上旬。
結構取りこぼしがあったなあと思うのですよ。てことで、前回11月下旬分に書き損ねたものは別ペエジとして切り離してUPしておりますので、
こちらでどうぞ。
それでは、まずコロナの話。なんつーかどこもかしこもどかどか増えてる感じですねえ。熊本のどこぞでは役場だか市役所だかで飲み会だか懇親会だかやって感染して首長が謝罪するとかしたとか。何やってんだ公務員。ええと、数字的には、
えーと11日の分が1人入ってますが、11月下旬で1020人くらいでしたか。160人くらい増えてますかね。ちょこちょこクラスターが入ってる感じです。もっとも、他のもっとひどい都道府県に比べたらまだマシはマシなんでしょうが、それはそれこれはこれ。どうなる年末年始、な感じで。
さて、それでは
12月に入った頃の話。順序やエピソードが思い出すままに書いてるんで前後することもあるかと思いますがご了承あれ。
12月1日の13:30頃、ミッション中にえらくケータイの着信が長く鳴っておりまして、ちらりと見ますと南の島にいる弟からでした。
この時間帯に、しかもメールじゃなくて直電、しかも長々と鳴らすということで、「
こりゃ何かあったか」と判断。折り返しましたが、何度かけても話し中でした。いよいよもってこりゃ何かあったか。ことに南の島はコロナが蔓延しておりますし、弟の家には甥っ子たちや姪っ子もいますし、そちらで感染したとかそういう話かね。相手を変えて、父のケータイにかける。そちらすぐに出てくれたので、弟の方から電話があってという話を振りましたら、「
ばあちゃんが亡くなった」と返されました。「は?」となる。えーと義妹の祖母ってことかしらと首を傾げる。それから
「うちの?」「うちの」と間抜けな問答。「え、なんで?」絶賛混乱中。とりあえず通夜が翌日、葬儀が翌々日、別に今日は早退してまで帰ってこなくてもいい、ということを告げられる。でも翌日はどっかで早退しないといかんなあ。通夜は18:00過ぎくらいを考えているとのことで、じゃあ15:00くらいに早退でぎりぎりくらいかしら。
リーダーやボスに報告して翌日の早退、翌々日の休みを確保、落ち着きのないまま、その日のミッション終了。とっとと原付でミッション場を離れる。もうすっかり暗くなっていて、その中で、祖母の思い出などが脳裏に甦ってきて、涙ぐむ。
なんといっても、祖母の孫の中では、
私が一番のばあちゃんっ子だったと思う。さらにいうなら、初孫だったってこともあって、私が一番かまってもらえたんじゃないか。小さい頃住んでいた家は狭く、家族7人が寝るための部屋は2つに分かれ、両親と妹弟が一緒の部屋、私はかなり早い時期から、祖父母と同じ部屋で川の字でした。小さい頃、両親はなかなか家にいないことが多かったため、御飯を作ってたのは祖母だったし、食べ盛りの子どもにおやつも作ってくれてました。何年か前、小学校以来に会う古馴染みと飲んだとき、思い出として出てきたのは「
お前のばあちゃんが作ってくれたアイスはうまかった。今でも思い出す。また食いたいなあ」というもので、何人かが頷いてましたっけか。祖母の作ってくれたコロッケやハンバーグ、オムライスなどは絶品でした。といっても今時の料理屋で出てくるようなものではなく、昔ながらの洋食屋のそれっぽいやつでしたが。
その頃に食べたものが一番おいしかった気がします。
元々祖母は調理師免許持ってて、中華料理屋、居酒屋、料亭などで働いていたそうです。還暦過ぎてから踊りや書道を始め、どちらも師範になって免状をもらってます。カラオケも習っていたため、家にはカラオケマシーンがありました。着付けもできますし、元が床屋の生まれらしく、家族の髪も昔は祖母が切ってましたっけ。
その相方であった
祖父は、17年かそこら前に亡くなりましたが、過去の武勇伝を聞くとどうにもカタギっぽくない人物です。若い頃郷里で何やらやらかしてそこにいられなくなり、飛び出し、昔は大陸で蒸気機関車運転してた話もあります。実際、故郷の地を自分で踏んだのは晩年になったからでした。しょっちゅう行方をくらまし、
祖母が年金手帳持って追跡して、長崎でとっ捕まえたという話も、祖父がなくなったときに聞きました。新婚旅行の初日、祖母をほったらかして飲みに出かけ、初めて会う人と意気投合、旅行費用をすべて飲み代にぶっ込み、どういった流れかは分からぬものの殴り合いの乱闘になり、血まみれになって旅館に朝方帰ってきたとか。祖父と祖母は一度離婚し、またくっついたりしてます。祖父は、下への面倒見はものすごく良く、親戚のうちでもいまだに慕われておりますし、祖母も同じです。連絡が行ったとき、親戚筋の総領が「
おばちゃんの葬儀だったら絶対行く」といってくれました。この人、祖父の長兄の長男で、福岡在住。しかも聞けば数日前に目の手術をして退院したばかりとのこと。自分で運転してくると主張してました。自分の親より世話になったと慕ってくれてた人でした。私の名前もその人にあやかってつけられたという人物でもあります。
私や妹弟たちは祖母の料理で育ってきたわけですが、もうだいぶ前に、祖母が料理をすることはなくなり、誰もその味を引き継がなかったため、二度と食べることはないのだと思いました。祖母がいずれいなくなることも覚悟していました。それでも「
昨日今日とは思わざりしを」だったわけで。コロナ騒動のため、面会謝絶となり、私が祖母と直接会えたのは、ほぼほぼ1年前、今年の正月でした。病院で看護師さんが撮ってくれた写真などを見ることはありましたがね。
祖母は11月中旬くらいだったかな、大きな病院からそこそこ近くの病院に転院しておりまして、見舞いというか着替えの入れ替えなどはやりやすくなっておりました。で、さらに11月下旬には、個室が空いたのでそちらに移り、面会も可能になりました。で、母は何度か会いまして、「元気だよ。会えるようになったんで、顔見せといたら」と父に勧め、
父は12/1の11時頃に会いに行っておりました。祖母は起きており、あちらから明瞭に言葉はなかったようですが、父は話しかけてたようです。父はコロナの現状などを語り、当分孫たちは私を除いてこちらに来れそうにないってことをいった模様。あちこち切ったりして、最近は食も細くなって、点滴になることもあった祖母に対して、60キロあった体重は30キロくらいにまで減っておりました。「ようこれまで頑張ったなあ。でもきついんならあんまり無理はせんでいいよ」といったようです。また来るよと父が病院を出て、帰宅。母と食事をしてたら病院から電話があり、「
容態が急変しました」と。12:30くらいに祖母は亡くなりました。父はずっと「
あのとき『もうちょっと頑張れ』といっておけばよかったのか」と悔やんでおります。でも、1年振りくらいでに息子に会い、ほっと気が抜けたんじゃないかなと私は思っております。
この日、熊本県はコロナへの警戒レベルが4に上がり、特別警戒へ。おそらく翌日だったら面会はできなかったんじゃないかと思われ。
後悔ということでいいましたならば、私だってそうでして。近くの病院で会えるようになったということだったら、
もっと早く顔を出しておけばよかった。年末か年明けに行くかーくらいのつもりだったのです。私が生前最後に見た祖母は正月に家族で会いに行き、タブレットで弟一家とも話し、楽しそうに、嬉しそうに笑ってる祖母でした。亡くなった祖父に対してもやはりそうした後悔はあり、当時私は夜中までインターネットをやってましたが、そのため家の電話回線が塞がってることが多かった。ケータイもさほど普及しておらず、家族は誰も持っていませんでした。夜中に祖父が亡くなった連絡も我が家にはなかなか届かず、第3連絡候補であった伯父夫婦のとこに一報が入り、土砂降りの中、車で1時間くらいかけて伯父夫婦が連絡しに来てくれました。
私がネットやってなかったら、祖父の死に目に間に合ったかもしれない、という後悔。いまだにあります。家族ではありませんが、昔いたミッション場で同僚が幼い子どもを残して阿蘇で投身自殺をしたときもそうでした。
人の死に対しては、誰もが後悔を持つものなのかもしれません。
弟などもそろそろ覚悟をしていたようで、ここしばらく戻って来れなかったこともあり、今年何度か熊本に家族で顔を出そうとしていたんですけどねえ。会えるうちに子どもを祖母に会わせておきたいといっていました。やはりコロナのせいでかないませんでしたが。その弟は、こちらに戻ってこようと思えば戻ってこれるけれども、仕事の引き継ぎが急には見つからないこと、それもいったんこちらに来て、南の島に戻った場合、2週間の自宅待機になるそうで。弟の仕事はあちこちの現場に直接行かねばならないので、よけい困難です。しかもこの週末、甥っ子の受験があるそうで。「
来るなよ、来るなよ」「同じことお袋にいわれたわ」「
振りじゃないからな、来るなよ」電話で話したときに念を押しておきました。
帰宅しましたところ、葬儀屋と両親が仏間にて打ち合わせ中。そんなことより、数年ぶりに家に帰ってきてくれた祖母がいるので、手を合わせる。手に触れる。顔に触れる。
ほのかに温かい気がする、それでいて芯が冷たい感じ。曾祖母が昔亡くなったときにも同じことをやって、同じことを感じました。しばらくそのままの姿勢を保ち、それから両親や葬儀屋に挨拶して、自室へ。
打ち合わせの結果、どうやら通夜は17:00からになってようです。弔問客の大半が、おそらくご年配で、最近は暗くなるのも早いから、少し早めに行うことに。あー、それなら15:00早退じゃなくて、もう昼には早退することにする。で、わりとばたばたになる。
ところでこの「旬。」はだいたい
通常は1のつく日くらいから書き始めて3の日にUPするパターンが多いのです。ちょいとネタが多いかなあというときには書けるものは少しずつ書いていることもあります。11月下旬については、少し書いてましたが、ぶっちゃけ12/1にはこれ以上書く時間的な余裕があんまりありません。2日、3日はいわずもがな。てことで、すっぱり異例のことながら11月下旬は打ち切り、残りを次回しにした次第でした。
調べ物をしたり、翌日の打ち合わせをしたりとかしてるうちに12/1終了。あまり寝てない状態で、12/2ミッションへ。早退時間が早まったことの許可を得て、出向元の方へ、弔慰金出す関係上教えてくれといわれていた通夜・葬儀の場所時間、喪主、個人の名を報告。この弔慰金は、前に書いた互助組織の方から出るもののようです。
ミッション終了後、「
気を付けて帰って下さい」などとボスやらにいわれて帰宅。まあ、そりゃそうですわな。精神状態がちょっといつもと違うだろうし、帰宅時間も違うから、ヘタ打って事故なんて起こす可能性もありますわ。とはいえ、無事帰宅。昼食を食べて、ちょっと休憩してから14:00ちょい頃、父と一緒に通夜の会場へ。
14:30過ぎ、会場着。世話をしてくれる係りの人たちと引き合わせがあったり、打ち合わせがあったり、会場のチェックで結構これはこれで忙しい。設営が始まってる花の送り主の名称の確認で一悶着。
私、妹、弟+義妹の名でそれぞれ花が出てるんですが、それと別に「孫一同」というのがあって、見過ごし書かけて「いやちょっと待て」となる。めっちゃ重複してるじゃねえか。他に孫はいねえ。「いや申し込みの通りにやってますが」と主張されるが、変更も可能ってことで
「孫一同」→「曾孫一同」→曾孫どもの連名と移り変わる。曾孫ってのは甥っ子姪っ子たちです。
ちなみにこの葬儀会場、前に祖父の葬式出したとこと同じ系統です。
すげー不安なんですが、よく両親はまたここ使うつもりになったなあ。おそらく、病院とつながってるとこなんしょうが。ん、あれ、「旬」でこのとき起こった諸々のイベント、書いたっけ、と思って調べてみたら、ちょうどこのサイトで「旬」が2004年5月、ここでもう納骨って話になってるので、ああ、書いてないや。怒り来るって散々書いたのは、当時からすでにやってた月イチのペーパーの方か。そちらはデータ残ってるので探れば確認もできますが、今見てもやっぱり切れる気がしますので、そのままに。ただ、いまだにフツーに覚えてることも多く、
当時祖父の葬儀等で起こったことを思い出すままに書いておきます。
・会場がボロすぎた。
・トイレが汚い
・壇に飾られてる灯籠(っていうの? 雪洞?)が破れてるのが正面から見える(光がちらつく)
・マイク関連の不調、猛烈なハウリング、音が割れてて読経がものすごいことに
・自宅前に通夜と葬儀の予定が看板みたいなのに書かれたが日付も時間も間違ってた
・設営中、遺族の前で遺影を落っことし、額にぱっと分かる傷が入るが、遺族の前で「ペンで塗っとけ、どうせ見えやせん」と指示が飛ぶ。
・ムービーを映すカーテンが上の方が外れかけて傾いてる
・空調が効かない
・近くにいた係りに問い合わせをすると「担当がいま席を外してまして」となったまま解答が返ってこと多数。
・クレームをつけると「来月ここは建て直しますので」と開き直られる。こっちには関係ねえ。
・建て直す会場で、予定も空いてるからということで「お値段のプランより何段階か上の会場です」と恩着せがましくいわれる。
・弔意客がことごとく顔をしかめて帰る。
・弔意客に「よほど値切ったのだろう」「安いところを選んだのだろう」とそしられる。
・担当者が後日謝罪に来るが、平日・昼・アポなし・連絡なしで来て、祖母しかいない状態で菓子折置いて帰る。
・これだけされて、父が葬儀屋の会社に直電、責任者にクレームをぶつけようとするが、課長クラス以上の人はすべて「席を外してる」「出張中」「会議中」「いつ戻るか分からない」みたいな対応で、責任とる人が誰も出ないまま、一切コメントも折り返しもなし。
・担当者が上に状況を報告しないまま、不手際に対して値引きをする。たしか消費税分で数千円。
・後日、ここの系統で新聞に現場の求人情報が載ってるのを見たら「初心者歓迎」等だったり。
当時来た人たちからいまだにいわれますこれらのこと。ちなみに、結婚式場も経営してて、あっちこっちに会場がある、
熊本では有名なとこですよ。会場そのものは違いますが、同じ系統のところですからねえ、
私が不安になっても仕方ないんじゃね。
実際、
不手際は儀式がらみについてはそんなに気になることはなかったです(「孫一同」以外)。最近の行政指導だかで、朝まで職員が残ることはできなくなってるそうで、夜は身内だけになってました。食事をした残りは持って帰るか朝ちょっとつまむかってことで、キッチンにラップして置いておきました。朝方、ラップのちょっとした隙間から
蟻が入って真っ黒に。冷蔵庫に入れてたやつ以外壊滅。夏場に蟻退治とかしてたそうですが……。あと風呂。母が風呂に湯を張り、一番に入って、私が二番手。
髪洗ってる最中にお湯がなくなりました。どうも給湯器のお湯がなくなったらしく。私は湯船のお湯を使ってどうにか対処しました。他のメンツはあまり風呂を使う気分ではなかったらしく、誰も入らず。まだ私らは迷惑かけられた感じではないですが、もっと寒くなってたらエラいことになってたかもしれません。翌日係りの人に設定とか給湯器とか見直した方がいいかもといっておくことに。これくらいですかねえ、不手際つーか不具合。
16:00前後からちらほら弔問客が顔を出し始める。打ち合わせの結果、すでに祖母は控え室から会場に移動しており(遺族で棺桶に入れたり花を飾ったり、持ち物を入れたりとかイベントがあった。前はなかった)、焼香できる状態にしてありました。というのもこのご時世ですよ、
すげー早めに来て、焼香して人が増える前に帰るという人が多かったのです。あと、集団を代表して来てる人とか。このため、そこそこの大きさの会場でしたが、椅子が足りなくなることはなく、ぎりぎり満席。ただし、用意していた香典返しは、用意していた席の3倍くらい出てました。建物の出入り口には消毒用のアルコールやマスクも用意されていて、係りの人がデコの熱をピッと測っていたり。
通夜イベント自体は30分ほどで終わり、参加していただいた弔問客の方々も挨拶してだいたい18:00くらいには帰られましたよ。私らや伯母夫婦、叔母夫婦で控え室に行き、早めの晩御飯などを食す。時折弔問の方がやってきて、挨拶して、焼香して、帰って行く。伯母夫婦は3人だけだとアレだからと泊まっていきましたが、叔母夫婦は帰宅。
前に母方の祖母が亡くなったときには、線香を絶やさないよう、誰かが起きてチェックして、線香新しくしたりとかしてました。今は線香は12時間くらい持つ蚊取り線香みたいな渦形のものがあり、それを使用してました。ロウソクは24時間だとか。すごいなあ進歩。ただし、焼香のときにふと気になったことがあったり。3ヶ所で焼香はできるようになってましたし、私が出席したことのある通夜・葬儀はだいたいそんな感じですかね。気になったことというのは、抹香の入ってる器って、必ず右手側にあったんですよ。左利きの人はやりにくいだろうなあ、と。どうでもいいことですかちょいと気になったり。
翌日朝。
親戚衆をからめて集合写真ってことで、その時間が9:20。祖母の義妹である人は8:30くらいに来てくれて、何か一緒に御飯食べたりする。が、福岡から来る総領の人(祖父の長兄の長男)と別の親戚筋の人(祖父の末弟の長男)がなかなか来ない。後者は車で1時間くらいのとこ。前者は福岡で病み上がりなんで大丈夫なのか心配になり、たびたび私は外に出て、人待ち。どうにか間に合ったのですが、後から聞きましたところ前日に退院し、医者に熊本に行って大丈夫かと問うたら「
自分で運転しないならまあいいでしょう」と許可されていたらしい。
自分で運転してやってきましたが。
私は前日、「葬儀の際に
『送る言葉』をお願いします」とオファーされておりました。葬儀が始まる直前まで何も考えてなかったので、ぐるぐるといろんなことを頭の中を巡りますが、
順当に考えるなら食事ネタとかですかねえ。実際それやって簡潔にまとめてみんなから「すごくよかった」といわれる。が、葬儀中に紹介された
弟の長い弔電とかぶりまくってたりする。むう。ただ、一番いいたかったことは最後に盛り込めました。すなわち「
あんたの孫でよかったばい、ありがとね」という一言。
棺桶が弔花で飾られ、さらに中には愛用の扇子や筆なども入れられています。祖父のときには愛用の腕時計を確認の上入れましたっけ。出棺。葬儀場には戻ってこないという流れに今回はなり、火葬場で現地解散の予定。送り迎えの関係上、父の車、母の車も動くので、
私が霊柩車に遺影持って乗り込む。後部座席で運転席やナビを眺めていて、あー、バックミラーがカメラ映像になってるけどよく見えるなーと感心(父の車が見えてた)。最近の車だからカメラ映像なのかしら、と馬鹿なことを考える。そりゃそうだ。
後ろ直接見えねえよ霊柩車。
12月に入る前後からまた寒くなってきたためか、午前中だし集中する時間だったからか、
火葬場は同じ時間帯に7件ブッキング(ロビーで私ら含めて待ってる団体がそのくらいあった)。案内されて、炉に入れる前に焼香。炉に入れて、父が赤いスイッチをかすかに震えながら押す。火が入る。1時間半くらいかかるとか。
これまで、何度か火葬場には来ていますし、お骨を拾ったりもしています。毎度毎度思うのですが、
火葬場って無機質な感じがしませんか。病院的といいますか。ただ、その状況で焼香とか遺影とか入ってくると奇妙な光景に見えます。淡々と軽食などしながら昔のことを語ったりしつつ待つ。通夜・葬儀は日常とつながっていて、生々しいところだと思いますが、
ここで非日常的な無機質さを持って来ることで完全に遮断というか訣別とかするためなんですかねえ。悲しみとかはありますが、「すでに終わったもの」として扱ってる自分がいました。
お骨を拾い、現地解散。父は親戚を送っていき、私は母の車で帰宅。
骨壺は私が抱いて助手席。祖父のときもそうだった記憶があります。ほのかに温かい気がする木の箱。祖母は、さらに軽くなっております。予定では49日が終わってから、おそらく来年1月下旬、私が休みのときに納骨する予定。祖父が入ってる墓は自宅からやっぱり歩いて行ける距離にあるのです。
祖母の骨壺、遺影、戒名札などを家の仏壇に供え、14:00過ぎくらいにようやく一段落。葬儀屋から火葬場でもらったお弁当を開いて見る。個人的にひどく驚く。結構御高めのお弁当だったのですがね。ぷちお節みたいなものでした。
肉、ウナギ、カニ、エビ。え、これ、いいの? 食べましたけど。
あ、思い出したのでこれも書いておきます。
祖母は何年か前に骨を折り、入院し、手術をしない決断をこちらがしました。手術をしても8割くらいの人が一年以内に亡くなるといわれたため。で、リハビリ中に病院から「早めに施設を探しておくことをオススメする」と忠告され、父はあちこち施設を駆け回りました。しかしながら、訪れた施設はどこも満杯で、30人待ち、50人待ち、
多いとこで80人待ちってとこもあったとか。わらをつかむ思いですべてに応募をしてましたが、なんと
リハビリが終わらないうちにとある施設から連絡があり、「
空きがひとつ出ましたがどうしますか」ということで。即座に承諾し、打ち合わせに入ったとか。ちなみに
その施設というのが80人待ちだったとこ。病院に報告したときも驚愕され、「
コネでもあるんですか(意訳)」といわれたようです。そんなものがあればあちこち回る必要はなかったよ。施設側から打ち合わせのときにいわれたのが、
施設側にも選ぶ権利がある、ってことのようです。おそらく施設の職員方の状態、入居者の症状、家族の状況などを判断してのことではないでしょうかね。祖母の場合は、多少耄碌はしてきてたもののわりと元気で、耳は遠いものの受け答えははっきりしている。歩けなくなったので車椅子生活になるってのが施設に入る理由だったわけだし。しかもその施設、我が家から歩いて10分くらいの距離なんで、何かあったときにすぐに駆けつけることができる。詳しくは聞いてませんが、素人判断ながらこの辺りが採用理由だったのかなあ。なので、これ読んでる方で、施設を探してるなんてことがありましたら、
何十人待ってようが、応募する意味はあると思います。
ところで、この数日間、弟と電話で話すことが多かったのです。葬儀関連も多かったのですが、別の話も。元々そういう話をしようと思ってた時期ですしね。クリスマスプレゼントのこととか。前に書いたポケモンの追加DLCのことですが、所持はしてないとのこと。じゃあ贈るかーとなったのですが、弟に謝絶される。というのも
どうも下の甥っ子がゲームにハマってるらしく、このご時世ってのもあるんでしょうが、外に出ることもなくずーっとポケモンとかやってたらしい。で
義妹が怒ってゲーム禁止令。上の甥っ子や姪っ子も巻き込まれて、ゲーム時間がむっちゃ制限されてるらしい。兄姉がやってるのになんで自分はできないのか、と思わせない配慮のようで。もっとも上の甥っ子は受験が直前ってのもありますが。で、すでに買ってた「救助隊」やおにぎり買って溜めたキャンペーンのシリアルナンバーとかはそのまま贈ることに決定。あと、
「桃鉄」はあちらで買おうと考えてたとのことで、というのもそれくらいなら義妹にも言い訳が立つようで、要は「
地理を覚えさせる」ということで。いやあ、どうすっかなー。
いや「桃鉄」ならこっちで買って送りつけてもいいんですが、と、いくつかのショップを回るもののどこも売り切れ。んー、みんなして年末年始とかのパーティーゲームとして考えてるのでしょうかね。探してる途中、別のものを見つけて、それを購入しておくことにする。
新品で、7000円ちょいくらいだったかな。「
リングフィット・アドベンチャー」です。外に出ない時間も多いし、弟ならともかく義妹は歩き回らない仕事やってるしね。
言い訳も立つでしょう。ただ、でけえよこの箱。比較のために「救助隊」置いてみました。手持ちのアマゾン印の段ボールでは入りきれなかったので、両親がお菓子とかまたクリスマス前に送るっていってたので、大きい段ボールにして便乗させてもらうことに。
あと、お年玉関連。喪中なんで、年賀状ダメじゃないですか。
お年玉ってどうなんだろう? 調べてみたら、やっぱり
喪中だとお年玉のやりとりはマナー違反っぽい。やるとしたら茶封筒とかで、名目を「文房具代」とか「お小遣い」とかにするってことのようです。ふむー、あげないのもアレなんで、上の甥っ子を「書籍代」とし、姪っ子を「文房具代」とし、下の甥っ子を「おやつ代」としてピン札じゃない札を入れて封をし、手配をする。
甥っ子の受験がひとつ終わり、ほっとしたようです。次の受験がもっと難しいやつで、こいつが1月にあるらしい。で、正月くらいには模試があるとかないとか。いやー、もう中学受験というより、自分の大学受験思い出すスケジュールですな。大学受験のときは、たしか秋くらいから14週連続模試とかあったっけ。14週連続で週末が休みじゃなかったという……。そこまではないようですが、とりあえず最初のが終わったってことで、とっとリラックスしてほしいですな。
ゲームについては、えーと、

→
+7時間弱。最初の4日間くらいはゲームする気にもなれませんでしたので、まあこのくらいか。動画はちょこちょこ観てましたがねえ。
進行具合としましては、11月下旬には
車椅子の少女復活作戦に入ったとこでした。このために必要なものは
「高純度アルゲン」と復活のための素材となる神の子の肉体の代わり(生死問わず)。前者はクローンを生成するのに用いられてるのを回収するらしい。後者はこれまで何度も対戦している神の子のクローン、赤いルキを使うってことで。これまで神の子のクローンは何体も出てきてまして、クローニングが成功したものが神の子になるって話。ただ他のクローンたちは1体を残してすべて壊れていき、最後に残ってる赤いルキ(クローン4号)もすでに壊れかけています。
姿を隠してる赤いルキは何ヶ所かかで拾った「4号の日記」からいくつか場所を判断して突撃するっぽいが、「高純度アルゲン」はクローン生成用のダンジョンに潜る必要があります。ダンジョンの方から行きますか。と行ったダンジョンが
シリーズ名物の流れるダンジョンだったりするんですが。一方通行かつ自動移動が延々かかるシステムですよ。探索に時間がかかるやつです。クローン生成ダンジョンは2種類くらいあって、ひとつが稼働中でした。稼働してない方から侵入し、そこにいる有名最強探鉱士ロック荒堀のクローンを3体撃破、次へ。そこではイベントで連れ去られ、石化された社長がクローン化されてる最中で、すでに動き出してる社長のクローン、すべてサムライ系を3体撃破。社長が解放されたことで、いろいろとイベントの裏話が開陳され、さらには
「高純度アルゲン」をゲット。リストのひとつ上にある「少女の頭蓋骨」は車椅子の少女のやつですな。ここで装備の強化が+25まで可能になりました。が、下の方は+17とかで止まってるキャラもいるので、ちょっと強化しようかとダンジョン巡回。で、調子こいて、赤いルキに挑んでみたりもする。
錬金術の塔にて。まあ赤いルキが壊れてるのは、最初に出会ったときにはもう片手がモンスター化してることからも分かってましたけどねえ。で、ええ、
赤いルキ相手に壊滅。ルキの体力を1/4くらいまで削った辺りで、
ダメージ1200越えを課長君がまともに食らって戦闘不能。課長君、このとき最大HPが1000ちょい。そりゃ死ぬ。で、古きウィズの伝統か、前衛後衛がはっきりしてるこのゲーム、前衛が倒れたり、麻痺ったり、連れ去られたりしたら、キャラアイコンが左にズレます。左から3つが前衛。上の方にあるプレイ時間の画像とかなら分かりますかね。この順番で並んでて、一番左にいる課長が倒れて、順番がズレる。すると
ヒーラーのめぐみ先生が前衛に引きずり出されます。元々後衛にしてた関係上、さほど防御は高めてなかった
めぐみ先生がこの後しばらくして赤いルキの攻撃を直接受けて轟沈。回復役がいなくなって、じり貧。しかも赤いルキは何ターンかに一度くらいですかね、結構体力を回復します。攻撃の要だった課長もいないし、そのまま壊滅。いや、めぐみ先生が沈んだのは、単に防御力の関係だし、まだ強化する余裕はあります。問題は、課長君。次にやるときは、課長君を守るためにヒロシちゃんを防御に回すかなー、などと考えてて、ふと気づいた。根本的なことです。
課長君が
メインに使ってるスキルは「兜割り」です。ダメージが+150%オーバー、しかもこの人二刀流で、追撃だったかな追加攻撃までするスキルつけてます。通常戦では、「超電スイッチ」入れてるターンに使ってMPを節約していますが、ボス戦では「超電」入れてないターンでもがんがん使ってダメージソースとなっております。ここで気づいたのは、もうひとつの効果、「
自身の防御が激減」です。これだよこれ、何か課長君、他のキャラよりダメージ受けるなあと思ってたんですよ。てっきりサムライ装備の防御力が戦士より低いのでそのせいかなと。違うやん、スキル効果じゃん。いやしかし、これ、雑魚戦とかじゃ便利なんですよねえ。どうすっかなーということで、今後の方針として、
ボス戦だけスキルの振り直しで「兜割り」→「連ね突き」に変えようかなと。まだ未確認ですが、スキルのレベルを上げるとマイナス要素とかも多少減るだろうしねえ。いやあてっきり「兜割り」もレベル上げたら防御減も緩やかになってると思い込んでたフシもありますよ私。うっかりうっかり。
それはそれとしまして、例によって例のごとく、装備の強化に使うアルゲンが足りない。てことで、経験値集めがてら、アイテムドロップも狙う策としまして、
「マモノの花」を使ってみようかと。現在3連戦用の「マモノの花三輪花」まで作成可能です。これ、必ず宝箱が出る戦闘です。私、この花、使い捨てだと思ってたんですが、どうやら拠点に戻ると機能を復活させるようです。や、便利じゃん。てことで、
どかどか設置してみました。マップ画面だと右下に並んでる青いアイコンがそれで、移動画面だとこんな感じで見えます。こうすると、マップのあちこちに点在してる宝箱ドロップの敵んとこまで移動して回る手間暇が大幅に削減され、しかも3連戦なんで経験値も稼げます。実際3回ほど巡ると確実にレベルアップ可能になりました。あ、ちなみに上の画面に出てます「>>」みたいな部分が流れーるダンジョンの移動床です。ここは単純な構成なんでまだマシなやつ。
だいたい、
1回のダンジョンアタック、所持品が満杯になるくらいやって、拠点に帰還するのに
30分くらいかかるかなあ。倉庫にゲットしたアイテムどかどか放り込んで、またダンジョンアタック、ミッション疲れもあってか、この辺りでしんどくなってきます。2回目のダンジョンアタックが終了して、拠点で処理したら、ゲーム終了ってとこでしょうか。
だいたい1時間ちょい。しばらくこんなサイクルで、強化等が終わったら、また赤いルキに挑戦する予定。ラスボスはすでに見えてますが、どうなるかなあ。
それにしても、怒濤の11月、12月のゲーム発売ラッシュをどうにか乗り切りかけてます。買う予定で見送ったソフトもありますし、予定なかったのに買ったソフトもあったり。「桃鉄」「ノースガード」「セインツロウW」辺りは見送りでした。後者2つは進行不能バグがひどいって話もありましたので。一方、
「三國志14withパワーアップキット」は結局DL版買っちゃった。「チルドレン・オブ・モルタ」は体験版が出たので、それやってから判断ですかねえ。とはいえ、結局
買ったゲームのうちやってるのは今んとこ「黄泉ヲ裂ク華」だけのような気がしてなりませんが、どうにか年内にはこちら決着できますかね。
なんつーか
いろいろあったようななかったような、そんな12月頭でした。今年もあと2回「旬」書いたら終わりですか。なんとかコロナとかもかからず、風邪もひかず、インフルエンザにもならず、元気に乗り切りたいとこです。まずしまいそこねた(地元語で「なおしてない」)扇風機を片付けるとこからでしょうな。
購入した本:
雨川透子『ループ7回目の悪役令嬢は元敵国で自由気ままな花嫁生活を満喫する1』、サエトミユウ『オールラウンダーズ!!』、はむばね『幼馴染をフッたら180度キャラがズレた』、まさみティー『黒鳶の聖者1』、秋原タク『元スパイ、家政夫に転職する』、ハム男『ヘルモード1』
読了した本:
酒井田寛太郎『放課後の嘘つきたち』、yui/サウスのサウス『進路希望調査に『主夫希望』と書いたら、担任のバツイチ子持ち教師に拾われた件』、雨川透子『ループ7回目の悪役令嬢は元敵国で自由気ままな花嫁生活を満喫する1』、埴輪星人『春菜ちゃん、がんばる?3』、サエトミユウ『オールラウンダーズ!!』、はむばね『幼馴染をフッたら180度キャラがズレた』