2018年3月。


下旬。


 会者定離を噛みしめながら、今回書いております。いつもはこうして文章を書いているときにはBGMを適当にかけながらやっているのですが、今回はどうしたもんかな、と悩みました。当初「ワルキューレの騎行」でしたが、どうも違うなあと思い、しばし考え、かけたのが、「God of WarU」のサントラ。死の運命に抗い戦う漢のテーマ。なお、今回の話については、あくまで個人的な感情である、ということをあらかじめお断りしておきますよ。いつもよりさらに個人的なんで、別に読まなくてもいいかな、と思いますよ、正直。


 先日のこと。のんびりゲームなどやっておりましたら、ケータイに着信。22:11。名前を見て、首を傾げる。いつかの地震のときに安否確認でメールを送ってきた友人。久々ですが、このような時間帯、不吉な予感しかしません。


 大学の同期の訃報でした。


 脳腫瘍だったそうです。2年くらい前、職場で倒れて、手術を行い、その際だかに「友人には完治してから、笑い話になってから話す」といっていたとか。それが昨年再発し、入院してたそうで。


 学科は違いましたが、サークルの同期でした。本が好きで、わりと私の好みとも合致するところがありました。本の話や作品の話などしていると、「これは読んだことがあるか」と紹介してくれたのが、半村良の『産霊山秘録』や『妖星伝』でありました。後、私が隆慶一郎に辿り着いたとき、すでにあの人もそこにいて、「おお」と話が合ったものでした。


 かつて、あの人は、文芸部において作品を書きました。序章のみ。たまに会うと、ネタのように「あれの続きはどうなっているのだ」と問うと、「馬鹿野郎、40過ぎてから書くんだよ」といってましたっけ。社会経験をたっぷり積んでから作家デビューした半村良や骭c一郎が念頭にあったのでしょうか。


 本好き、というのはあの人の一面にすぎません。大学から社会に出て、会う機会も少なくなりましたが、たまに図書館で遭遇してました。私を見ると、「よう」と片手を挙げてににやりとしていましたっけ。「これ読んだか」とか「あれはよかった」などと立ち話をするのは楽しかった。


 訃報を受け、サークルの先輩、学科の先輩等のうち、最優先で連絡すべき相手をその場で選別。しかしいずれも電話が通じず、メールなどを送りまくる。うち、学科の先輩には日が変わる前に連絡がつきました。絶句してらっしゃいました。その方のブログを見ると翌日はめちゃめちゃ忙しいのが分かっていたのですが、通夜と葬儀の日程を伝えました。すぐに「行く」との返事。さらにサークルの同期でメアドを知っている人たちにメール送信。


 サークルの中では、もっとも死から遠そうな人でした。正直、私や他のメンツの方がよっぽど先だろうと思っていました。よもやそれが同期で一番最初とは。順番が違うだろう。理不尽さを噛みしめる。死はそもそも理不尽であるが、それでもなお。


 その日は、いろんなことが頭の中をぐるぐると巡り、ほとんど眠れませんでした。


 寝不足のまま、通夜当日。午前中のうちに在学当時のサークル名簿を引っ張り出し、同期のうち連絡の取れない人たちの実家に直電しました。怪しい詐欺みたいな電話のかけ方でしたが、事情を説明し、連絡先を教えてもらうことに成功。本人に直電したり、メールを送ったりして、つなぐ。いずれも他県在住で、本日は動けないとのこと。また、前夜のメールに反応して折り返してきた人もいて、そちらも訃報に絶句されてました。同様に、連絡がまだついてなかったサークルの先輩にも実家直電→折り返しのコンボで連絡をつけ、こちらは熊本にいらっしゃったので「今日行く」とのご返事。


 今回あちこちに連絡して分かったのは、SNSやってる人とやってない人のすれ違いというべきもの。これまで何度か書きましたが、私はフェイスブックもツイッターもやっておりません。なのにそれでしか連絡先が分からない人がいる。何時間か前にどこそこでラーメン食べてたとかそういうのまで分かっているのに言葉が届かない。ガラスの向こうにいるのをどんどんと叩いてる感じ。そんな同期には結局、別の人を経由して連絡をつけました。


 そうこうするうちに時間が経ち、たまたま南の島に出かけてて不在の母の車で出発。18:00からの通夜に対して、ずいぶんと早い出発。行き先は、まずは図書館でした。たまにあの人と遭遇していた場所。そこに到着し、ふらふらと30分ほどうろつく。ひょい、とあの人が書架の陰から出てきて「よう」とやることもなく、もう二度とここであの人と会うことはないんだ、とやや涙ぐみつつ、自分なりの別れの儀式を行う。そして、くだらない本を一冊借りて退出する。


 電話をくれた同期は他県から早めに来るということで、連絡してみる。すでに現場に到着しているとのこと。私の到着が、15:20。繰り返しますが、お通夜は18:00からです。ご遺族に挨拶させていただき、あの人の顔も見る。涙がこぼれそうになる。というか、こぼれた。お父上が、事情を説明してくれる。他のご遺族にも挨拶をする。喪主の方に頭を下げ、いくつかの言葉を吐き出し、泣いた。


 それからぽつり、ぽつりと同期と言葉を交わす。サークルで出す献花の算段もする。小さい親戚の子どもたちが元気に走り回っている。ああ、そういえば、何年か前に会ったとき、妹さんがご出産だったという話を聞いたことがあったっけ。あそこで走ってる子どもさんがそうなのだろうな。


 同期の死。かつて、私たちは同じ場所にいた。かつて私たちは飲み会で語り合い、駄弁りあった。かつて私たちは同じサークル同人誌を作った。


 個人的な感傷、残される者の個人的な感傷に過ぎない。それは分かっている。けれど、とりあえず翌日の葬儀も出よう、と思った。最後まで見届けよう。幸い、ミッション場での仕事がわりと余裕がある。休みもあっさり受理された。連絡くれた同期は、仕事があるのでお通夜が終わったら他県へ帰らねばならないという。代わりに、というわけでもない。が、私は最後まで見届けよう。「ありがとう」といわれた。こちらこそだ。連絡をくれなかったならば、私はここにいない。


 そもそも。ずいぶん前、その同期が地元に戻ったという話を聞いたのはあの人からだった。たまたま出張したとき、その同期に連絡して、飲みに行き、連絡先を交わした。だから、地震のときにも安否確認をしてくれた。だから、今回も連絡をしれくれた。もし、それがなければ、私は間に合わなかっただろう。他の先輩や同期も連絡が遅れた可能性が高い。


 縁。


 縁が巡る。偶然の積み重ねかもしれない。が、それらが巡り巡って、今私がそこにいる。ありがたいことだ。


 お通夜の始まる前、サークルの先輩がいらっしゃった。学科の先輩もいらっしゃった。最後にあの人の兄貴分とでもいう先輩もいらっしゃった。席が足りず、ホールに入れず、モニターに映る画像を立ち見する。


 いろんなことが頭の中を駆け巡っていく。サークルの合宿でいった旅館にて宴会場で中森明菜を歌い、襖で仕切られた隣の宴会場から大きな拍手をもらっていたこと。


 図書館で会ったとき「この図書館じゃ子どもたち参加でお泊まり会があるんだ、うらやましいだろう」とドヤ顔でいってたこと。


 このサイトを見て、時々感想をくれてたこと。


 何年か前に飲んだとき、OB会で「オトナ文芸部」をやろうという与太話に乗っかり、その後のメールで後輩と会った話など連絡先を寄越し「オトナ文芸部、人員が揃ってきたのか!(爆」と書いてた話。


 お通夜が終わり、先輩たちに挨拶をして、退出する。帰宅する。晩飯を食う。生きている。


 また、ほとんど眠らず、葬儀当日。午前中、葬儀の後、出棺とのこと。葬儀開始の1時間ほど前に到着する。ご遺族にまた頭を下げる。


 前日連絡したとき、「葬儀に来れたら来る」といっていた同期がいた。県外の公務員。前日が休みだったところに直電したものだった。そうそう休みが取れるものだろうか。お通夜の前に場所と時間をメールしておいたが返事がない。


 待ちながら、「葬儀来れる?」とメールする。やっぱり返事がない。それでも待つ。多分、来る。


 葬儀の30分前、やや急ぎ足で来る姿。名を呼ぶと、「うん」と頷いて受付へ。受付後、ぽつりぽつりと言葉を交わす。じっくり話すこともなく、そのまま葬儀開始。


 焼香、喪主の挨拶。


 結婚して家庭を作ってから、飲み会などにはほとんど参加することがなかった、という。あれ? 飲み会とかの話すると、嬉しそうに乗ってきてたあの人。私たちと駄弁ることは、楽しかったのだろうか。


 社会に出ると作品を書いたり、本を読んだり、といったた大学時代に散々やってきたことを思う存分しゃべる機会が少なくなる。だから、趣味のそうした集まりは、楽しかったのだろうか。


 献花。棺の中にいるあの人に花を。正直、これがキツかった。顔を見る。涙が出る。それでも花を右手の辺りに置き、長く、合掌する。振り返るとずらりと人が並んでいる。ご遺族に一礼してそそくさと戻る。


 いったんホールから退出し、出棺を待つ。黙ったまま、出棺を見送る。空が青い。


 帰り際、同期がぼそりといった。「連絡ありがと」「こういうときにしか連絡しないのもどうかと思うけどな」と返す。別れる。お互い振り返らない。


 帰り道、桜が満開。ただ、ひどくそれが色あせて見えた。

 
 このサイトをやってきて、いろんな別れがありました。父方の祖父や大叔父、母方の祖母はもういません。代わりに義妹が出来、甥っ子たちや姪っ子が出来ました。出会いと別れ。そうやって世界が巡る、回っていく。それでも別れが痛いわけじゃない。

 
 もうあの人はいない。


 私たちはたまたま今回は「残される側」だった。しかし、いつか私たちもまた「遺す側」になるだろう。それまで精一杯生きることしかできない。死んだ人たちの記憶を抱え、語り、悼み、それでもなお、私たちは生きていく。そしていつか、後ろにいる人たちに託して逝くだろう。


 友よ。安らかに。


 見守っていてほしい、なんてことはいわない。ときどき遭遇して、馬鹿話をしていた私たちだ。もし、あの世なんてものがあるならば、そこで思う存分読み、書き、駄弁りながら過ごしてほしい。もし、あの世なんてものがあるならば、いつか私もそこに行くだろう。土産話をたっぷり持って行く。にやりと笑って「よう」と迎え、オススメ本の話をしたり、あの「世界」の続きを読ませてほしい。だから、
 

 じゃあ、また。




 購入した本:
 波口まにま『三国破譚』、砂義出雲『クロハルメイカーズ』、零真似『いずれキミにくれてやるスーパーノヴァ』


 読了した本:
 川上稔『境界線上のホライゾン\(下)』『境界線上のホライゾンガールズトーク 縁と花』



←少し過去へ    少し未来へ→

 戻る