってこないし。最後は他社の人に「もうこれ以上待っていただいても、何も入力することは起きないような気がするので、帰ってもらっていいんじゃないですか」といってもらいへろへろと応接室を出る。
1時間の新手のぷち拷問を終えて別々ミッション場へ帰還し、諸々の作業でその日は1時間半ほどよけいに残る羽目になる。うぐう。翌日、不毛な会議の結果、各部署の責任者とかが呼ばれていく(何か決まったのか?)。私に指示出してるSEなどは、電話がかかってくると「
ま、まさか応接室へ来い、ですか?」といい、ほんとに応接室に呼ばれ、ぐったりして帰ってきたり。前日にチーフが途中でいなくなったのは、他の人に「1時間ごとくらいで電話してください」と頼んでいたおかげだという話が伝わり、皆、いろいろ防御策を整えていってたようです。実になる会議だったらいいんですけどねえ。という会議は踊らない話でした。
お散歩は、いくつかのメインになるコースがあり、そっからさらに気分次第で道を折れたり曲がったり逆回りしたりで、結構なコース数になります。そのうちのひとつに、途中でとあるでっかいお店の前を通るものがあります。道路に面したところ(駐車場)にどでかい看板があります。┓な形で、浮いてる部分にはシャンデリアのようにライトがいくつもぶらさがり、先端部はさらに二本の柱で支えられています。遠くからでも見えるっす。いつもは何とも思わず通り過ぎてるんですが、ふと横を通っていたら、がちゃりと扉が開き、中から人が出てきました。……扉? 太い方の柱に扉がついてることを初めて認識。柱と同じ色に塗られているのでマジで気づかず。しかも人が出てくる。この看板、中に何が隠されているのか。「隠された扉」で身近なファンタジーっぽくて何となく、よい。
前回、
三人乗りする中学生の話を書いた。今回、お休みの日の朝からお散歩してたところ、
二人乗りの女子中学生を見かける。
ただし二人とも手放しでしたが。後の子が上半身グライドさせてバランス取ってました。何なのあの曲乗り。と思いつつ、最近の女子中学生は進んでおるのう(そういう問題?)。さらに別の日、お散歩していると、制服な女子中学生三人が塾だかの前でおしゃべりに興じていた。ちょうど私が近づいた辺りで、そのうちひとりが右手を斜めに差し上げ、誰かを呼び止めるような動作ですったかたーという感じで何歩か駆け出す。それに対して、他の子たちが
見事なくらいのハモリっぷりで、『バカーっ!』と叫ぶ。どうやら過去のシーンの再現であったらしい。いわれた方の子は何やらにこにこしながら、顔の前で手を振り、「
いやいやいや、それ、悪いことだとは思ってなかったし」といったところで、最接近終了。私はすたすた離れていったので、その後の会話は聞き取れなかったのだけれど、
あの子、何やったんだ? ちょっと気になる。そんな
女子中学生観察ぷちブーム。
お休みの日に久々にとある古本屋へ行く。いや別に古本屋行くのは久々でもないんですが、その店に行くのが久々。で大した収穫もなく、原付で裏道を帰ろうとしました(来たときは表から)。でぽすぽす走って、突き当たったT字路を左に行く予定、だったのですが、しばらく来ない内に十字路になってやがりました。あ、と思ったときには通り過ぎてまして。
私の辞書にUターンの文字は限定的にしかないのです(対向車線の方に渡るためやったりするときはある)。こういうときはそのまま行くのがワタクシ流。どうせそのうち左に曲がれるさ。と見晴らしのよい新しい道を走っていたら、道はどんどん右へカーブ。ぎにゃー、
反対の方向、というか反対へ彷徨。うろうろして新しいルートを発見しつつ、ようやく目的の方角へ行く道へ辿り着く。ほふー。次行ったときは気をつけよう。
↑の古本屋に行ったときのこと。まあ、どこの古本屋でもそうなんですが、本の並べ方とか、そういうのに「完全」はないんですねえ。
高里椎奈の「薬屋」の本が少女小説ってえの? ティーンズ文庫とかコバルト文庫とかの棚にどかどか並んでたり。その一方でX文庫の小野不由美「十二国記」は当然のように普通の小説のコーナーにでーんと並んでたりするし、滝本竜彦『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』や『NHKへようこそ!』が角川文庫なのに角川スニーカー文庫のコーナーにあるとか。まあ、分かるような気もしますが、ジャンル分けの境界が曖昧になってきてるってのもあるんですなあ。桜庭一樹の『荒野』ってのがこないだ文藝春秋から出たんですが、元々三部作の二つが別に出てて、それに第三部を加えて一冊にしたハードカバーなんですわ。いずれ文庫化されるんでしょうけど、「直木賞受賞後第一作」みたいな売り文句ですわ。でも
元になった『荒野の恋』は、ファミ通文庫で、ライトノベル系のイラストが表紙だったんすね。文庫化されたときはどうなるんだろう。ファミ通文庫版と文春版で棚が違うのか、ファミ通版が普通の小説棚に移るのかのう。
↑なジャンルミックスというか越境な状態は、ゲームにもあるのか。ゲームショップなどではゲームをジャンル分けされているのですな。メーカーごとに探したりする人ってあんましいないような気もするので、機種別のジャンル別というのが一番分かりやすいっちゃ分かりやすいですな。なんてことをいいつつも、ジャンル分けがお店の人がやってる節もあったりするので、分かりにくいものもあります。私は実際にプレイしたことないので分かりませんが、PSPコーナーで
「ときめきメモリアル」がカーレースのジャンルにあるのは正しいのでせうか? なんとなーく恋愛シミュレーションとかそんな感じの気もするのですが、レースといったらレースなのかもしれません。他にもこちらもプレイしたことないので確たることはいえませんが、
井上トロでお馴染みの「どこでもいっしょ」が人気作コーナーや地図とか英会話などのバラエティーな感じのとこに並んでるのはともかく、
シューティングの棚と格闘ゲームの棚にあるのはどうなの? 私が知らないだけでいろんな要素があるのかもしれないですな、「どこでもいっしょ」なめてましたか。反省反省。かくも私の知らない世界の棚を眺めてると、つい「メタルギア」を恋愛シミュレーションの棚に、「パラッパラッパー」をRPGとかてきとーに置きたくなるんですが。
前に
「無双OROCHI 魔王再臨」をクソミソにけなす話を書いた。さすがにあれほどけなすのはあんましないよなあと思っていたのだけれど、なんつーか、
下には下がいやがりました。いやマジですよ。
5月発売にもかかわらずすでにワゴンセールされているDS用ソフトです。ネットでも散々な評価をされてますが、怖いものみたさでプレイしてみました。タイトルは「エンブレム・オブ・ガンダム」っす。
「ガンパレ」の芝村作のシミュレーションで、シナリオの展開中「歴史のバトン」ってのがあってバトンのつながりで進行が変わるみたいな感じで宣伝されてたものです。バトンは例えば「シャア・アズナブルの登場」と「アムロ・レイの登場」といった風な二択が出て、どっちかを選ぶというもの。で、実際にやってみたところ、すいません、
30分もちませんでした。3回プレイしたというかプレイできた「OROCHI」の方が圧倒的に面白いです。基本的なところは「スーパーロボット大戦」みたいなシミュレーションRPGですが、違う点としてマップがマス目とかヘクスじゃない、スキルが戦闘時選択できない、など。減点ポイントとして圧倒的なのは、
1.
テキストがやたら偉そう。
2.
テキストがやたら分かりづらい。
3.
テキストがやたら押し付けがましい。
語りのポジションはなんとなーく『銀河英雄伝説』みたいな後世から見た人を狙ったようですが、
すんごく不快感を誘います。ちょっとキャラを動かして終わりのミッションで「おめでとう。よくやった」みたいにいわれて、「何もしてねー」と思ったりする。突っ込みどころは満載なのだが、読んでいるうちに笑える限度を楽々突破して、いらついてきます。非常に不愉快です。「ガンダム」を自分の世界観で解釈した論法を披露して重ねていくので、どっちかってえとオフィシャルなガンダムゲームではなくて、同人ゲームである。しかも「同人スパロボ」だ。
いろいろ指摘されているところでは、私もなるほどと実感したのだけれど、
芝村、「ガンダム」をよく知らない人です。なのに「ガンダム」を延々語る。「ガンダム」はただでさえ半ば神聖化され、ガンダマーによる突っ込み評価が厳しいジャンルですよ。そこにあえて何故? だいたいこの辺りは「ガンダムを知らない人がやれば、騙される、ウソを教え込まれる」という評価になるようです。てか、最初に
シャアが一人称「俺」で語ってるあたりがすでにどうかという感じです。ネットではなにやら「
ジオングはドムの後継機」てか「ジオングはドムのでかいやつ」という発言があったとかなんとか。
私はほとんどプレイしたことがないんですが、「スパロボ」にしても他のシミュレーションRPGにせよ、戦闘スキルは自分で使いどころを選んだりするのが基本でしょう。いつ、どこで、誰に、どのスキルを使うか。強い敵に集中して使ったりとか、無限に使えるわけじゃないので、組み合わせたり使いどころ考えたりするのは楽しいのです。なのにこの「EOG」はオール自動発動、しかも必ず発動するのではなく、発動しなかったり発動したり。なので
スキルを計算に入れることが不可能です。表示されるパーセンテージもまったくあてにならないし。さらに
ゲームとしてのリアリティというか、そういう細かい整合性が取れておらず、例えばザク×3の部隊があったとして、2機撃墜されたとします。普通に考えたら、残りは1機ですわな。なのにちゃんと戦闘画面になるとザク×3表示されるんですわ。墜ちたんじゃなかったんかい。効果音にしても「ガンダム」なのですが、繰り返し使われ、音自体はチープだし、耳障りです。
あと、歴史のバトンですが、てっきり、「シャア・アズナブルの登場」とか選んだら、シャアの方に話がつながると思うじゃないですか(私だけ?)。たしかにバトンを渡すと、
シャアの話になって、シャアサイドの話が展開され、なのにステージは連邦。動かすのは連邦。ジオン側のシナリオなんてものもなく、ひたすら連邦。ちなみに登場キャラが四つのグループに区分されてまして、バトンを渡すことによって、そのグループに所属するキャラ全体が強くなるとう、訳の分からない仕様。つまり「シャア」でバトンを渡すと、シャアの側がレベルアップする、なのに使うのは連邦なので、敵がどんどん強くなる。何がしたいんだこれ。
結論として、
戦闘が面白くない、テキストが面白くない、ゲームとして不完全、という今年度でワーストクラスなゲームでした。速攻で手放しました。30分くらいのプレイは自己最短。もういちどいっときますけど、
私「ガンパレ」は好きですよ? アルファシステムから離れた芝村はどんどんつまらぬようになってますなあ。
口直し、というわけじゃないですけど、PSP「パタポン」を入手したのでプレイしてみる。このゲームはPSP買ったときから狙ってたゲームなのです。体験版をダウンロードしてやってみて楽しかったですしね。
ゲームとしては、リズムアクションになるんですかね。リズムに合わせてボタンを押す。ただし、通常の音ゲーと違うのは「お手本」があって、それに合わせるのじゃないということ。「太鼓の達人」とか「ギターマニアクス」とかそうしたゲームでは、曲があって、それに合わせて太鼓叩いたりボタン押したりするわけです。「パラッパラッパー」にしてもまず「お手本」があって、それを真似します(もっとも真似しなくてもリズムさえ合ってれば得点になったりしますが)。「パタポン」の場合は、リズムが刻まれていて、それに合わせて自分でボタンの組み合わせをして打ち込むという形式になります。
設定としては、
プレイヤーは「神」です(デフォルトだと「かみポン」)。
パタポン族というBEM(Bug Eyed Monster、「大目玉の怪物」ですな)みたいな種族がいまして、こいつらが昔、神に導かれて世界の果てで「ソレ」を見て幸せになった、という伝説がまずあります。ところがゲームの時代にはすでに神はいなくなり、神に従った勇者の記憶もなくなり、パタポンたちは世界の隅っこに追いやられています。神を探すために旅立った者たちも次々に倒れ、という状況から、プレイヤーは世界にパタポンたちの物語(パタポンの本を読むという形でスタートしているので)に介入することを同意するかという選択を迫られます。同意すると、太鼓をひとつ入手します。パタポンたちが神と交流するのに使っていた太鼓のひとつ、「ポンの太鼓」です。でシーンが変わってチュートリアルミッション。行き倒れている「はたポン」を救出するというもの。リズムに合わせて「ポン、ポン、ポン」と太鼓を叩いていると死にかけてたはたポンに力が湧いてきて復活。神さまですか? と聞かれ、はたポンが守っていたパタの太鼓が捧げられます。こっからコマンド入力が可能。リズムに合わせて四拍子で「パタパタパタポン」でパタポンの行進が始まります。こちらのアクションに対して、画面上のパタポンが同じコマンドを歌いながら行動します(この場合は行進開始)。歌が四拍子で終わるとこちらのコマンド入力になるので、「パタパタパタポン」と入れる。パタポンが歌う。あくまでプレイヤーはパタポンに指示を出す立場なので、コマンド入力→即時発動じゃないとこが掛け合いみたいで楽しい(人によってはまどろっこしいみたい)。パタパタポン(パタパタパタポン)パタパタパタポン(パタパタパタポン)とやっていると、やっぱり行き倒れていた「やりポン」などが仲間に加わり、パタポン族の住処「パタポリス」に帰還。お祭りになるものの捧げる肉どころか食う肉もないってんで、今度は狩猟ミッションへ。やりポンはたポン引き連れてごー。攻撃コマンドを覚えます。攻撃コマンドは「ポンポンパタポン」で、攻撃範囲に攻撃対象がいればやりポンが攻撃を始めます。なので基本は行進で近づいて、攻撃。相手が引くと追い掛けて攻撃。
パタパタパタポン(パタパタパタポン)パタパタパタポン(パタパタパタポン)ポンポンパタポン(ポンポンパタポン)ポンポンパタポン(ポンポンパタポン)パタパタパタポン(パタパタポン)とやってくわけです。なんかボタン押して歌聴いてるだけでも楽しいです。
キャラクターデザインも好みでして。全体はシルエットで、目玉くりくり動かすパタポンたち。でっかい恐竜みたいなのがいたり、
頭のかゆいアフロな木がいたり。次はどんな変なキャラが出てくるのかわくわくしてきます。
欠点もありまして。ひとつは、まだそんなにステージ進めてないんですが、
狩猟ミッション以外は最新ステージしかプレイできないようです。いろいろ選択してやりたいなあと思うのですがね。もうひとつは結構でっかい傷。コマンドを打ち込んでる途中で大幅にリズムが崩れる、こちらの入力パートで一定時間入力がない、パタポンの歌の最中にボタンを押す、などやらかすとパタポンたちがずっこけたりして行動キャンセルになるんですが、逆に延々つなげていくとコンボになり、10コンボで「フィーバー」になり、フィーバー中はコンボが続く限り攻撃力とかが上昇します。ですが、「フィーバー」になった瞬間、パタポンが「フィーバー!」と叫び、叫んでる間、リズムを示す画面端の枠点滅が不規則になり、リズムの鼓動がかき消され、叫びが終わった瞬間にいきなり再開されます。実際にやってみて、
フィーバーになったとたんにコンボが続かなくなる(リズムが合わなくなる、あるいは自分のパートがわからなくなるため)。そのあたり、もちっとどーにかならんかったものか。コンボ続けるのは楽しいんですが、逆にフィーバーでストレスになる。慣れればどうにかなるのかなあ。
PSP「ゴッド・オブ・ウォー」の日本版のサブタイトルは「
落日の悲愴曲」だそうです。北米版は「CHAINS OF OLYMPUS」だったわけで、いったい
何故こんなサブタイになったのかしばらく脳裏でクレイトス先生の暴れっぷりをリプレイ(途中まで)してみて、はたと気づく。
ヘリオス(太陽を運ぶ神)が落ちてますな。だから……落日?(おそるおそる) てなことはさておき、プレイの続きをちょっとしてみた。まだ終わってません。クレイトス先生は両手の「ブレイズ・オブ・カオス」で頑張ってきたんですが、新武器入荷です。「1」ではアルテミスの剣(←大ダメージの大剣)がありましたし、「2」ではバーバリアンキングの斧がありました。
今度の武器は、ゼウスの篭手。篭手っていっても手先から肩までのでかいやつで、しかも右手のみ。
それで殴る殴る殴り飛ばします。パワーチャージで楯も破壊します。敵を打ち上げて空中でどつきまわします。慣れてないせいか「BOC」より使い勝手は悪い(攻撃範囲が狭い、モーションが大きい)んですが、
ある意味クレイトス先生にもっともふさわしい攻撃方法のような気がしてきました。岩とか破壊するし。ちまちま進めるよりも、時間とってがーっとやった方がいいような感じなので、そのうちお休みの日にでもクリアまで行っちゃいましょうかね。
「落日の悲愴曲」は7/10発売なんですが、同日、
PS2で「ペルソナ4」が出ます。情報集めた感じでは、システム周りは「3」そのまんまっぽいですねえ。キャラやシナリオは別物のようですが。なーんか、「無双」みたいな道を辿りそうな気もします。アトラスも「3」で「FES」をやったし(コーエイの「猛将伝」商法のようなもの)、ストーリーが完結してないものを出して、その続きは別売りってのもやったことあるしなあ。でもまあ、公式サイトのムービーとか見てると、面白そうではある。「3」ではペルソナを呼び出すための召喚器は銃の形をしていました。「死」を与えるようなものの引き金を自分で引くことによって、内面の存在を引きずり出すという話だったような記憶があります。「4」ではそういうシーンはまだ見てないんですが、気になるのは、
戦闘中全員が眼鏡を掛けてることでしょうか。ラッシュムービーでも眼鏡を掛けたシルエットが強調されてるし。普段のムービーなどでは眼鏡掛けてないんすよ、みんな。なのに掛けてるってことはこれがもしかして召喚器なのかなあ。てか……
新ジャンル眼鏡っ子オンリーRPG? 話のタネにやってみたくなってくるくる。どうしようかなあ……とりあえず予約してみた(おい)。
ミッション疲れでちょいとへばり気味で、梅雨だし、ちょいとどよよーんな感じですが、まあ乗り切っていきたいなあというところ。
そんじゃいつものやつで。
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第35回。前回は世界設定から話を切り出す際のことを書いた。まず世界設定を考え、そこから作りたい話、クローズアップしたいものを選んでいくやり方である。今回はキャラクターをメインにして行きましょうかね。
ライトノベル等では、キャラクターが重要視されている、というかキャラクター小説といった呼ばれ方もあるし、セカイ系というやつもある。セカイ系は、自分の世界あるいは自分=世界という形の話なんですかね。狭い世界でやったことが世界全体につながるけれど、その世界自体は見えないような感じ? まあいずれにせよ、キャラクターの方が優先されることが多いようです。
キャラクターについては、話を小説の形に切り出す前に、ある程度綿密な設定をしておく必要があると思います。これは世界設定と同様なのですが、
中途半端な状態で始めると、後付けでどんどん性格等が変わったり、突っ込みどころが増えたり、破綻したりすることになりかねません。ならば、前もって、「このキャラはこういうものである」という部分を作っておくに越したことはないでしょう。キャラが展開によって成長したりするのは当たり前だし、物語の上で性格そのものが変化してもいいです。ただ、その変化・成長が読み手にとって納得のいくものでないといけません。でないと、単に作者のご都合、キャラは作者の好み・主張などを表現するだけの作り物の人形にしかなりますまい。もちろん、作者の好みや主張をキャラにたくすというのはかまわないことだと思いますが、「生きた」キャラにならなければ、
読者が納得いくものでなければ、それは単なる自己満足・オナニーにすぎません(作品を書くこと=オナニーであるという説は文芸部の先輩がおっしゃってたことですが)。
オナニーを人に見せて楽しませるには、それなりの芸なり魅力なりが必要だと思います。
ともあれ、
キャラの作り込みはどのくらいやればいいのか、なんて教科書はありませんので、自分なりに考えていくしかないでしょうな。作家などが「書いてるうちにキャラが勝手に動き出す」みたいなことをいってるときがありますが、あれをそのまま信じてはいけないと思います。
何の設定も裏付けももたないキャラが動くことはないと考えた方がいいでしょう。起こりうるケースはひとつ。そのキャラの設定がある程度固まっている状態にあったということです。キャラが固まっているからこそ、アドリブで書いてるとしても、キャラが置かれた状況に対するキャラの反応が意識的・無意識に想像できるのです。結果として、作者が想像してないリアクションを返す=キャラが勝手に動き出す、ということにつながります。たとえそのキャラを作者が意図的に設定しつくしていなかったとしても、作者のそれまでの蓄積(他の本・映画・テレビその他諸々のキャラ設定)から類推して作られる場合があります。すなわちそれも結局「キャラの性格が固まってる」のと同じでしょう。もうちょっと具体的にみますと、Aというキャラがいて、それに関して性格はこうで、家族構成はこうで、生い立ちがこうで、好みがこうで、と設定していれば、ある状況におけるキャラの反応が想像できるってもんです。一方、Bというキャラがいて、それに関して、性格も家族構成も生い立ちも好みも決まってない、でもツンデレ、ということが決まってる状態であったならば、ある状況におけるBの対応は「ツンデレ」というパターンの作者のこれまでの蓄積から引っ張りだされうるわけです。ただし、後者の場合はそのパターン蓄積にかなり左右されるのですから、ただ一点「ツンデレ」とのみ決めているだけならば、Bの反応は同じパターンを知っている読者の予想しうるものになりますし、それはつまるところマンネリ・ありがちといった感想にもつながるでしょう。また途中からどうしてもキャラの設定は深まるものですから、最初は「ツンデレ」と決めて書いていったキャラに気が付けばいろいろ加わっていき、ふと見れば「ツンデレ」の反応自体がこのキャラにふさわしくないんじゃないかということになってるときもあるでしょう。うまいことやれば物語上のキャラの成長として描けるかもしれませんが、たいていはウソくさくなりますな。
なので結局
方向としては、キャラはなるだけ作り込む、ということになるでしょうか。「K大もの」でも書いてますが、例えば大学生のキャラが友達とご飯食べに行ったとき、誰が、どういう風に、どういう順番で、何を注文するのか、そうしたことがおおよそ分かる程度には(カラオケに行ったときでもよい)。もちろん、読者にまでそれが伝わらねばならないということでもなく、作者がそれをつかんでいればいい話ですがね。
ある程度基本設定が出来たら、今度は周辺の人物などと絡ませます。状況をセッティングし、そこにキャラを放り込んでアクション・リアクションをさせ、その結果を設定に反映させて強固にしていきます。例えばやはり「K大もの」では、一番初期の形では高校を舞台に、後に「トリオ」と呼ばれることになるキャラが動く話だったのですが、このときも基本設定をおおよそ決めた後、「トリオ」がどのような状況ではどのような会話をするのか、ということを延々シミュレートしてました。
こうしたことを繰り返していると、
物語の展開上、そのキャラにとって自然な動きが何なのか分かります。何なのか分からないという場合は、仕込みが足りないか、「勝手に動く」ということでしょうかね。作りこむことによって、ある程度「底の浅いキャラ」「人形みたいなキャラ」「作者の都合で動くキャラ」という読み手を白けさせるキャラを省くことができるでしょう。
キャラを作る際には、まあ様々な手法があるんでしょうが、例のひとつを挙げてみましょうか。拙作K大ものでメインキャラの一群である「北高トリオ」について。彼らは、K大ものが大学じゃなくて高校を舞台にしていた頃に存在していたキャラたちです。まず第一段階として、最初に作ったのは、塚本光輝(コーキ)と島田京子です。性格付けとして、コーキは「プライベートな私」、京子は「オフィシャルな私」という部分を核にして成長させました。この二人だけじゃなかなかに話を動かしにくいってんで、第三のキャラである茶園をひねり出しました。この三人でもって、会話をシミュレーションしていってキャラクターの性格を強めていったのですが、
コーキ:熱い人だが、内面冷静な部分がある。
京子:クールな観察者だが、結構熱いこと考えたり。
茶園:賑やかし。好奇心旺盛、物事を結果的に引っ掻き回す扇動者。
という核を常に意識してって会話を想像する。最初は回しにくいんですが、性格がはっきりしていくにつれて、反応が分かりやすくなります。実際にK大ものを始めてみて、別の同級生を出す必要に駆られたので、あと三人加えて、「六人組」としました。そのときには、「トリオ」に対する「裏トリオ」という位置づけだったので、初期設定は、コーキ−千堂、京子−新田、茶園−ザキという対応になっています。そっから区別するために肉付けしていく段階で、
千堂:熱血バカ。
新田:観察者というより傍観者っぽい。ロマンチスト。
ザキ:体育会系元気少女。物事を結果的に引っ張っていく先導者。
という性格を強めていくことになります。似たような性格であっても、例えば所属する部活、付き合ってる友人、趣味などが違うだけで、まったく違う人間になっていきます。なので、これはK大ものの説明のところにも書いてますが、例えばコーキに対する呼び方であっても「コーキ(京子)」「コーちゃん(茶園)」「ツカ(千堂)」「塚本(ザキ)」、新田は「光輝」と書いて本名の「みつてる」と呼ぶという違いが出てきます。
また、やりたいイベントや表現したいシーンや、こういうキャラを使いたいというのが先にあったとしても同じことですね。結局はキャラを作りに行くということになりますし。
うーん、実際にちょびっとやってみましょうか。これまで作ってきた世界で。今まで出てきてないキャラを設定してみましょう。例えば、「ペガサスナイトに憧れる少年」なんてどうでしょうか。まだこれまでの設定では出てきてないキャラです。どのような立場の彼をいじりましょうか。少年ってんだから、10歳〜18歳くらいまでにしましょうか。何してるんでしょう。憧れてるくらいなんだから、ペガサスなりペガサスナイトなりが身近なんでしょう。少なくとも憧れる程度には知ってないと。本などで知ったという可能性もありますが、まあ、ここでは身近だったということで。
パターン1:父などの身近な人物がペガサスナイトであった。
パターン2:ペガサスナイトの勇姿を見たことがある。あるいはペガサスナイトに助けられたことがあるなど。
パターン3:ペガサスの世話をしている。ペガサスナイトの従者になってる。
とか、とっさに出しましたが、いろいろ設定が考えられますな。パターン1では、父がどのようなペガサスナイトであったか(厳格であったとか)、存命かなどでまた違ってくるでしょう。英雄みたいな人物であれば、父を慕っているペガサスナイトなんてのもいるかもしれません(少年にとっての兄貴分みたいな)。パターン2では少年が一途にペガサスナイトを目指す動機になるでしょう。憧れのペガサスナイトをどう設定するかでまた違う分岐に。パターン3では、ペガサスナイトの裏側のようなものが描き出されるでしょうし、英雄的ではない部分、厩であったり食事であったり部下とのコミュニケートであったりといった事柄が描きやすいかもしれません。そうして出てきた設定やキャラをフィードバックして、絡ませていく、ということで。
自分が描きたいもの、描きたい人、そうしたきっかけになる部分を考えるのは作者の自由です。しかし、そっから先、ある程度固まっていくと、今度は作者の自由にならない部分が出てきます。私自身の経験からいうと、「いくら何でも死ぬだろう」と思っていた状況から生還しまくるキャラができたり、「こいつは死なせたくない」と強く思うキャラであっても死を避けることのできない状況ができたりするのです。
そうしてできた物語を、今度は作者がどう切って表現するか。それは作者の自由になる部分であり、また別の話になると思うので、今回この辺りまで。なんかマジメに語ってると肩が凝り懲り。
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今月号の「よつばと!」を立ち読みする。今回は、「
隣町の御神輿にくっついていた天狗の親玉がよつばに気づき襲いかかる。『よつばはオレが守る!』と割って入ったとーちゃんだったが、一撃で粉砕。『よくもとーちゃんを!』とよつばは天狗を攻撃。よつばパンチによって天狗は正気付き、悔い改める」な話。結構長く続いたお祭り編がやっと終わったかーと思いきや、お祭りが「明日もある」とかいってるし。縁日の話とかになるんじゃろうか。それより何より、ずいぶん昔に出てきた設定
「みうらがハワイに行く」という時期がようやく「来週」にまで迫ってきました。夏休みどこへも連れてってもらえないみうらを不憫がって魚釣りに連れてったりしてたジャンボ。実はハワイに行くのだと知ってブチ切れ、突発的にハワイに日帰り旅行したジャンボ。「来週」あると予想されるジャンボとみうらの掛け合いが楽しみです。ほのぼの。
購入した本:
恩田陸『蒲公英草紙』、山本幸久『はなうた日和』、水城正太郎『いちばんうしろの大魔王』、力造/グループSNE『剣神4』、川端裕人『銀河のワールドカップ』、小太刀右京/F.E.A.R.『天からの逆襲』、中尾寛『ストレイジ・オーバー』、谷岡一郎『SFはこれを読め!』、矢野俊策/F.E.A.R.『希望へのコンタクト』、井上堅二『バカとテストと召喚獣4』、アサウラ『ベン・トー』、坂照鉄平『L 詐欺師フラットランドのおそらくは華麗なる伝説』
読了した本:
愛川晶『芝浜謎噺』、本田透『ライトノベルの楽しい書き方2』、小太刀右京/F.E.A.R.『天からの呼び声』『天からの逆襲』、力造/グループSNE『剣神4』、北方謙三『水滸伝 十一〜十五』